其の十四 死の流し方
カレンダーが最後の一枚になり、一月の帰省がすぐそこまで迫っている。
蘆名教授から紹介された青川くんを私の故郷――狭名倉へと案内する。その約束は、日を追うごとに私の胸の奥で、冬の冷たい水滴のように重く、冷たく、確かな質量を持ち始めていた。
社会人として数年、ロジックを組み立てたり予測や仮説を立て需要調査が必要な仕事に従事してきた今の私にとって、故郷の風習は「分析の対象」であるべきだ。だが、あの土地の記憶を掘り起こそうとするたびに、思考がかすかに震えるのを止められない。
私は、ウォークインクローゼットにある書類入れの片隅で眠っていた古い取材ノートを引っ張り出した。
表紙の角が擦り切れたそのノートは、私がまだ大学生だった頃――大叔父の四十九日を終え、ようやくあの「背後の澱み」から解放された直後に綴られたものだ。
当時、大学二回生だった私は、故郷・名倉の「死者を閉じ込め、見張る」という湿った圧迫感に耐えかねていた。あの、どこまでも付きまとってくる「視線」の恐怖から逃れるために、私は正反対の思想を持つ土地の記録を、救いを求めるようにして貪り読んでいたのだ。
ページをめくると、東北の内陸部を訪れた際、まだ焦燥と幼さが混じり合った筆致で記された「死を流す村」の光景が、鮮明な映像を伴って蘇ってきた。
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その土地、東北の深い山々に抱かれた盆地の集落に足を踏み入れたとき、私がまず感じたのは「徹底した隔離」による、奇妙なまでの清涼感だった。
そこでは死は、寄り添うべき悲しみでも、敬うべき神格でもなかった。あくまで「処理すべき不純物」として、驚くほどシステマチックに、かつ淡々と遠ざけられていたのだ。
その集落では、古くから死を「穢れ(けがれ)」と呼ぶ。
しかし、それは都市部で語られるような道徳的な汚濁や、宗教的な罪とは根本的に異なる概念だ。彼らにとっての死は、生の健全なサイクルからこぼれ落ちた「異物」であり、放置すれば土地の均衡を腐らせる「機能的なバグ」として認識されていた。
何より衝撃的だったのは、家族が亡くなっても村の人々は声を上げて泣かないことだ。
むしろ、沈黙こそが最大の供養であり、美徳とされる。泣くという行為は、生者の情によって死者をこの世に繋ぎ止め、結果として「穢れ」を土地に長く留めてしまう不衛生な執着であるとみなされるからだ。彼らにとっての慈しみとは、死者を抱きしめることではなく、一刻も早く「手放す」ことだった。
死者は速やかに、そして音もなく「送られる」。
それは弔いというより、「移動させる」という表現が相応しいものだった。
遺体を載せた棺は、決して村の中央を通ることはない。
村の中心を貫く一本道は「生の道」と呼ばれ、日々の営み、収穫、婚礼、産声――そうした命が増幅する出来事だけが通過を許される聖域だと聞いた。死という「マイナスの事象」がそこを横切ることは、土地の呼吸を乱し、実りを阻害すると信じられていた。
死者は常に、裏山に沿った、昼なお暗い獣道のような細い道を通って運ばれる。生者の領域にその影を落とすことさえ、彼らは厳格に禁じていた。
火葬場は、村外れの深い谷の底にひっそりと佇んでいた。
村人はそこを「火葬場」とは呼ばず、「落とし場」と呼んでいた。
死という穢れを、炎によって灰に変え、土に落とすための場所。
葬儀においても、死者の俗名が呼ばれることはない。
それは名倉のように「名を呼ぶと魔が差す」という、畏怖からくる禁忌ではなかった。排出されるべき不純物を、固有の名前という「呼び鈴」でわざわざこちら側へ呼び戻すべきではない――。切り離す、そんな、外科手術のような合理性に基づいた沈黙だった。
呼ばれるのは、常に屋号か、あるいは生前の役割に限定される。「の老爺」「川向こうの嫁」。個人の人格を消し去り、記号へと還元することで、彼らは死を安全に処理可能な「物」へと変えていたのだ。
忌中の期間も、信じられないほど短い。
死後三日も過ぎれば、遺族は完全に日常に戻ることを強く要求される。いつまでも悲嘆に暮れ、喪失を引きずる者は、穢れに固執する不潔な者として、昔は村のコミュニティから静かに、だが確実に距離を置かれる。
当時、私が話を聞いた古老の言葉は、二十歳そこらだった私の心に、抜き差しならない楔として打ち込まれた。
「死は悲しむもんじゃない。汚れた水と同じだ。流さなきゃ、大事な土地が穢れ腐る」
古老の瞳は、どこまでも澄んでいた。そこには死者への冷酷さなど微塵もなく、ただ「生を継続させる」という重い責任感だけが宿っていた。
この村には、誰の目にもつくような場所には墓地が存在しない。
死は記念されず、碑も立てられず、土地の記憶の外へと静かに流し去られる。そうすることで、残された人々は、死の重みに押し潰されることなく、清らかな「生」だけを謳歌し続けることができるのだ。
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ノートを閉じ、私はそっと左手首に触れた。
あの日、大叔父から託された時計が、今日も冷徹な金属の律動を刻んでいる。
大学生だった私は、東北のこの話を「名倉とは違う、乾いた知恵」として、憧れにも似た感情でまとめていた。狭名倉の、あのドロリとした湿り気、死者が常に肩越しに覗いているような不気味さから逃れたい一心で、私は「死を流せる土地」の合理性を称賛していたのだと思う。
けれど、社会人になり、地層を読み、歴史の重層性を理解し始めた今の私にはわかる。
東北のあの村が、死を「汚水」として外へ流し去ることができるのは、あそこの地層が、文化が、あるいは物理的な地形が、外の世界へと「抜けている」からだ。
翻って、一月に向かう私の故郷はどうだ。
四方を険しい山に囲まれ、冬になれば閉ざされた雪の牢獄となる狭名倉。
あそこは、流せないのだ。
名を封じ、屋号を被せ、魔に懐剣を抜き、葬式という儀式が終わるまで寝ずの番をしてまで死を見張り続けなければならないのは、あそこが底の抜けない「巨大な器」だからではないか。
死という重石を、何百年、あるいは千年以上も、どこにも逃がさずに溜め込み続けている場所。
葬儀の夜、懐剣役を務めた私の背後に張り付いた、あの不快で湿った「澱み」。
あれは、名倉という器がすでに満杯になり、縁から溢れ出した死の雫だったのではないか。
東北の村が死を「川」に変えて流すなら、名倉は死を「沼」に変えて蓄積する。
流せないからこそ、溜まっていく死の圧力に耐えるために、あの異常なまでの禁忌と祭祀という「蓋」が必要だった。
そう考えると、一月の帰省が途端におぞましい意味を帯びてくる。
青川くんという、純粋で鋭利な「外からの好奇心」を連れて、あの飽和しきった器の淵に立つ。
もし彼の無邪気な一言や、論理的な分析が、器に細かな「ひび」を入れてしまったら?
蓋が外れ、溜まりに溜まった死の地層が、一気に噴き出してきたら?
私はノートを鞄に押し込み、震える指先を隠すように拳を握った。
一月の帰省まで、あとわずか。
かつて大叔父は、私に「地層を読め」と言った。
けれど大叔父さん。もし、その地層の一番底に、決して暴いてはならない、流れることを拒んだ「何か」が凝り固まっているのだとしたら――。
私はまだ、その答えを知る覚悟ができていない。
それでも時計の針は、容赦なく、私を故郷の雪解け前の静寂へと引き戻そうとしている。
郷の影譚 乃東 かるる @mdagpjT_0621
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