Affogato

「春佳さん……あの、僕……春佳さんが、ほしい、です……」


 耳までどころか首まで紅く染め、いまにも泣き出しそうな情けない顔で言う羽澄の頭を撫でて、久世は掴まれている手を口元まで引き寄せると、羽澄の手の甲にそっと触れるだけのキスをした。男の肌とは思えない滑らかで白く綺麗な手指だった。


「片付けが先だ。いい子で待ってろ、すぐだから」

「うん……うん、待ってる」


 無理矢理我を押し通して嫌われたくないという思いもあったが、それ以上に羽澄は久世からキスをしてもらえたことが嬉しくて、片付けのあいだ『待て』をするくらいどうということはなかった。

 ふにゃりとはにかんで頷く羽澄の頬を撫で、久世は食器を流しの洗い桶に重ねて、水に浸けた。普段ならすぐに洗って乾燥棚に置くまでしないと気が済まないのだが、いまはそれより言われた通りじっと待っている彼の元へ帰りたかった。


「春佳さん」


 久世がリビングに戻るなり表情を輝かせて名前を呼ぶ羽澄の姿に、商店街の片隅で見たどこかの飼い犬の姿が重なる。飼い主が買い物をしているあいだ、じっと入口でお座りの姿勢で待ち続け、そして「ただいま」の一言で尻尾を振って喜んでいた。


「ただいま」


 決して他意はないがそう言って頭を撫でてみたところ、羽澄は満面の笑みで久世の手にすり寄り、手首を掴んで引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。

 羽澄より若干背が低いとはいっても特別小柄というほどではない久世の体を難なく受け止め、膝に乗せて抱きしめている。


「待ったから、もういい? 春佳さん、もらってもいいよね?」

「……ああ」


 答えるのが早いか、羽澄は久世の頬を掌で包み貪るようなキスをした。空腹が過ぎ行儀を忘れて喰らいつく獣のように、深く荒く久世を侵蝕していく。


「嘘みたい……夢じゃないよね……? 春佳さん、ちゃんとここにいるよね……?」

「ああ、ちゃんといる。嘘だと思うなら、気が済むまで確かめればいい」

「うん、そうする……全部、確かめたい」


 引き寄せられた格好のまま膝に乗っている久世の首元に、羽澄の顔が埋められた。


「ん…………春佳さんの匂いがする」

「それは……あまり聞きたくないな」

「どうして? 珈琲とお店の匂いだよ」

「そうか。それなら、まあ、いいか……」


 羽澄の柔らかい髪が、首や耳に掠める。暫くのあいだ、匂い付けをする犬のようにすり寄っていたかと思うと、久世のシャツのボタンに手をかけた。


「寝室に……ここは少し狭い」

「じゃあ、僕が運ぶ。もう離れるのは嫌だよ」


 久世が答える前に立ち上がり、その拍子にふらついた体を支えた手を背中に回すと軽く屈んで膝裏にもう片方の腕を差し入れて抱え上げた。両足が床から離れ、全身がふわっと浮く感覚に見舞われながらも、久世は黙ってリビングの奥にある灰色の扉を指した。


「あんた……意外と力あるんだな」

「撮影で服を脱ぐこともあるから、あんまり情けない体はしていられないんだもの」

「そうか。見るのが楽しみだ」


 羽澄に大人しく抱えられながら軽口を叩く久世に目を丸くして、それから締まりのない顔で微笑んだ。


「えへ、改めて見られると思うと照れるなあ」


 扉を開けて寝室に入ると羽澄はまず久世の体をベッドに横たえ、室内灯には触れずベッド脇のスタンドライトだけをつけた。久世の好みなのか、ベッドスタンドの光も喫茶店の灯りと同じ柔らかな橙色をしていた。


「あ。僕、先に脱ぐよ。春佳さんの体を見たら、きっと自分のことを構う余裕なんてなくなっちゃうと思うから」


 そう言いながら既に殆ど余裕がない様子で、性急にシャツを脱ぎ捨てるとベルトを引き抜き、久世に覆いかぶさった。仕切り直しのようにキスをしている下でシャツのボタンを器用に外していき、最後の一つが外れると肌に手を滑らせる。


「春佳さん、珈琲の味がする」

「ん……あんたは甘いな。いつもアイスが最後になるように食べるからか」

「ふふ、良く見てるんだね。意外」


 機嫌良さそうに言われ、久世は自分がなにを口走ったか理解した。

 これでは食事の癖がわかるくらいいつも見ていたと白状したようなものだ。


「キスしてたら、あの味にならないかな……?」

「さあな」

「じゃあ、試してみよう」


 不貞腐れたように目を逸らす久世の頬を抑え、羽澄は上機嫌に何度もキスをした。

 熱い舌の上で珈琲の苦みとバニラの甘さが溶け合って、アフォガートを食べているような心地だった。

 脇腹から胸へ。輪郭をなぞるように撫で上げると久世の肌が微かに粟立つ。小さく身を捩ったのを見て口元に笑みを浮かべると、羽澄は肩口に優しく噛みついた。

 耳元で肌に思い切り吸い付く音がしたかと思うと満足そうな浅い溜め息が聞こえ、久世は手持無沙汰な右手を上げて羽澄の後頭部を撫でた。


「痕、つけちゃった」

「マーキングか」

「えへへ、もっとしていい?」

「もう、いちいち聞かなくていい。好きにしろ」


 久世が内心恥ずかしがっているのをわかって尋ねていたのだが、あまりしつこくし過ぎて機嫌を損ねても困る。羽澄は、くすぐったそうに笑って頷くと、久世の胸元に顔を埋めた。

 ぬるりと舌が這う感触に背筋を震わせ、熱の籠った息を吐く。長い睫毛を伏せて、胸にしゃぶりつく羽澄の姿に、久世は密やかに興奮していた。


「ん……いっぱいつけすぎちゃった、かな……でも、まだ足りない」


 好きにしろと言った手前、羽澄のしたいことを止める気はないが、ただ寝そべっているだけというのも味気ない。久世は投げ出したままだった足を曲げて立膝にすると羽澄の脚のあいだに割り込ませた。


「んっ!……な、なに……?」


 困惑している様子に反して、久世の腿に羽澄の中心が押し付けられる。確かな熱を持ち硬く猛っている欲の象徴がゆっくりと前後に擦りつけられ始めた。


「は、春佳さん……っ、それ、だめ……だめだよ……!」


 ぐりぐりと腰を押し付けながら、羽澄は涙声で訴え、首を横に振る。

 久世は最初こそ脚を押し付けたもののそれ以降は全く動かしていない。にも拘らず羽澄は久世に刺激を与えるのをやめるよう訴え続けている。


「俺はなにもしていない」

「う、そ……だって、これ……」


 布越しにでも伝わってくる熱気と湿り気が更に増し、困惑と快感に翻弄されながら羽澄はベッドと体の隙間に腕を潜り込ませて久世をかき抱いた。至近距離で儚く歪む綺麗な顔を眺め、久世は口元に笑みを引くと褒めるように口づけをした。


「ああ、あんた、その顔が一番綺麗だ。好きにしろと言ったんだ、耐えなくていい。気持ちいいならそのまま……」

「く、うぁ……春佳、さん……」


 嫌々する子供のように首を振りながらも、上り詰めようとする体は止まらない。

 盛りのついた犬のように久世の膝を相手に腰を振り続けている。久世は優しく頭を撫でて引き寄せ、耳元に唇を寄せた。


「綺麗だ、実生」

「ひ……っ、ああ!」


 久世が耳元で名前を囁いた瞬間、羽澄は縋るように久世の体を抱きしめ、ビクビク痙攣しながら果てた。

 下着の中が、粗相したように濡れていく。好きな人の脚で自慰するような真似を、よりにもよって初めての夜にしてしまったと悔いる羽澄の頭を、久世は愛おしそうに撫でて片腕で抱き返した。


「う……はるよしさん……僕、僕だけ、こんな……」

「あんただけじゃない」

「えっ……?」


 羽澄の手を取り、そっと中心部へ導く。怖々触れて見ればいつの間にか前を寛げて下着が露わになっており、下着の中は羽澄と同様ひどく濡れていた。しかも触れるとビクリと反応して少しずつ頭を擡げていくのを感じる。


「あんたの泣き顔があまりにも綺麗だったから、我慢出来なかった」


 よく見れば、久世も僅かに息が上がって顔も紅潮している。


「うぅ……でも、僕だけ春佳さんにイかされたの、悔しいから……」


 眉を寄せて唸りながら、羽澄は体を下げると久世の脚のあいだに収まった。そして濡れて張り付く下着をどうにか引き剥がすと、白い蜜を纏ったモノを口に含んだ。


「っ、……は……」


 ビクッと肩が跳ね、敏感な箇所が熱い粘膜に包まれるのを感じて眉根を寄せる。

 頭の片隅で、風呂もまだなのになどと悠長なことを考えた直後、羽澄の舌に先端の割れ目を抉られ、思考が霧散した。


「ん……ふふ、アイスの味はしないね」

「しっ……して、堪るか……怖いことを言うな」

「えへ。でも、美味しい……春佳さんの匂い、ここが一番する……」


 さすがにそこは珈琲の匂いではないだろうな。と、どうでもいいことを頭の片隅に過ぎらせながら、久世は上体を軽く起こして、羽澄の頭を撫でた。褒められたように感じたのか、羽澄の口淫が激しさを増していく。

 そうしている下で羽澄自身のほうも再び硬さを取り戻しかけていたが、先に失態を晒した自覚があるため意図的に考えないようにして目の前にある『美味しいもの』に集中した。

 熱に浮かされながら屹立するモノに喰らいつく羽澄をただ眺めていた久世は、ふと好物のデザートを食べているときの彼の表情を思い浮かべ、目の前の幸せそうな顔と重ねた。

 子供舌で、苦いものが飲食できないくせに、大好きなアイスを頬張っているときと全く同じ表情をしているのだ。


「…………っ」


 羽澄の表情に気付いた途端、眩暈を伴う強烈な浮遊感を覚え、久世は咄嗟に羽澄の頭を押して離そうとした。


「く、うぁ、っ……離せ……!」


 久世は、手に力を籠めたつもりだった。けれど羽澄の色の薄い髪を弱弱しく掴んだだけで、行動の抑制にはならなかった。


「……は、ぁっ……」


 ぎゅっと目を瞑り、眉を寄せて、久世は羽澄の口の中で果ててしまった。

 荒い呼吸を整えながら目を開けると、涙で滲んだ視界の真ん中で幸せそうに久世の萎えたモノにすり寄っている羽澄が見えた。内腿に新たな吸い痕をつけ、うっとりと紅い痕を眺めたかと思うとまた根元に揺れる二つの袋を唇で挟んで遊び始める。


「あ……んた、なに、して……」

「んー……春佳さん、可愛かったから、もっと見たいなって思って」

「人の体で遊ぶな」


 絶頂直後で虚脱している手で羽澄の額を叩くと、ぺちっと情けない音がした。


「だって僕、幸せなんだよ。春佳さんとこうしていられる未来がくるなんて、少しも思ってなかったから……」


 なり損ないの匍匐前進で這い寄りながらそう言い、久世の肩の位置まで上がると、胸に頬を当てて目を閉じた。胸で羽澄の上半身の体重を支える羽目になった久世は、一瞬眉を寄せたものの呆れと愛おしさを込めた苦笑を浮かべて色の白い肩を撫でた。

 そうしてくしゃくしゃと羽澄の頭を撫でていたら、不意に気付いた。


「…………凄く、今更なんだが」

「うん?」

「あんた、色薄いな」

「えっ、いま気付いたの?」


 目を丸くして胸枕の状態から顔だけあげた羽澄を見、枯れ藁色の髪を撫でる。


「染めてるのかと思ってた」

「ああ、そっか。地毛だよ、これ」


 答えながら久世の乳輪を指先でなぞり始めた羽澄の手首を、掴んで制止した。


「遊ぶな」

「はあい」


 叱られても上機嫌で、自分の手首を掴んでいる久世の手から器用に抜け出し、指を絡める形で握り返した。


「僕のひいじいさんがイギリス人だとか何とかでさ、家族で僕だけこうなんだよね。そのせいで母さんは不倫を疑われて家を出てるんだけど」

「おい……さらっと重い話をしたな」

「ふふ。これからもっと色々出てくるよ。まあ別に、全部話す義務も、君が全部聞く義理もないんだけどね。でも、なんでかな。春佳さんにはたくさん聞いてほしい」


 裸の胸に頬ずりして甘える大の男を、どうしてこうも可愛いと思ってしまうのか。久世は理解出来ないと自身に言い訳をしながらも、すんなりとこう言っていた。


「俺も、あんたのことなら知りたい」


 思いの外柔らかい声だった。

 それを聞いた羽澄は有り余る熱でとろけそうな満面の笑みで、絡めた指先にキスをした。



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Affogato 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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