四日目の留守番電話

東雲 千影

四日目の留守番電話

――仕事へ行くのが辛い。

 そう思いながら揺られる都営地下鉄の中。小説の文字に目を落とすが、今日はページをめくる気力もない。


――オフィスへ着くと、既に先輩達がキーボードを力強く叩き、大きな声で電話している。


「おはょざまーす。」


 僕は呟くようにそう言いながら着席する。


 古くさいノートパソコンの電源ボタンを押すと、もう一度立ち上がり、トイレに行った後、自販機まで缶コーヒーを買いに行く。

――いつものルーティンだ。


 朝十時の朝会が始まる。先輩は、今月の営業数字について、見込み案件を胸を張って説明していた。後輩も小さい額ではあるが、見込みとなりそうな案件がちらほらと出てきたようで、嬉しそうに発表していた。

――自分にもこんな時期があったような気もする。


「…えっ。あっ、はい。見込み…今のところないっす。……頑張ります。」


 別に怒られる事もなくなった。ただ冷たい視線と溜め息を浴びるだけだ。

――営業数字がいくら悪かろうと毎月の給与は入ってくる。

――頑張った同期が表彰され、賞与に帯が付いたと聞くと、羨ましいと思うと同時にどこかでやる気が削がれていく気がした。

――本気を出して届かない程悔しいものはない。

――だらけて負けたのなら当たり前だったと割りきれる。


 お昼休み、僕は近くの定食屋で唐揚げ定食を注文した。


――あっ、着信履歴。――取引先かな。――お昼食べてからでいっか。


 そう思いながらも、履歴画面を見た。


『非通知設定』


 見ると留守電が残っている。僕は定食を待っている間に聞いてみることにした。


『――あっ、もしもし。』


 初老の男のしわがれ声。そして男は申し訳なさそうに言う。


『――今日、仕事休みます。――体調が悪くて。』


 留守電はそれだけだった。


「お待ちどうさまー。唐揚げ定食でーす。」


――間違い電話か。


 僕はそう思いながら唐揚げをかじった。

 しかし、声だけでも分かる。――やる気のないだらしのない声。――絶対にメタボ体型だ。そして絶対に小汚なく禿げている。


 翌日、再び留守電が入っていた。――いつの間に掛けてきていたんだろう。


『――――あっ、もしもし。』


 あの男のしわがれ声。


『――――今日も、仕事休みます。』


 またもそれだけだった。しかし、男の声に罪悪感の色はなくなっていた。


 僕は刺身定食の鯛の刺身を頬張りながら、この男のみじめな無断欠勤を、どこか安全な場所から見下ろす優越感に浸った。


 さらに翌日も、留守電。


『――――あっ、もしもし。――――仕事休みます。』


――もう辞めちまえよ。


 四日後、まだ留守電が入った。


『――――あっ、もしもし。―――もう、疲れたんだよ。――もうしんどい。――俺も頑張ってるんだよ。――でももう疲れたんだよ!』


 なんか男の様子が違った。電話の向こうで癇癪を起こして叫んでいるようだった。

 そして、男の怒鳴り声が途切れた静寂の直後、ゴォォ…という、都営地下鉄のレールを擦るような、低く、湿った駆動音が微かに響いた。


――その音を聞いた瞬間、僕は自分の身体の奥底が、ひどく冷たくなったのを感じた。


 ふと、頭に浮かんだのは一つの確信だった。


―――この電話の男――か。

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