10章. 光を閉じる日(七日目朝〜)

10−1. 終わらない六日目のあとで

 視界は白かった。

 霧の色が、体育館の窓の向こうにべったり貼りついたまま、何時間経っても剥がれない。


 高瀬の姿だけが、夜明けとともに跡形もなく失われていた。

 九人で組んだ円陣は、静かに“八人の輪”へと縮まっていた。


 外に朝が来たのか、夜が深まったのか、それとも六日目の続きなのか――僕には判断できなかった。

 ただ、体育館の壁にある時計だけが、ゆっくり時間を進めていた。

 秒針が刻む小さな音が、誰も喋らない空気を細く切っていく。


 僕たち八人は、ステージの前に集まって座っていた。

 ついさっきまで、ここには十一の“展示”が映っていた。

 スクリーンは取り外したみたいに真っ白なのに、そこにあった“光の跡”だけが壁に残っているように見える。

 視線をそらしても、その残像はずっと僕の背中を触ってくる。


 桐生が立ち上がり、窓際まで歩いた。

 霧の向こうを覗き込むようにして、静かに息を吐く。


「……やっぱり、全部真っ白だな。外がどうなってんのか、全然わかんねぇ」


 彼は言葉の端で苦笑した。

 諦めでも開き直りでもなく、ただ“もう何も読めない”という種類の静けさだった。


 美咲は僕の近くで、体育館の床に広げられた毛布の跡を見つめていた。

 誰かがいたかもしれない形を、なぞるように手を滑らせる。


「……西尾も、河原も、三井も……全部、あの“十一の枠”に入ってたんだよね」

「……ああ」


 言葉にすると何かが音を立てて終わってしまいそうで、僕はそれ以上続けられなかった。


 白石がノートを胸に抱えたまま近づいてくる。

 彼女の目の下にはくっきりと疲れが沈んでいたが、それでも揺らがない芯のようなものがあった。


「六日目が終わった、と祖母の記録にはあるの。

 “展示の行程はここまで”って。……でも、七日目については、ほとんど書いてなかった」


 白石はページをそっと開き、震える指先で一行をなぞった。


「“剥落が揃うとき、封は揺らぐ”……それだけ」


「封?」滝本が訊いた。

「封って、封印のことか?」


「多分。祖母は“七日目は記録ではなく選択となる”ってだけ書いてた。何を選ぶのかは……分からない」


 分からない、という言葉が体育館の空気の底へ沈んでいく。

 その沈み方が、まるで誰かの落ちていく速度を測るみたいで、僕は喉を鳴らした。


 壁時計を見る。

 針は七時五十一分を指している。

 けれど、光の色は七時五十一分のものじゃなかった。

 霧が時間の表情を全部塗りつぶしていて、時計の針だけがこの世界の“外側”みたいに感じられた。


「六日目は、作品を揃える段階だったんだと思う」


 神谷がノートPCを閉じながら言う。

 僕たちが座るすぐ背後、ステージの暗がりをちらりと見て顔をしかめた。


「この体育館、たぶん“安全地帯”じゃない。十一の展示があった場所なんだ。つまり……」


 言葉の続きを飲み込んだ。

 けれど、僕たち全員が思った。

 ここは“展示の部屋”だったのだ、と。


 気のせいだと思いたかった。

 でも、ステージ裏の暗闇には、十一の影が並んでいたときと同じ“間隔”で、影とも光ともつかない濃淡が並んでいるように見えた。

 見ようとすると消える。

 見ていないと浮かんでくる。

 僕はその揺らぎから目をそらした。


「……ここに居続けるのは、違う」


 美咲が小さな声で言った。

 その声は震えていなかった。むしろ誰より静かだった。


「展示の“あと”に、この場所でじっとしてるのは……なんか、見られてるみたいで」


 僕はうなずいた。

 見られている。

 いや、“見られるために置かれている”感覚。

 それが一番怖かった。


「でも、どこに行くんだよ?」

 成瀬が声を荒げる。

 その声は怒りというより、迷いの出口を探しているだけのようだった。


「外にも、地下にも、階段にも……どこにも、もう“普通の場所”は残ってないんだぞ」


「分かってる。」桐生が答えた。

「だから、決めなきゃいけねぇんだよ。ここで固まったままか、動くか」


 神谷は腕を組む。


「六日目までが“展示”で、七日目が“選択”なら……選ばないと先に進まないってことなんだと思う。ただし、それが何を意味するかは、分からない」


「選ぶって……何を?」

 滝本が呟く。


「分からない」

 白石が言う。

 その声は苦く、それでもどこか覚悟のようなものがあった。


 僕は壁時計をもう一度見た。

 七時五十五分。

 時計だけが時間を進めている。

 この体育館が、そして僕たちが、六日目のまま止まってしまわないように、と言わんばかりに。


「……行こう」

 気づけば、僕が口を開いていた。

 声は震えていたけれど、はっきりしていた。


「もう一度、地下へ。あそこに“七日目の答え”があるかもしれない」


 成瀬が口を開きかけて、閉じた。

 山下が不安そうに靴のつま先を見つめる。

 滝本は深く息を吸った。


 美咲が僕の袖を軽くつまんだ。

「……行こう。真一が言うなら、行く」


 その声が、僕の背中を押した。


 白石はノートを抱き直し、桐生はナイフの鞘を確かめる。

 神谷は懐中電灯を点け、成瀬と山下は互いの手を握り、滝本はスケッチブックを閉じた。


 八人全員の足音が、体育館の床で一度だけ揃った。


 扉の前に立つと、霧の白がこちら側まで流れ込んできた。

 冷たくて、どこか湿っていて、まるで“七日目が始まった”と告げに来たみたいだった。


 僕は扉に手をかけた。

 指先が少し震えた。

 その震えを押し殺すみたいに、深く息を吸う。


 壁時計が、七時五十六分を指した。

 秒針が、小さな音をひとつ鳴らした。


――七日目は、終わらない六日目の続きとして始まった。

 その続きがどんな形をしているのか、僕にはまだ分からない。


 ただ、選ばなければならない。

 何かを。

 どこかで。


 僕たちは、扉を押し開けた。

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