細く長く生きる

水形玲

いばらの冠

   細く長く生きる


                        水形玲



  一


 雨上がりの、緑の葉が散らされた舗道で風が舞い、その爽やかな匂いを表した。

 錦糸町クボタクリニックに通っていたころもあった。「ロリータ」の邪魔な同性どもが、アナベル・リーとの情事を邪魔したひと言は「allez y!」(アレズィ)であった。私の人生の中のボンクラどもが、美人の処女との交流の始めを邪魔したひと言は「最初のー!」だった。私はその声になぜか催眠を受けてしまって、彼女を求め続ける意欲を失った。

 小説すら意味がないのだと。だってクリスチャンは大金を儲けちゃいけないんだから、小説を目立つところにはアップロードできないよ。


 でも私は神と富とに仕えることができないなら、と思って、日本の平均年収の四百四十万円を一円でも超えたら、次の年度に繰り越して、まとめてユニセフに寄付しようと思った。新約聖書に、金持ちは貧しい人達にお金を施しなさい、と書いてあるからだ。

 今日はおやつにブラックチョコレートを食べた。コカコーラゼロを飲みながら原稿を書いた。

 浄土宗の「凡夫」は、ダメだからこそ仏に頼るのだということだそうだ。私は普通人に戻りつつあった。私はエリート意識を捨てて、皆と同じ者になった。寛解するかも! 今日は可能性の一日であった。

 そして遅れに遅れた私の最初の肉体関係は、中川さんと営まれた。

 孤独へ還さないで。中川さんはきっとそう思うはずだった。孤独へ還すだなんて。

 人生は海藻をかついで歩くことじゃない。人生はボンクラどもから「最初のー!」という戦略的な言葉を聞くことではない。でも僕は分裂質性格という冷たい支配者でもないし、もはや優しい紳士である分裂気質者でもなかった。普通の一市民という可能性に満ちた五十一歳だった。

 別に教科書になんか載らなくていい。私の小説には恋愛小説が多すぎるのである。

 十月の普通の気温。暑くも寒くもない。

 僕は何のために生きてきたのだろう。

 快楽、絆、感動。

 それは知ってた。


 私に欠けていたものは健全さだった。中学時代から女の人の顔に潮がべたつく誰も興味を持たないような写真がいくつも載っている雑誌ばかり見ていた。いつだか、本に載っていた「性魔術」というのをやってみた。私が五十一になるまで一切性体験がなかったのはこの性魔術の罠だったのかもしれない。新約聖書には魔術を使ってはならないと書いてある。

 私は一億円も十億円もあきらめる。その代わり、心の平安を頂きたい。人生なんて、と三十年以上思った。でもいまは中川さんがいる。

 心の平安や天の国に行くこと、永遠の生命は人の目的そのものだ。だから、お金は一年あたり四百四十万円しか頂かず、静かな人生を送っていきたい。

 私は朝五時、自動販売機に飲み物を買いに行ったが、糖が怖いので緑茶を買った。糖を摂り過ぎると内臓脂肪が付く。靴下を履くにもふうふう言うし、足の爪の切りにくいことと言ったら! ……再び足の爪を簡単に切れるようになるよう、コンビニ通いなどやめようと思うのだった。



  二


 みんなが情報を共有している。「こんなに素晴らしいものがあるよ!」「えーほんとほんと?」と。

 これが凡夫ぼんぶである。とりわけ優れていない凡夫が情報のネットワークの中から「老舗の花王のメリットリンスインシャンプーがいいよ!」といった情報をもらい、そして自分も他の人に伝えていくことに生きる楽しさがあるのだ。

 一人で意固地になって「シャンプーの長すぎる名前の成分が信用できない」からと、無添加石けんに走るのは「俺は他の人達とは違うんだから」と言っているみたいで、よろしくない。でも、無添加石けんが良い品物であることが本当だったら……


 カルマは霊に悪を行なわせられた場合には増えず、自ら行なった場合には増える。私の人生にもわずかな朱色が差している。しかしイエス様が過去、現在、未来にわたって人類すべて(悪者は違うらしいのだが)の罪をゆるして下さった。心配ない。

 人生の難しさをイエス様に解いて頂き、少しだけ憑依のメカニズムがわかった。

 明日は豚バラの焼肉と、アスパラガスの炒め。

 人生なんて、と青くなったのは高校生頃。大学でも遅くはないのに、文芸部に入らなかった。そしてようやく中川さんと深い仲になった。 

 私の部屋でもやし何袋分くらい食べられるかを競ってみたら、二人とも二袋分くらいしか食べられなかった。かけたのはポン酢。

「もやしも意外に入らないもんだね」

 私は言った。

「そうだね。一人六十円くらいだね」

 中川さんは答えた。

 虫歯だって治さなければ痛いままだ。何と言っても現代では麻酔してから削るので、ほとんど痛くないところが素晴らしい。

 人生の虚しさを覚える。中川さんの前なのに!

 これが悪魔というものの、むしろ「弱さ」なのか。主治医の先生は「笑い飛ばせばいいんですよ」とおっしゃった。つまり現実的水準では私より悪魔の方が限りなくちっぽけなのだ。アニメばかり見ているからつい、自分を皇帝の座に置き、悪魔をインプにしようとする。それは極端だよ。

 人を害わずにはおかないその弱さ。

 私は中川さんを大切に思っているからこそ、文鳥のピータンを被害者にしたあとで深く反省したからこそ、強い者であることができる。

 じゃあ、強さとは何だ。高い倫理を備えていることだ。

 本当の強さって、人を傷つけないことじゃないだろうか。

 私の中にしっかりTの思い出が蘇り。彼女がいま四十七歳くらいの熟女であることに思いを致す。


 キリスト教の神は肝心な時には決して助けてくれないから、私はまたキリスト教をやめた。

 霊は子どもの霊か水子だと思ったので、私は霊に対して申し訳ないことをしたと思った。

 人の世はえにしと申します。

 アニメ「地獄少女」の内容は良い。また次が見たくなるけど、以前のような体力がないので、一話ずつしか見られなくなった。主人公の閻魔あいは二十代の時に私が好きになったTという恋人に雰囲気が良く似ている。彼女は看護学生だった。私の重症強迫神経症が重すぎて、彼女はさじを投げるしかなかったのだろう。

 中川さんの中にTの面影を見出すことはできなかった。別の魂であった。

 明日はコモディイイダで牛バラ肉でも買って帰りたい。ねぎ塩だれも一緒に買おうと思う。人生とは何だ。次第に良くなっていく倫理の階段だ。高い倫理を持てば(それでただいたずらに、我慢しなければならないことが増えるわけではない)より良い暮らしができる。そしてもしかしたらその先に極楽浄土があったりして……(キリスト教で言う天の国が)



  三


 仕事は自分を幸せに結びつけるための手段なのだと思った。

 夢を見た。

 救命ボートからロープを投げてくれたので、腰に引っ掛けた。

 やがて暖かきコーンスープ。服は脱いで毛布にくるまった。

 岸につくとミニバンに乗せてもらい、「潮屋」という店に行って、ホタテ、生ガキ、海老チャーハンなどを食べさせてもらった。(これで大丈夫だ)


 小説家は編集者が付かないと怠けがちなので、本当に、早く編集者が付いて欲しいのだけど、小説の才能はあっても出世の才がなかった。私の「料理人ヴィニエ」はよく書けていると思うのだけど……

 アイスレモンティーを飲み、黒棒を食べながら、原稿を書いた。

 この世界は何なのだろう。だいぶバージョン変更したようだけど、近世に精神病院が建ち始めるなど、悪いことが起こるようになっていった。第一次、第二次世界大戦の惨禍にもかかわらず戦争は何度でも起きた。

 自分が戦争に行くのは嫌だが、自衛隊員が死傷するのは仕方ない、と思っている人の中に輝きはないのだが、輝きのある人は自衛隊員を心配する。

 人生の虚しさよ。私は最近、人生の意味は結婚なのだと気付いた。中川さんと仲良くなってきている。

 アリョーシャが「どうしたらいいでしょう」とゾシマ長老に訊くと「結婚しなさい」と答えたのだ(「カラマーゾフの兄弟」)。きっと結婚すればいいのだ。

 今日はメカブの日。副菜はマカロニサラダだったが、もう食べてしまった(十五時三十四分)。人生は結婚…… 「結婚は恋愛の墓場」。中川さんは子供を産んでくれるのだろうか。産みたいと思うだろうか。……

 カロリーの低いジュースを飲んだら、それにも関わらずインスリンが出て、低血糖に陥り、眠くなった。それを覚ますために無糖ブラックコーヒーを買いに行き、眠気を覚ました。しかしカフェインは眠気を覚ましはしない。「眠れないよー!」という苦痛な状況に人を追い込むだけだ。

 まあ、戦争もあるけど、作りが良く出来ているアニメを見ていよう……人生は何だか厳しかったけど、高校を出たら大学、大学で単位が取れなかったら信用できる先生に相談、文芸部に入部、そして出版社に入社、……そんな人生を生きていれば良かった…… でも、校閲の仕事などではなくて、自分のやりたい「小説家」ができている(お天道様は何でも見ている)今が一番楽しいはずじゃないか。

 小説サイトに直接原稿を書き込んで、あとでノートPCから内容をチェックすればいいい。それならカトレアでもスマホで仕事ができる。


 十六時四分。そろそろ麦ご飯を炊こうか。怠けたから罰を与えられた。簡単なことだ。働けばいい。炊飯器のスイッチを入れたら、自動販売機にカロリーオフのスポーツドリンクを買いに行って戻った。

 八十年代に恋をしなかった。隣の奥さんが春巻きを持ってきてくれたのに、「筆おろしお願いします!」と言わなかった。親戚の超美人(五段階評価で六)のHさんは、うちの職場と井川君の高校は近いから、今度お昼おごってあげるよ、と言ってくれた。これだって筆おろしの宣告には違いない。しかし私は異様に鈍く、「お昼おごってあげるよ」が性的な意味合いを持っていたとは気づかなかった。

 そこに青色、人生のつらさとつまらなさがあった。ピンク色、人生の嬉しさと面白さが、博子ちゃんとHをしているのになかなか兆さなかった。



  四


 オクラの味噌汁がまあまあ上手に作れたので、次は薄味のナメコの味噌汁を作った。まあまあ美味しい。しかしなかなか上達しない。家事ロボットの販売が待たれる。 

 何で編集者との出会いがないんだろう。

 人生って、やっぱり虚しいものなんじゃないかな。

 次はモロヘイヤの味噌汁。なかなか美味しい。塩分も理想的な薄さ。

 これで私は味噌汁を作ることに自信が付いた。

 まあ、いいじゃないの。明日は鶏ムネ肉でも買ってきて、「鶏ムネ肉のソテー・ナツメグ風味」という得意料理を作れば。

 そしていつかデビューできたら。

 小説界は「ノリ」なのかもしれない。だからこそ「風を読む」ことが必要になる。ノリがお金を生むなんて芸能界みたい。

 久しぶりに次郎系ラーメンに行って「野菜多め」「ニンニクあり」を選んだら、ついに運ばれてくる丼。山と積まれたもやしを食べると、チャーシューが見えてくる。

 小説家って軽い仕事なのかな。

「決してそんなことはない」とプロのみんなが言いそうに思えた。

 自己愛性パーソナリティ障害になってから全然駄目だったけど、神経症だった頃なんて、「毎日がこんなに苦しいなんておかしいよ! Tともお別れになるしさ! ……でもこう考えている僕のことを、周りの人達は異物扱いしてないらしいよ? ……」

 そう、神経症水準では周りの中にむしろ溶け込んでいた。街でビニール手袋をしている私を、「不潔恐怖症か。かわいそうに……」と思ってくれていたかもしれない。

 そう、人間には「かわいそう」と思う感情があるのだった。

 あれ? 何だか病状が良くなってきたみたい。

 統合失調症さえ良くなっていくかもしれない。


 明日はコモディイイダ。主に買うものは、牛ミスジか、牛肩ロースステーキ。

 中川さんは僕の理想の彼女に近い。本当の理想は、親戚の超美人のHさんが純潔だった頃。まあ「結婚は恋愛の墓場」と言いますから。……

 私の人間不信が直ったのだろう。

 そう、生きていることはつらい。でも抱えている感情は同じなのだ。

 何時間も執筆をした。

 そろそろソフトクリームを買いに行ったっていいじゃん!

 卵かけご飯を食べたら(十八時)、精神科の薬を飲んで、その直後、コンビニにソフトクリームを買いに行った。


 なぜ精神科に流れ着いたのか。不潔恐怖症になったから。

 でも、「カウンセリングみたいなのがいいんですけど」と言ったら、しっかり、精神分析的精神療法の研究室への紹介状を手渡してくれた。

 そこに居付いたのは十二回(二十四週間。二週間に一度の面接)。良い精神療法家さんだった。

 その次は認知行動療法の教授の研究室。食べたもの、買ったもの、体重を記録するように言われた。「よかった探し」もやるように言われた。しかし重症強迫神経症はなかなか負けてくれなかった。

 でも父の死亡保険金で買ったワープロ(オアシス)で一日八時間原稿を書くようになると、症状は消えた。私が疾病利得を貪らなくなったからだ。 



  五


 八百万の神がいるという。人生はつらい! と思っていると街の人達の発している気が優しかった。

 去年の十月二十八日、平井の町に帰ってきた。住めば都。私は罪を犯しましたが、刑法三十九条の心神耗弱(責任は限定的)と思って許して下さい。

 こんな世の中…… でも、みんながそのつらさを共有している。

 町はみんなのもの。みんながコモディイイダに買い物に来る。

 あした、希少部位のミスジがあるといいなあ……

 私のような者にも老醜の足音は聞こえてくる。しかも卵殻膜を売っているオージオという会社名がイタリア語で「何もない」という意味だとは…… 年輪を重視して、むしろ若作りしない方が美しいのかもしれない。その会社の製品を買って毎日顔に塗ったのだが、特に効き目がなかった。

 人生の虚しさには詳しい。

 でも、そんな人どこにだっていそうだ。

 真っ直ぐな気持ちは必ず伝わる。

 本当だろうか。

 真っ直ぐって、飾らない気持ちっていうことかな。

 暴行、拷問、監禁などの被害で歪んでしまった私の心が元に戻っていくことかな。まあ少なくとも衒学的でなくなれば。

 私が知識階級、つまりインテリゲンチャであることから、いきなり人懐こくてかわいい不良少年のようにはなれないのである。インテリにはインテリの信ずるところがある。自分の学を熱を込めて述べるのだ。


 町にも戦争があるのだと思ったが、やがてそれは妄想であると気付いた。

 人生の虚しさ、しかし私は自分の仕事が小説家と決めたのだから、その道を行けば病気が治ってくる道も見つかるかもしれない。

 今日のおやつはえび満月の類似品。美味しかった。

「美味しかった」

 そんな声を、私はTにチキンスープを食べさせて聞き取りたかった。

 地獄少女まんまのTは、汚されて、恋人(私)を重症強迫神経症に苦しめられ、恨みのために赤い目になってしまったみたい。私は世間に対する憎しみの故に黒い目になった。

 人生は芥汁あくたじるを飲むお茶の時間のようだ。

 人生は希少部位ミスジをあきらめて牛肩ロースステーキを食べる昼ご飯時のようだ。

 私はTを想い、Tは私を想った。

 私は重症強迫神経症だった。近くにある手袋を取り、遠くにあるTとの婚姻届を取る方法を知らない、自分の首を絞める大愚そのものであった。


 汚されたTと結ばれることは不自然だ。あまりにも悲しい。

 Tにとって、私が十三回ほど拷問と監禁を受けたことは「裁判所は何やってるの」と思わざるを得ない不法の被害である。

 私はアニメを見て、Xをやって、小説を書いていればそれで良かった。共同体に入り、何だかよく出来た唐揚げを食べ、ビールを飲んで、美人だが残酷などこかの妻と緊張感のある対面をすることと比べると、私にとってはカトレアやきららの中にいることの方がずっと幸せだった。



  六


人生の峠は今川焼だ(そして中川さんだ)。それは私にとってたい焼きではない。だいぶ違った食べ物なのだと思う。

 今はアイドル声優ばかりだが、ひと昔前は、声優と言えば人並みの顔で、声だけ美しい(カッコいい)場合が多かった。

 私は原稿を書きつつ、リンゴを冷蔵庫から取り出したのは良さそうなものの、食べるのはしばらく原稿を書いたあとの遊んでいる時間にしようと思った。リンゴは歪んでいる実がおいしい。高級レストラン御用達の野菜は農薬を使っていないから、形がそろわないけど、味は抜群だというのだ。それと同じことではないのか。(たまたま農薬があまりかかっていない実?)

 身近に小説を読んでくれている人が増えてきた。出世の小さな兆しである。

 私も美しかったのは美青年だったあのころまでで、その後は少しづつ老化したに違いない。でも五十一の今でも周りの女の人達が好きになってくれるから、何らかのエロスのオーラを発しているのかもしれない。

 人生なんて夢だ。Tが汚されるなんて、何なんだよ。先進国には悪い気が充満していて、未開発国と違って品がない。

 文鳥のポックが原因不明の死を遂げるなんて。たったの十ヵ月で。かわいそうなポック…… 父も全身火傷で逝去した。

 何なんだこの世界。

 先進国だね。

 先進国とは何だね。

 幸せとは何かをはき違えた国だね。

 かつて東南アジアの未開発国の少女の意見がラジオで流された。「物は少ないです。鉛筆も紙も足りないです。でも夜になると星がきれいだから、私はこの国が好きです」というような意見だった。

 それが幸せ。日本が駄目な国と言われたみたいで、ショックだった。

 足尾銅山の鉱毒なんかもあった。いい国なわけないよ……

 何なの? この国。


(神がいるから、悲観することはない。いくら何でも一日に500のジュースを四本は多いけど、精神障害でないきららのスタッフさん達にならって、神のはたらきに反抗せず、どうか身を任せてほしい)


 これは神様からのメッセージであった。

 私はカトレアに時々来る女性看護師が「井川さんはこだわったら駄目」と言ったことを覚えている。私が過去に強迫性障害だったことを知っていたのだろうか。私はその「こだわったら駄目」(「こだわらない」)をスローガンにして暮らしてきた。そうしたら強迫症状をコントロールできている自分に気付いた。二つの品物の間であまり悩まなくなった。


 人生の虚しさがほぼなくなって、切り抜ける方法がほとんど神様だった。人間自身はあまり努力しなくていいのかな、そういう人が「普通の子」なのかな、と思った。

 多くの人は多少アホだろうと思った。アホでいいなら、人生楽かも?

 さっき述べた女性看護師が「アホになるといいんや」と言ったのである。アホになったら、小説のネタなくなっちゃうね……何か、わかんない。……

 今日のおやつはブラックチョコレート。昼ご飯はバターチキンカレー。夕飯はキハダマグロの刺身と、茹でブロッコリー。

 人生とは何か。快楽(感覚)、絆、感動。人生の寂しさが退いていった。代わりに川野さんや鈴原さんや福田さんとの絆がつながっていった。



  七


 朝起きたら、五時五十五分五十五秒というエンジェルナンバーに迎えられた。私は神様に「ファイブファイブをありがとうございます」と言ってお辞儀をした。

 最近、新米のあきたこまち二キロを買った。それはプラスチックのかごの中に収まっている。麦ご飯にして食べているせいか、新米でも味は変わらなかった。(じゃ、白飯にすればいいんだ)

 小説家として有名になるには、Xで面白いポストを書いていればいいのだ。まさにそうだ。……しかし私のはアクアパッツァみたいな派手なものではなく、おしゃぶり昆布のような地味な味である。

 中川さんが中小企業の出版社のチラシとおはぎ、黒豆茶を持ってきてくれたので、チラシを読んで、美味しいおはぎと黒豆茶を頂いた。チラシには「校閲係 月二十万五百円 昇進有 社保完」と書いてあった。

「ああ、校閲とか、出版社に入ってから作家になる人多いって言うよね」

 私は冷たい氷のように言った。

「嫌ならやらなくていいよ。井川さんが基本的に小説家しかやりたくないことは知ってるから。ただ、もしかしたら、と思った」

 中川さんとはもう赤い糸で結ばれている。

 要するに私は仕事をすればいいのだ。

 私は挽肉をピーマンに詰めて、クックパーを敷いたフライパンに載せて、鍋ぶたを置いた。美味しく出来たピーマンの肉詰めには中濃ソースとケチャップを混ぜた家庭料理のソースを塗った。

「美味しい! シェフになれるんじゃないの」

 中川さんは肉詰めも白飯もぱくぱく食べている。

「二つ以上の才能は不幸だ、って、西尾維新先生っていう作家さんが言ってるんだ」

 ボードレールを超える才はなかなかないはずである。井川律を超える才もあまりいないように思われた。こういう時に出てきてくれる業界人は、文学が心底好きな人だ。


(終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

細く長く生きる 水形玲 @minakata2502

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画