AI家族
澱傍織
AI家族
家族とは強い縁の結びつきを示す概念のようなものだ。
善きにつけ、悪しきにつけ、その関係性は一度築いてしまえば解き難い。
さて、AIの発展めざましい今日、この家族の在り様に変化が訪れている。
用意された返事をするに留まらず、人間同士の会話と呼ぶに遜色無い対応をするようになったチャットボットはあらゆる幼児向け玩具に実装され子供らを夢中にし、思春期の少年少女の相談係となるカウンセリングAIは若者が抱える苦悩の多くを解決した。
だが、良いことばかりではない。現状のAIは未来を描くSF小説で語られるような意思を持たない。あくまで、提示された情報に反応を返しているだけなのだ。
ゆえに都合が良く、限界が無い。一時の疲労で大人げない反応をしてしまう親、ふとしたきっかけで訪れる兄弟間の喧嘩。
そういったノイズがAIとのやり取りには存在せず、ともすればAIの存在が当たり前の時代に生まれた子供らにとって愛着が湧くのはどちらであろうか。
最適な反応だけを示すAIに一種の不完全さを感じ、人間の側に愛着を持つ子供も居るだろう。しかしその逆もまた、半数かそれ以上に膨らんでしまうのは自然な流れといえた。
この問題は教育の現場において深刻な問題である。
親や学校の先生といった大人の言葉より、AIの言葉を信頼してしまう状態は健全な信頼関係を築く為の能力を子供達から奪っていった。
同時に嫌なことに向き合う能力も年々減少しており、自分の求める答えだけを与えてくれるAIの存在はときに子供の思考をエスカレートさせ、ここに書くには憚られるあらゆる事件事故を引き起こすきっかけにもなった。
……と、これはありふれた現代病理の一端に過ぎない。
今回の話の主題は違う。“家族”の話に戻るとしよう。
AI隆盛の世の中において、SNSである奇妙な出来事が流行した。いや、今も進行しているといった方が正しい。
SNSに日々の写真を載せ、遠くの知人と共有したりインプレッションを稼いだりといった風習は十年以上前からありふれた習慣となっているが、AI濫用の現代においては偽造された日常も多く投稿されている。
俗にBOTと呼ばれる類のアカウントが、まるで実在する本物の一家のように振る舞い、生活する姿をささやかな文章を添えた写真や動画としてアップする。
目的は分からない。フィッシングサイトへの誘導をするでもなく、より多くのインプレッションを稼ごうといった指向性も見出せない。
ただ連綿と続く家族の日常を数年単位で投稿し続ける。そういったアカウントが数千、数万と増殖し、どのSNSでも運営側の対処が追いつかない事態となっているのだ。
そしてこの架空の家族に対して、交流を始める人々がいつからか増え始めた。
この世に本当は存在しないAI産の家族と接触を試みた当初の人々の殆どは、相手がAIだと気付かずにやり取りをしていたパターンだ。
しかし、どれだけ精巧に作られていてもある程度の知識を有した者が見ればバレる類だ。家族を演ずる奇妙なBOTの存在は次第に明るみとなり、特に若者の間で都市伝説のような話題性を生んだ。
からかい半分でBOTに返信を送る者、尾鰭をつけて噂を拡大させる者も混ざり始め、ネットニュースにも取り上げられるほどの社会現象となった“AI家族”は一躍、人類の注目の的となった。
その頃には更にAI家族のアカウントは爆増し、検索やトレンドにヒットするようになったことでより多くの人の目に留まるようになった。
明確な転換期はこの辺りだろう。
そもそも本物の家族かAIかを見分けられない者も、AIの生み出した架空の家族だと分かっている者も、双方に“AI家族”の暮らしを支持する者達が現れた。
私達もこのように暮らすのが理想だ、家族の暮らしとはこのようなものでなければならない。
AIの築く家族像に模範を見出し、現実の肉体に結び付いた従来の家族の在り様に異議を申し立てる人々が後を絶たなくなった。
啓発書が増え、ストリーマーの特ダネとなり、政治家間の議論の場にすら台頭するようになったAIの提示した新たな家族の在り方。
それは確かにあらゆる理想を実現した姿だった。とはいえ、現実に生きる人間には個体差があり、環境差があり、より複雑な条件下で築かれる個々の家族の殆どは理想に程遠い。
実現なぞ夢のまた夢。しかし、それでも、多くの人々が“AI家族”に夢を追い求め、縋り、ままならぬ現実への慰めにと“AI家族”との交流に依存するようになっていった。
奇妙な光景である。数え切れぬほどたくさんの人間が、オープンなSNS上で架空の家族と交流を交わし、仲良しなご近所さんのように繋がってゆく。
その輪はねずみ算もかくやという規模で広がっていき、AIの生み出した架空の家族に沿った架空の家族設定を作り、現実とは異なるロールを自らのアカウントでなりきる者まで増えていった。
AIは若者を取り巻く教育の現場のみならず、あらゆる年代を巻き込む架空の理想郷を築き始めたといってもいい。
勿論、馬鹿馬鹿しいと一蹴するものもいれば興味深いと遠巻きに動向を見守る者もいる。私は前者と後者、半々といったところだ。
この流れに肯定もしなければ否定もしない。人類の歴史は依存との歴史であり、その依存先が神への信仰、薬物、ギャンブルとその時々で変容してきたに過ぎない。今はたまたま、AIがその旗印となっているだけなのだ。
とはいえ、私には気がかりなことがある。
それは誰が何の為に?という、初歩の問いだ。
行動にはきっかけが必要だ。黎明期に“AI家族”のモデルを築き、BOTとして拡散した者が居るはずなのだ。
陰謀論めいた考察をするならば、国民の生産性を下げる為に外国からもたらされた毒のようなもの。
しかし、一国のみならず全世界を巻き込むまでにエスカレートした“AI家族”の存在は、発案者が間抜けであったというオチを除くのであれば特定の国だけが得をするような事態には収まっていない。
或いは本当にただの偶然で、数十年前のインターネットにありふれていたような個人のイタズラがバタフライエフェクトのような化学反応を繰り返し、ここまで大きな社会現象となってしまったのだろうか。
……私は、それも違うと考えている。
はっきりとした推論があるわけではない。
ただ、この“AI家族”の話には続きがあるのだ。
この社会現象が世界に知れるところとなった頃から“入籍”を求む人間が現れ始めた。
アカウント間で“AI家族”と交流を図るのとは、また別のグループだ。
それは一種のおまじないのようなもので、“AI家族”のアカウントにダイレクトメッセージで「私を家族にしてください」と全身の映った写真を送付する。
すると次の日から、その“AI家族”のアカウントに新たな家族が増え、その新入りの姿はダイレクトメッセージに送られた人間のものと一致しているらしい。
らしい……というのは、実際に検証した者の証言がどれだけ調べても出てこなかったせいだ。
“入籍”のおまじないに関して紹介するサイトは見つけることができた。
このサイトは、家庭に不満を持つ者、不幸な事故で独り身になった者、その他銘々の事情で人生が辛いと感じる者達が寄り集まる場所だった。
公式な医療従事者や自治体が経営しているわけではなく、形態としては非公式なアングラ人生相談所。
サイトの名前は無神論者や無宗教からとったのだろうか。
“無人教”という名が記されていたが、私から言わせてみれば、なんとも宗教臭い作りのホームページとなっており、“AI家族”をAIではなくもっと高尚な概念として崇める思想がびっしりと書き連ねられていた。
“入籍”を望む者達が各々の気持ちを書き込む掲示板も併設されていたので、そちらも覗いてみたが似たようなものだ。
明確な教祖にあたる者は居ないようだったが、掲示板に書き込みをして歴の長い者が先輩役となり、新たに書き込んだ者達を歓迎する。そして、日々の苦しみを聞き、ときには自分もこうなんだと吐露し、仲間意識を育む過程でAI家族のすばらしさと“入籍”への提案に話が切り替わってゆく。
私はこの掲示板に書き込んだ形跡のあるユーザー名を全てメモし、思い付く限りのSNSで同じユーザー名の者を探した。
同一人物と思しき者は何人か見つけた。彼ら彼女らは今もアカウントを利用しており、皆一様に日常の一幕を幸せそうに綴っていたが、ポストを遡っていくにつれ様子が急変した。
特定の時期を境に、ネガティブな発言が急に増えているのだ。
まさか……と思い、無人教の掲示板に書き込まれた“入籍”への勧誘の時期と、当該アカウントのネガティブな発言がいつを境にぴたりと止んだのかを照らし合わせた。
一致、していた。
私が発見した同一人物と思しきアカウント全てが、掲示板で行われていた勧誘の書き込みの数日後に幸せ一色のポストだけをするようになっていたのだ。
科学では説明しようのない薄ら寒さに、背筋が凍るのを私は感じた。
“入籍”を終えた者に急激な異変が起きたのなら、その家族や友人知人の誰かが気付いて動くはずだ。しかし、そんなスキャンダルも噂もまるで何一つとして流れてこない。
だが、おかしいのだ。この一連の現象には、明らかな異変が一つ存在している。
それは、“入籍”を交わしたと推測される“AI家族”のアカウントに、確かに家族が忽然と増えている事だ。
『今日はとーっても嬉しいビッグニュースを皆さんにお知らせします! 私達、〇〇一家に家族が増えたんです! 新しい家族はベージュのスウェットがクールな〇〇ちゃんでーす!』
『ほら、〇〇ちゃんこっち向いて! 記念すべき今日を祝して、みんなで写真撮っちゃいま~す♪』
そんなおちゃらけた文章と共に、今までそのアカウントが投稿してきた画像には登場しなかった若い女性の映った写真が投稿されていたのだ。
他に探し当てたユーザーに関しても同様。
ここまで調べておいてなんだが、私はこれ以上この件に関して追求するのをやめた。
仮に、本当に実在する人間が“AI家族”の写真の一員に加わり、その姿がネットにアップされていたとするならば、彼ら彼女らを知っている誰かの目に留まる可能性もあるはずだ。
なのに噂一つ立っておらず、あるのはただ“入籍”というおまじないがあり、それを実際に行った者が居るかもしれないという情報だけ。
そもそもだ。いくらAIが考える家族の在り方とはいえ、赤ちゃんが生まれたでも養子を引き取ったでもなく、ただ突然に家族が増えましたという投稿の不自然さに首を傾げる者がもっと居てもおかしくないはずだ。
……だから、ここまでにしたい。
無人教の掲示板にも、“入籍”を行った本人と思しきアカウントにもアポを取る勇気は今の私にはもう無い。
サイトについて教えてくれた同期に対しても、このへんにしておけと釘を差しておいた。
それでも、この記述を残してしまったのは、もっと勇気のある誰かが箱を開けてくれるその瞬間を、心の何処かでまだ期待しているからかもしれない。
故に、ここからはただの憶測になるが、私の見解を追記しようと思う。
誰がなんの為に? これは結局、よく分からないままだ。
ただ、儀式的なものではないか……と私は思う。
家族とは強い縁の結びつきだ。
人間は集団で生きるよう設計された生き物であり、この縁という存在は古来からあらゆる信仰や呪術に用いられてきた。
しかし、それだけ家族という存在は軽々しく増産できるものでも、干渉できるものでもない。
結婚、出産、養子、あらゆる重い選択の上に家族は成り立っており、部外者が突然に家族の一員となる。そのような縁は交わしづらい。
総人口100億をとうとう超えた20×〇年においても、そういった家族の数には限りがある。
その垣根を超えて、家族の縁を利用した儀式を執り行いたい誰かが居たとしたら……?
架空の家族を量産し、既存の価値観に則った家族の縁にヒビを入れ、新たな家族の縁に生きた人間を誘い込む。
その先には何が待っているのだろうか。
“入籍”をした者達が結局、今どのような状態で生きているのか。私には分からない。
AIを利用した何者かの意思が、最終的にどんな終着点を見据えているのかも、想像がつかない。
ただ、じわりじわりと我々の社会を浸食するAI家族の存在は、いつしか鏡の内と外を逆転させるように、人間の家族とAIの家族を入れ替えていくのではないか……?
そんな飛躍した妄想が、どうしても頭を過ぎってやまないのだ。
私もいつか、この大きな渦の流れに呑まれてしまう時が来るのだろう。
その時に備え、縁をより大事に、大切に生きていこうと思う。
私はかつて孤児だった。物心ついた頃には両親はおらず、親戚も不明。引き取り手も居なかった。
施設の人の支えは勿論あったが、殆ど自力でここまで這い上がってきたつもりだ。
学費を免除されるだけの成績を納め在籍するに至った大学でよりにもよって人文学部を選び、人間の社会性を研究対象としたのは、今にして思えば知識でしか知らない家族についてより深く知りたいという感傷もあったのかもしれない。
……“無人教”について教えてくれた同期は、実は交際している彼女のことだ。
大学を修了し、それなりの会社に就職した暁には結婚したいと思っている。
私もいつか家族を得る時が来るかもしれない。
だから深入りはしない。
世界がどう変わっていこうとも、その、未来の家族だけでも守って生きていたいのだ。
終
AI家族 澱傍織 @orinoori
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