◆第一章 親殺し






父は笑っていた。


痩せた背を丸め、隣家の子に米を分けてやったときモな。


「腹を空かせているから、仕方がないだろう」――そう言った。


……はァ?

俺たちはどうするんだヨ。


米櫃は空っぽだった。

底を指で引っ掻いても、乾いた木肌が爪に当たるだけ。


茶碗はすでに空で、箸で何度も掻き回しても木目が浮くだけ。


部屋の隙間風が頬を刺し、冷気が腹の奥に沁みわたり、空腹の痛みをさらに締め上げた。


俺の胸は焼け、咳き込みそうになった。

渚も同じく唇を乾かし、痩せた肩を強ばらせていた。


それでも父は隣家に米を運び、戻ってきてから笑ったのだ。


母は何も言わなかった。


ただ黙って頷き、冷え切った湯呑を片づける。

その仕草すら機械的で、俺に眼を向けようとしなかった。


あの眼はいつだって俺を避けていた。


白い髪と赤い目を気味悪がって、薄暗い隅に追いやる眼。


「おまえは災いだ」――そう言外に突きつける視線だった。


あぁ、見てるかイ?


これが俺の家族さァ。

善意に酔って、化け物を産んだことを悔やみ続けてる連中なんだヨ。


渚だけは違った。


あいつは俺の赤い目を恐れなかった。


幼い頃から、泣きも怯えもせず、ただじっと俺を見ていた。


けれど——その視線が俺を責めていた。

「なぜ? 兄さん」——言葉にせず、ただ黙って突きつけてくる。


同じ顔をしていながら、中身はまるで逆。

菩薩のような眼で、俺を修羅の舞台に引きずり出す。


苛立ちが胸をひりつかせた。

何度も、何度もだ。


善意だとか、可哀想だとか、赦しだとか。

そんなものを押しつける眼が——何よりも気色悪ィ。


俺は包丁を握った。

柄に染みこんだ古い脂が指先にねっとりとまとわり、鼻を刺す臭いがした。


刃が肉を裂いた音は、舞台の効果音みたいだった。


父の肩、胸、腹。

何度も、何度も。

刃先が骨に当たるたび、腕に震えが走り、温い血が飛び散る。


幕が鮮やかに染まっていくんだァ。


母は声を上げかけ、すぐ途切れた。

その顔を斬りつけた瞬間、眼の奥にあった恐怖が静かに消えた。


骸になるとは、こういうことか。


命が舞台から退場していく瞬間を、俺は刃越しに見届けた。


渚の声が震えた。


「兄さん……」


その一言にすら、苛立ちを覚えた。

俺を責めるように響いたからだ。


こいつはいつもそうだ。


双子だから、言葉を交わさなくても俺を理解していた。


たぶん今も、この苛立ちも。

怒りも、高揚も、血に酔った興奮すらも——全部わかっているんだろう。

それでいて、最後には赦そうとする。


あァ、いやだ。

偽善、憐れみ、赦し。

反吐が出らァ。


父の眼は開いたまま、母の手は宙を掴んだまま。

血溜まりの中で二人はただの骸になった。


俺は立ち尽くし、震える膝を押さえながら笑った。


ははははァ……!


これが俺の幕開けだ。

俺の苛立ちが、血に染まって花みたいに咲いた瞬間なんだヨ。


父と母は、もう骸になった。

血の匂いが充満する舞台の真ん中で、俺は立ち尽くした。


渚の視線が胸に突き刺さる。

それでも――笑いが止まらなかった。



「……幕開けにしちゃあ、派手すぎたかナァ?」

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業華/誕 神田或人 @kandaxalto

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