第5話
ハロウィン当日。キッズコーナーでワークショップの準備をしていると、植物園の職員ジャンパー姿の笹川さんが段ボールを抱えて現れた。
「小野さん。こんな感じでどうですか?」
箱の中には、細工されたミニカボチャがぎっしり。
「素敵……ありがとうございます」
飾り付けを終えた書棚の上に並べていく。笹川さんも、壁の折り紙に触れないよう気を配りながら手伝ってくれた。
カボチャにはアルファベットが一文字ずつ彫られていて、順に置くと「HALLOWEEN」。
両端には表情の違うオバケカボチャが二つずつ並べられるようになっていた。
「急にお願いしたのに、本当にありがとうございます」
「いえ。終わったら回収に来ますね」
「あの、しばらく飾っておいてもいいですか?」
「もちろん」
並べ終えると、彼は段ボールを片手に”では”と足早に図書室を後にした。
「今の、笹川さん?」
入れ違いで真弓さんが事務所から出てきて、閉まりかけたドア越しに背中を見送る。
「ご存じなんですか?」
「うちの夫、植物園勤めなの。とはいっても、笹川さんは研究員でうちの旦那は管理作業員なんだけど。小野さん、知り合い?」
「お隣さんなんです。この飾りをお願いして」
並べたカボチャを見せる。
「へえ! 小さな町はすぐ繋がるわね。笹川さん、以外だわ。こんな特技があるとは」
ちょうどその頃、親子連れが集まり始めた。用意していた材料を机に広げ、子どもたちを迎える。
◇◇◇
ワークショップは大成功だった。保護者の協力もあり、長谷川さんと二人でなんとか子どもたちが楽しめるように回し切った。。
「このカボチャ、すごく可愛い! 職員の方の手作りですか?」
帰り際、姉妹の手を引くお母さんが声をかけてくる。
「いえ、得意な方がいて、その方からお借りしています」
「素敵ですね。大人向けのワークショップもやってほしいです」
そう言って、微笑みながら帰っていった。
そんな声があったことを、笹川さんに伝えたかった。
◇◇◇
夜。焼き菓子を紙袋に入れて、インターホンを押す。反応が無い。
ふと、ガレージの方から灯りが漏れているのに気づく。
「こんばんは」
車の奥の人影に声をかけると、薄手のカーディガンを羽織り、眼鏡をかけた笹川さんが顔を上げる。
「あ、こんばんは。すみません。インターホンに気づかなかったかも」
「いえ。今日はありがとうございました。すごく、喜んでもらえました」
「本当ですか? そう言ってもらえると嬉しいですね」
「棚の“HALLOWEEN”。子どもたち、ずっと見上げてました。親御さんからは、”大人向けのワークショップはしないんですか?“って」
彼の後ろ、作業台には、大きなカボチャが置いてある。
「新作ですか?」
「植物園の散策通路用のランタンなんです。昨日、1つ割れてしまったので、新しいのを」
「……作業、ちょっと見ててもいいですか?」
カボチャのこの硬い皮にどんな風に細工をするのか、見たいと思っていたのだ。
「え? そんなたいしたことはしませんが…ご興味があるなら」
「ものすごく、あります」
笹川さんの耳がほんのり赤くなる。
中をくりぬく作業の途中だったらしく。大きなスプーンのようなおたまのようなもので、中の身をグリグリと掻きだす。
「柔らかそうに見えますけど……」
「やりやすいように少しだけ温めてます」
なるほど。
「小野さんもやってみますか?」
気づくと夢中になって見ていたので、笹川さんの背中に張り付くような格好になっていた。
「……す、みません。見入ってました。こんなに身がいっぱいあるのに、もったいないですね」
「これはランタン用のカボチャで美味しくないらしいですよ」
「そんなのがあるんですね……」
そう言いながら、渡された道具でカボチャの中をゴシゴシとそぎ取っていく。
「中はそんな感じでいいと思います。顔も作ってみますか?」
「え? でも、通路に飾るのにクオリティの低い物になったら申し訳ないですし…」
並んだカボチャの中で、1つだけひどく不細工になってしまっては申し訳ない。
「あはは、全然大丈夫ですよ。ほら、もう下書きはできてますし。こういうナイフを使うんです」
笹川さんは、細身の刃がついたナイフで器用に三角の目をくりぬいていく。それから、どうぞ、と私にナイフを手渡した。
「皮に対して垂直に刃を入れると切りやすいです」
私がかぼちゃを手で押さえナイフを皮に置くと、ためらいなく手を取って包丁の持ち方を調整する。
「こんな感じです。まっすぐ突き立てるようにして……」
刃をぐっと皮に刺したところで、笹川さんも何かに気づいたようだ。パッと手を離し、少し後ろに下がる。
さっきまで笹川さんの触れていた手の甲が、ぼんやりと膜を被ったように感じる。
「……あの、力を入れすぎると刃が滑るので、気をつけてゆっくり下書きの通りにナイフを動かしてください」
たぶん、私の耳が赤いのはバレていると思うが、今はナイフに集中だ。
笹川さんの動作を見ているときは、簡単に思えたが三角の角をキレイにくりぬくのは思いのほか難易度が高かった。
「ちょ…っと、片目だけすごく大きい子みたいになってしまいましたが……」
出来上がると左右の目の大きさが全然違う。
「大丈夫ですよ。こっちも目を大きくして、目の大きい子にしてしまえば」
ナイフを手に取ると、笹川さんがなんてことないように片方の目を一回り大きくして、さらに口を彫って全体の切り口を滑らかにしていく。
「やっぱり、違いますね。クオリティが」
「クオリティなんてそんな。ただのカボチャですから」
「でも、笹川さん、文字を彫ってたでしょう? あんな小さなカボチャに」
仕上げをしている笹川さんの手元を肩越しに覗きながら、丁寧な作業に感心する。
「確かに字を彫るのは、練習がいりますね。僕もいまだに小さな点とか囲いの中をうっかり切り落としてしまいますし」
笑いを含んだ声でそう言う。
「練習したら、私も自分の名前くらいは、彫れるようになりますか?」
「できますよ」
出来上がったカボチャを眺める。
「……名前、彫りましょうか」
「え?」
「このカボチャ。片目は小野さん作だから名前入れましょうか」
「そんな。植物園の物なのに」
「名前、なんておっしゃるんですか?」
いつかの玄関先の会話を思い出した。ちょっと顔が熱くなる。
「……はるか、です」
笹川さんは、マジックで顔の反対側の下の方に平仮名で“はるか”と下書きをすると、さっき顔を作るのに使っていたナイフよりもさらに細い長い刃のついたもので、字を彫り始めた。
静かな、でも穏やかで心地よい時間。ふっと顔を上げると作業台の向こうの、家に繋がるガラス戸にロウが丸くなっている影が見えた。
「はい」
出来上がった名前を笹川さんが見えるように持ち上げてくれる。
カボチャに彫られた自分の名前。
「これが植物園の通路にあると思うと、絶対に見に行かないといけない気持ちになりますね」
笹川さんは、道具を片付けながら「ぜひ、見に来てください」と笑う。
「お礼に焼き菓子と、あと、良かったらこれ。笹川さん、お花が好きそうなだから、嫌がられないと思って」
持って来た紙袋から、小さな額に入ったカボチャと魔女をイメージした押し花アートを見せた。
「小野さん。絶対、モノづくりする人だろうなって思ってたんですよ。すごいですね。カボチャは百日草の花ですか?」
「あ、そうです。笹川さん、さすがですね」
お互いのオタク気質がうまく合った。いい年をした大人が互いを褒め合う。でも、ここには私たちだけしかいないからいいのだ。
「よかったら、中へ。あったかいお茶、淹れます」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
笹川さんが扉を開くと、待ってましたというようにロウが体を起こす。
やかんが音を立てるまでの間、ダイニングの端にバランスよく置かれた植木鉢を見る。
「ハロウィンが終わったら、植物園でリース作りのワークショップがあるんです。良かったら来ませんか?」
笹川さんがこちらに背中を向けたまま言う。
「あ、はい。ぜひ……」
シンクに立って、ガスを止めティーポットにお湯を注ぐ動作を見つめる。
「笹川さん。嫌でなかったら、連絡先を交換していただけませんか? こんな風に、毎回私が突然押しかけてきたらご迷惑でしょうし」
彼の手が一瞬止まり、そしてまた動いて、ヤカンをコンロに戻した。
トレーに乗せたカップがゆらゆらと温かな湯気を漂わせている。
私の前にティーカップを置いて、目の前に座ると、笹川さんは自分の携帯を入り口近くのキャビネットの上から持ってくる。
「連絡先、交換してもらえると嬉しいです」
そう言って、互いに連絡先を登録し合う。
画面に並んだ“笹川湊”の文字。
「でも……その、小野さん」
笹川さんが、携帯の画面を見ながら言い淀んだ。
「はい?」
「できれば、これからも、何かあれば訪ねてきてくださると、とても嬉しいです」
笹川さんの首筋がほんのりと赤らむ。
「その…とても嬉しいと思います。ロウも僕も」
紅茶の湯気が眼鏡を曇らせて、彼の表情は読めない。
「はい」
小さな声で返事をした。
いつものように笹川さんの家を出て、自分の家の玄関先まで歩く。
玄関ポーチから笹川さんとロウが見守っている。今までは緊張したまま振り返らずに歩いた。
でも、今日は.....。
我が家の玄関ポーチまで来て、笹川さんの方を振り向き、家に入る前に手を振ってみた。笹川さんも手を振り返してくれる。
玄関ドアを背中にして鍵を閉める。そして、扉にもたれて、自然と唇を弓なりにして笑っている自分に気づく。
この歳になってこんな気持ちになることがあるなんて。
胸の内で生まれたなんともいえない感情が、自分をウキウキさせていることに気づく。
トリック オア トリート
犬の
これがどんな感情に育つかは、まだわからない。でも、淡々と過ぎていた日々に秋の彩のような鮮やかさをくれたのは確かだ。
「ふふふ。本当にハッピーハロウィンだわ」
そう呟くと、軽やかな足取りでダイニングへ向かった。
パンプキンレター けもこ @Kemocco
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