10−2. 封印片と読めない文

 廊下に出た途端、霧の白さが一段濃くなった気がした。

 外から流れ込んできたのか、それとも校舎の内側から滲み出しているのか――判断できなかった。


 体育館の扉が閉まる。

 その音が、六日目と七日目の境界を静かに断ち切ったように感じられた。


 僕たちは八人で並んで歩いた。

 足音が廊下の埃をかすかに巻き上げる。

 壁の蛍光灯は明るいのに、光が届いていない場所がぽつぽつとあった。

 まるで校舎が、光の入る場所と入らない場所を選び直しているように。


 白石がノートを抱えたまま、立ち止まった。

 その表紙は、六日間の湿気でほんの少し反っていた。


「……ここで、一度読んでおいたほうがいいと思う」


 桐生が周囲を見回す。

 「大丈夫か?」と言いたげな表情だったが、言葉にはしなかった。


 僕たちは、廊下の壁にもたれかかるようにして半円を作った。

 白石がページをゆっくり開く。

 紙がこすれる音が、耳にやけに大きく響いた。


「七日目について、祖母が書いていたのは……たった数行だけ」


 白石は震える指で一つの文を指した。


「“三つの剥落が揃うとき、封は揺らぐ”」


「剥落って……封印媒体の破片、だよな?」

 神谷が低く確認する。


「そう。祖母は“破片”や“欠片”って言葉を、全部“剥落”って呼んでたみたい。

 ……でも、この文だけだと、何が揃うのか、何が揺らぐのかが分からない」


 分からない、という言葉がまた落ちた。


 白石は続けた。


「……もう一行だけ、“選ぶのは内に生きた者たち”ってあるけれど、

 何を選ぶのかは書かれていないの」


「じゃあ俺たちが勝手に……解釈するしかねぇってことか」

 桐生が呟いた。


 その瞬間、天井のスピーカーが小さく鳴った。

 ピリ、と電流が走るようなノイズ。


 ――ザ……七……

 ……記……ろ……く……

 ……残……す……写……


 単語になりかけた音が、途中で途切れていく。

 その断片だけが耳の奥にくっついて離れなかった。


「……今の、“残す”って言った?」

 成瀬が怯えた声で言う。


「いや、分からん。ただのノイズかも」

 神谷が否定するように言った。

 けれど、その顔は不安でこわばっていた。


「でも……誰かが“残る”ってことじゃないの?」

 山下が小さく言った。


 沈黙が流れる。

 七日目に入ってから、初めて“誰かが残る”という言葉が、はっきり空気の中に置かれてしまった。


「違うよね……?」

 山下が僕を見る。

 でも、僕にも答えられなかった。


「……ノイズだよ」僕は言った。

 自分に言い聞かせるように。

「意味なんて、俺たちが勝手に補ってるだけかもしれない」


 白石がそっと頷いた。


「祖母は“選ぶ”としか書いてないから。

 “誰かが残る”なんて、一度も書いてない。

 それは……たぶん、私たちが六日間で勝手に作った“物語”なんだと思う」


「物語……?」滝本が繰り返した。


「うん。

 怖いと、答えの形を勝手に作っちゃう。

 “誰かが残れば助かる”とか、“一人犠牲にすれば終わる”とか。

 ……そういうのって、都市伝説とか、怪談と同じで……

 状況のほうじゃなくて、私たちのほうが作ってしまうものなんだと思う」


 その説明は正しいように聞こえた。

 けれど僕の中には、どうしようもないざらつきが残った。


 誰か一人が残れば終わる――

 本当に、そんなルールがあるのだろうか。


 スピーカーが突然また揺れた。


 ……選択……

 ……八……

 ……写し……戻……


 また断片。

 聞いた瞬間に意味が掴めそうで掴めない。

 “八”という音が、「八人」を指しているのか、「八度目」を指しているのか、全然分からない。


「……これ、マジで意味がわかんねぇ」

 桐生が額を押さえた。


「意味を決めちゃダメなんだよ」

 美咲が静かに言った。

 僕たちはその声に自然と耳を向けた。


「だって、決めた瞬間、それが“ルール”になるんだもん。

 神代が言ってるんじゃなくて、私たちが勝手に作っちゃうんだよ。

 それが一番危ない」


「危ないって……?」僕は訊いた。


「だって、“誰かが残ればいい”って結論ができちゃうから。

 それって、神代が望んでることじゃないの?」

 美咲の声は震えていなかった。

 ただ、静かに真実だけを置くみたいな声だった。


 僕は壁時計を見た。

 七時五十九分。

 時間だけは、律儀に進んでいく。


「……封印片は?」

 神谷が訊いた。

「三つ揃ったけど、何の役に立つか……分からんよな」


「分からない。

 でも、祖母の手記には“揃ったとき、封が揺らぐ”ってしか書いてないから……

 “揺らぐ”が何を意味するかは、私にも分からない」


 白石は封印片を掌に乗せた。

 三つの不規則な欠片。

 どれも、ほんの少しだけ温度を持っている気がした。


「……ねぇ、それ、本当に動いてないよな?」

 山下が怯えた声で言った。


「動いてない。ただの欠片だよ」

 白石はそう言ったが、僕はその“ただの”という言葉に少しだけ抵抗を覚えた。


 欠片は確かに動かない。

 でも、“置かれる場所を待っている”みたいに見えた。


「とりあえず、体育館に戻るのは無しだな」

 桐生が深く息を吐いて言った。

「展示の跡だし、あそこにいるのは……良くねぇ」


「じゃあどうするの?」

 成瀬の声には、泣きそうな気配があった。


「地下に行く」

 僕は答えた。

 その言葉は自然と口から出ていた。


「七日目の“選択”があるとしたら、あそこだ。

 でも、選ぶ内容は……分からないまま行くしかない」


 白石がノートを閉じ、胸に抱きしめた。


「選ばないといけないけど、

 “何を選ぶか”は、向こうに行くまで分からない――

 祖母もたぶん、そうだったんだと思う」


 僕は深く息を吸った。

 霧の白が胸に入り込んでくる気がした。


 壁時計が八時を指した。

 秒針が、小さな音をひとつ落とした。


 僕たちは歩き出した。

 選択が何なのかも分からないまま、

 その答えの前に立つためだけに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2026年1月15日 20:00
2026年1月16日 20:00
2026年1月17日 20:00

閉ざされた校舎の七日間 ― 芸術の檻 ― さかもと まる @sakamoto_maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画