多くを語らぬ君と、耳を傾ける僕と

岸亜里沙

多くを語らぬ君と、耳を傾ける僕と

圧倒的な静謐せいひつが、ざわめきにも似た残響を生む。

僕は君をじっと見つめる。固く閉じられた口元には、悲壮感が漂い、止めどなく溢れる透明な感情にそそのかされないように、君は声帯から言葉が無意識の内にこぼれぬよう必死に抗う。

どれほどの時間が流れただろう。凪の海で立ち往生した帆船のように、僕らの周囲だけ時間が静止している錯覚に陥る。

このまま、脆弱ぜいじゃくで静寂の宇宙に取り残されたまま、感覚だけが研ぎ澄まされていくのだろうか。

僕はひたすら待つ。君の口から言葉が漏れるのを。

息遣いひとつも見逃さないように、視線は反らさない。唇が微かに動く振動でさえ、今なら感じられるだろう。

君が話したい事がなんなのか、僕は気付いているが、僕から話しかける事はしない。ただ君が喋るのを待つ。君の口から直接聞きたかった。

あまりにも不安定に積み上げられた積み木のように、何かひとつの重心を失えば、君の感情も崩れてしまうのが分かる。下手に触れては逆効果だ。

この沈黙という名のシェルターを、破壊する術を持ち合わせない僕らの未熟さに、僕は嫌気が差す。

僕は掛ける言葉が、君は話す言葉が見つからない。

狭く肌寒い部屋に射し込む陽も、どこか健気けなげで、控え目な光へと変わった。

「……伝えなくちゃいけない事がある」

とてつもなく長い無言の時を経て、君がようやく絞り出した言葉。

僕はまばたきもせず、君をただ見守る。

「だけど、まず何から、話そうか…」

君はまた思案するように黙った。

しかし言葉という物質により、急激に圧縮する部屋の空気に屈したのか、君は口を開く。

「キミのママを殺したのはボクだ。許してくれ」

君の告白に、僕は驚かない。なんとなく気付いていた。君の罪を。

「ボクはキミのママの財布から、金を盗んだんだ。それがバレて、ボクの親に言うって。だからボクは何度も謝った。だけど許してはもらえなかった。だったら警察に言うと。だからボクは、つい持っていたナイフで、キミのママを刺した。本当に悪かった」

現場に残されていた靴跡を見た時から、僕は知っていた。君が事件に関わっていた事。

だけど僕は黙っていた。警察にも言わず、父親にも言わず。

だからこの瞬間を待っていた。君の口から直接謝罪と経緯を聞く為に。

「だからキミの目を見るのが、怖かった。ボクの内面を見透かされているようで。ボクは耐えられなかった」

君が話す言葉を、僕は無表情のまま聞いている。自分の感情を直接表現する言葉は、必要なかった。ただ僕は黙って耳を傾けるだけ。

「不安、恐怖、そして…死。それがボクの動機。全てだ。キミをその椅子に縛りつけてしまっている事、本意じゃない。分かってほしい。キミを殺した事も。もうボクの声も、キミには届いていないだろうが…」

僕の意識は、この椅子に座った時から既に無かった。しかし僕の魂は、この部屋に留まり続けた。君の言葉を聞くまでは。

君は立ち上がり、部屋を出ていこうとする。

僕の肉体だけは、椅子に座ったまま。

「僕も君に伝えなくてはいけない。君の妹を殺したのは、僕だ。君の妹を強姦レイプし、首を絞めて殺した。だから僕は君が首を絞めてきた時、抵抗しなかったんだ。これが償いだと思ったから。だけど僕はこれで自由になれる。何にも怯えずに…」

僕の発した言葉は、君に届かなかったはずだ。だけど君はドアの前で一瞬立ち止まり、僕の方を向いて頷いた。「知っていたよ」と言いたげに。

お互い、これが贖罪しょくざいになったのかは分からない。だけどこれで良かったんだ。

君が部屋から出ていくと、また無音の時が訪れる。

僕ももう行こう。

肉体だけはここに、残したまま…。

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多くを語らぬ君と、耳を傾ける僕と 岸亜里沙 @kishiarisa

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