記憶と憧憬

亜脳工廠小説執筆部

幻灯機

 薄暗い和室の敷居を跨いだ途端。

 机の上に置いてあった幻灯機が動き始めた。

 どこにも動力源は無いはずなのに奇妙である。


 幻灯機の光は押入れの襖に灯され、寒色の灯りを食卓の周囲へと漏らしている。


 カラカラとフィルムマガジンを巻き上げる音が空虚に響いたかと思うと、突然それは映像になった。


 殆どそれは私の幼少期の映像であった。

 映像というのはいくつものフイルムを繋げたもののことで、連続で写真を繰り返すことで、画を動かすものである。要するに「ムービー」のことだ。


 それは何時間も続いた。

 そのうちに子供の声が聞こえてきて、まるで本当に子供の頃に帰ったような気がした。

 走っている私を必死に妹が追ってくる。

 ちょうどあの頃は一面が田畑であった。


 最後に誰か女の顔が写ったような気がして、そこで終わった。

 その顔は母のようだったが、どうにもしっくりこない。

 私は不思議に思った。

 どうして音声が聞こえていたのだろう。


 その場を立ち去ろうとして、ふと気付いた。

 果たして私は、こんなところに住んでいたのだろうか?

 気になったのは植生である。あんな植物は見たことがない。


 一瞬で現実に引き戻されたような気がした。

 ああ、私には母も妹もいないではないか。

 気づいてから、先程の映像の様々な部分が違和感として湧き上がってくる。


 どうこう考えていると、突然に思い至った。

 そうか、ここは夢の中か!


 顔を上げると押入れの隙間からこちらを覗く目があった。

 先程の女の顔に似ている。


 瞬間、私の身体は非常に俊敏になった。

 まるで豹のように敷居を跨ぎ、古臭い長い廊下を疾駆した。


 息切れを感じる頃、途端に足の動きが鈍くなった。

 まるで言う事を聞かない身体のように、水中を掻く足のようになったのである。

 どうにか見つけようとした素早い動きは、結局水中で後ろ向きに飛び跳ねる子供のようになった。


 誰も追っては来ていなかったが、奥から順に廊下に面した襖が次々と開く。

 まるで私を追うように、風の鳴くような音がして、一枚一枚。

 必死になって飛び跳ねた。

 しかし、それではどうにも速度の変わらないもので、少しづつ、少しづつ開いて、あんぐりと暗闇を開けた部屋が追いついてくる。


 その時、真夜中だったはずの外が途端に明るくなって、この廊下が外に面していることに気付いた。

 薄暗い夜明けの光。青い、パープルブルーの日差し。

 

 私は外があるのに気づいてガラスに向かって思い切りぶつかった。

 柔らかい弾性の感触がここまで憎たらしいことはなかった。

 跳ね返されて、閉じた襖とぶつかる。


 もう一度。


 足の甲に力を入れた時、ゆっくりと襖が開いて、白い女の顔がこちらを見た。

 空間はこの瞬間にも明るくなってゆく。

 

 私はその顔を凝視しながら、妙な既視感とともにガラスを割った。




 明るい日差しに目を細める。

 座布団が頭の後ろにあるのに気付いた。

 身体はあちこち痛かった。こんなところでじっくりと寝てしまった。

 襖を開けたのは母だった。逆光で顔が上手く見えなかった。


 夏の暑いのが、室内に漂っていて窒息しそうだった。

 妹の、鉄琴のおもちゃのピアノを叩くのが聞こえる。

 ぼくはどうしてこんなところで眠ってしまったんだろう。

 

 敷居を跨ぐと、いつもの廊下があって、縁側があって庭があった。

 昭和30年 8月 15日のカレンダー。

 庭はまた草刈りをしなければいけないくらいに生えていた。

 

 ずっと疑問に思っていたが、どうしてこの家の廊下はこんなにも長いんだろう。

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