ガストロノミーを巡る食の考察

刻堂元記

第1話

 貴方はガストロノミーという言葉をご存知だろうか。これはギリシア語の「ガストロノミア(gastronomia)」から派生した言葉で、食と文化の関係を考察する美食学としての意味を持つ。ただここで言いたいのは、美食学が高価な食材を使った贅沢料理だとする一般的なイメージは大きな誤解であるという事だ。その為、ガストロノミーが含有する社会性を深く掘り下げるよりも前に、美食学本来の定義を今、はっきりと定めなければならない。従って、美食学は食に関連する様々な領域を網羅的に研究する行為だと前置きしておく。


 とは言え、ガストロノミーは最初、そこまで盛んだったわけではない。何故なら私たちはつい最近まで、とある深刻な問題を無視していたからである。それは地球温暖化。平均気温が長期的に上がる現象を指しており、気候変動が齎す影響に於いて、様々な弊害が出た結果。大気汚染・海洋汚染は広がりを見せ、生態系のバランスは致命的な迄に壊されつつある。


 そこで近年、当たり前である食事にサステナブルな価値を付与する新たな動きが、一部の場所で日常的に取り組まれるようになった。これは使われずに廃棄されてしまう食材の有効活用に留まらず、地元食材の取り入れ、器全体でのテーマ表現と多様であり、1つの側面だけでは示せない。


 では、器全体でのテーマ性表現とはどういうものか。例えるなら、リアルタイムで起きている問題を少しでも意識してもらおうと、敢えて可視的に盛り付けた斬新な料理方法だと言える。つまり森林破壊による砂漠化を一皿で表現すると仮定しよう。すると少なくとも、森林や砂漠は不可欠となる。また場合によっては、切り株や丸太などを付け足す料理人もいるかも知れない。しかし意外にも忘れられやすいのが食器だ。


 理由は簡単に想像できる。持続可能な料理をガストロノミーに基づいて提供する際、調理で使う食材にばかり囚われて他の要素が見え難くなっているからだろう。だが食器の選び方次第でも食の体験は変わり得る。勿論、そこに常に最適な正解はないが、使い捨ての紙皿という選択肢だけは全く推奨されない。


 故にガストロノミーを主とした料理には材料のみならず、その周辺要素においてもサステナブルな素材が環境への配慮を目的として多く使用されている。この持続可能性が生物を守り、未来に責任を担う。合理化された安い料理で社会が溢れ返る中、偶発的な出会いの側面が強く主張されがちなガストロノミーがこれからの食をどのように変えるのか。最初に軽く触れたキーワードを手掛かりに説明を行っていく。


 ガストロノミーが持つ社会性。端的に言えばこれが鍵になる。しかしながらガストロノミー最大の強みは社会性ではない。だとすると何がと問われるのは必然だが、既に答えは出ている。持続可能性、これ1択と断言しても良い。そこで誰もが尚更の事、気になる筈だ。何故、社会性であるかと。


 この疑問に関して、一元的な答えを示すのは全く以て容易ではない。その理由はガストロノミーが持続可能性以外の観点からも、様々な価値を価格に上乗せしているからだ。よってガストロノミーの理解度を高める際、観光といった見方にも着目しなければならない。これはガストロノミーツーリズムと呼ばれる旅行の楽しみ方が、観光客の間で注目に値する話題へと昇華されつつあるのが主要な要因として挙げられる。


 つまるところ彼らは従来の観光に飽きてしまった。であるが故に、ガストロノミーがそのまま旅行理由として機能する現象が今や当たり前となっている。加え、ガストロノミーがもたらす正と負の両面はある意味で、誰もが気付くほど顕著なまでに巨大化した。食を通じた人々の密接な繋がりに感心する一方、ガストロノミーツーリズムが孕む自己矛盾については、旅行自体がエコと真逆の活動だと指摘されなければならない。


 それでもガストロノミーツーリズムと呼ばれる現象は今後も続いていくだろう。まず第1に、開かれたサステナブルな食文化が個食や孤食を防ぐからである。この為、普段とは一線を画す慣れない食体験をテーマに、観光客同士で、あるいは観光客と料理人との間で活発な会話が生まれやすくなった。


 また第2の理由として、地域活性化が人口減の対策として真剣に取り組まれるようになった事も外せない。よって地域独自の魅力を食文化で発信し、観光客の増加を見込みながら移住者の拡大も図る、独自の戦略が地方の各自治体で見受けられるのも自然な流れと言える。


 だが前述の通り、ガストロノミーツーリズムは食の環境配慮と、旅行という環境負荷の両面を抱えた非エコロジーな体験だ。この事からガストロノミーツーリズムはサステナブルな食文化が日常的になるのとは対照に、一定のブームを堅持しながらも緩やかな減少を辿っていくのでは無いだろうか。


 そして、ガストロノミーを中心とした既存の食体験は国境を越えたグローバルな旅行から、地産地消を打ち出したローカルなものに変遷すると私は考察した。このローカル性が強いガストロノミーを、これよりローカルガストロノミーと名付け、ガストロノミーツーリズムとの比較を意味的な観点ではなく、社会課題である事象へのアプローチで説明を試みたい。


 とは言うものの、喫緊の問題に対する対策は全く違う。ガストロノミーツーリズム特有の取り組みが人を選ばない集客で知名度向上と食の可能性を追求するのに対し、ローカルガストロノミーは地元民を巻き込んだ徒歩経済圏での定期的な開催によるサステナブルな意識向上を狙っていく。


 だがそうなると、矛盾のない持続可能性は実現できるが、その他、社会課題の解消は無理ではないか。このような意見はマクロで捉えれば半分正しい。何故ならローカルガストロノミーが改善できるのは食と自然環境だけであり、少子高齢化や貧富の拡大などの政治的・経済的要因が大きい各種諸問題は、金銭的な支援という別の解決方法で対処する必要があるからだ。


 しかしガストロノミーツーリズムもそれは同様で、食と自然環境にしかアプローチは出来ない。だがローカルガストロノミーの場合、ガストロノミーツーリズムとは異なり一期一会の思い出で終わらず、むしろ持続的な住民交流に重きを置く。地域性の強い地元ならではの食材を採り、料理を作って一緒に味わう。アクティブな活動を一帯となって行うローカルガストロノミーは、サステナブルな食文化や伝統との密接な結び付きがある。多人数を介した地元密着のガストロノミーは、個食や孤食の防止、食育の場としての潜在性を複数併せ持つ。


 独自の地域性で食文化への造詣を生み、地元民の結束を深めるローカルガストロノミー。けれども全ての場所でサステナブルな食体験が実現可能という訳ではない。大都市や工業地帯などの非農業地域。主な例を挙げればこの2つに絞られるだろうか。勿論、そこには共通の要因が背景として存在している。土地の占有。つまりは構造物の集合が、農地活用の選択肢を奪う事で大都市も工業地帯も自らを成長させてきた。


 とは言うものの、本当にこれらの場所では持続可能な食を提供出来ないのか。地域性を纏ったローカルガストロノミーは依然、とても難しいのが現状だ。但し、ローカルな食体験に固執しなければ幾分か現実的になる。何故なら昨今、バイオテクノロジーを活かした食品が少しずつ市場に流れ始めているからに他ならない。


 それならどんな食品が流通しているか、2つの例を共有しながら話を進めたい。まず有名なのが培養肉。これは動物を殺さずに作られた食用の肉を指している。一般的なイメージでは牛や豚などの動物が対象だが、最近では魚などの分野でも研究が着手されるようになった。


 次にプラントベース。いわゆる植物由来の食品の事であり、肉や魚などに食感や風味を似せて作られる。代表的な種類としてのオーツミルクは勿論、大豆ミートも同様にサステナブルな食を実践する人々だけでなく、宗教上の理由で肉が食べれない層や、個人思想としての菜食主義者からも多数の支持を集めている。


 バイオテックな食品はやがて価値観すらも超越し、将来的には飢餓を救う力になるかもしれない。これにより都市型のガストロノミーは今後も割合を増やしてゆく。ほぼ確実な予測とは別に、バイオテクノロジーで生産された食べ物には健康面の問題が必ず付き纏う。曰く、手つかずの自然状態を人間を介して都合よく調整しているからと。事実どうか。加工品として流通するバイオ食に悪影響があるのかどうか、科学的かつ客観的なデータに乏しい為、今この場で明言するのは避けておく。


 けれども、他の不安要素を元に都市型ガストロノミーの成長を懸念する声は絶えない。深刻な反対意見の裏には、既存の農業や畜産が廃業に追い込まれるのではないかという恐れがある。しかしこの点に関しては杞憂に終わるだろう。その根拠として挙げられやすいのが都市特有の悩み、言うなれば物流への依存体質だ。従い、 越境して届く商品をバイオテックな物に置き換えればその分、農業や畜産への影響は軽減される。


 ここまでの説明で、旅トレンドとしてのガストロノミーツーリズムは地方を中心としたローカルガストロノミーに変化し、ローカルガストロノミーの難しい都市などではそれに代わる都市型ガストロノミーが発展するとの考察を示してきた。だが、再考の場としての持続性を食の観点で考える際、ガストロノミーは敬遠されやすい。そこで誰もがイメージする食品ロスを起点にして食文化への視点を共有する在り方が今、懸命に模索されているのは偶然ではなく必然的な時代の流れだろうか。

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