嘘の顔
雨光
鏡の市民
会見の光は暴力だった。
無数のフラッシュが私の肌を灼いた。
私は嘘をついた。
男女の関係はないと。
既婚者の部下とホテルへ十数回。
それはただの相談だったと。
私は頭を下げた。
給与を半分にすると言った。
これでこの話は終わるのだと。
そう信じていた。
その夜からだ。
鏡が私を裏切り始めたのは。
洗面台の鏡に映る自分の顔。
その向こう側。
ガラスの奥に別の顔が見えた。
会見で私を睨んでいた市民の老人の顔だった。
それは一瞬で消えた。
最初は疲労が見せた幻覚だと思った。
しかし顔は増えていった。
水たまりに顔が浮かぶ。
知らない主婦の顔だ。
ショーウィンドウに顔が映る。
若い男の軽蔑した顔だ。
そして私の執務室の磨かれた机の上。
そこにあの部下の男の顔が。
私にだけ見えていた。
私は誰にも言えなかった。
この街の全ての鏡が。
私の罪を映し出す監視カメラになったのだ。
やがて声が聞こえ始めた。
どこにいても聞こえる。
会見の日のあのフラッシュの音。
私を詰問する記者たちの声。
そして私を信じ私に裏切られた。
無数の市民の失望のため息。
私は眠れなくなった。
目を閉じると。
瞼の裏に無数の顔が浮かぶからだ。
ある夜、私は一人執務室にいた。
どうしても確認しなければならなかった。
壁にかかった大きな姿見の前に立った。
そこに映っていたのは。 憔悴しきった私の顔。 ではなかった。
鏡の中の私の顔が。
まるで水面の絵のように揺らぎ始めた。
そしてゆっくりと溶けていく。
私の目鼻口が消えていく。
その代わりに。
そこから無数の顔が生まれた。
老人。 女。 子供。 怒り。 軽蔑。 諦念。
この街の全ての顔が私になった。
私の顔は無数の市民の顔の集合体となった。
鏡の中の「それ」が私に語りかけてきた。
無数の声が重なり合った一つの声で。
『お前は誰だ』
私は悲鳴を上げた。
しかし私の喉から漏れ出たのは。
私の声ではなかった。
私が会見で嘘をついた時の。
あの平坦で虚ろな声だった。
『道義的責任を明確にするため』
翌朝。
市長室のドアが開けられた。
秘書がそこで見たものは。
椅子に座ったまま微動だにしない女市長の姿だった。
彼女は生きていた。
しかしその顔は。
まるで万華鏡のように。
絶えず無数の市民の顔へと。
ゆっくりと。 しかし執拗に。 変貌し続けていた。
そしてその。
おびただしい数の顔を持つ口から。
壊れた録音機のように。
ただ一つの言葉だけが。
永遠に繰り返されていたという。
『公私にわたる相談にのってもらっていました』
『公私にわたる相談にのってもらっていました』
『公私にわたる相談にのってもらっていました』
嘘の顔 雨光 @yuko718
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