先日、Xをぼんやり眺めていたら、九段理江のつぶやきが目に留まった。
新潮新人賞の最終候補に残雪のパクリみたいな小説が残ったという話だった。
それを知って真っ先に俺の頭に浮かんだのは怒りとか文壇の未来への憂いとかそういう立派なものではなく、「ああ、あんな格式高い賞でもヌルっと選考通っちゃうんだな」というなんとも間の抜けた感心だった。
残雪といえば泣く子も黙る中国の前衛作家でノーベル文学賞のシーズンになると候補に名前が挙がる。
そんなゴリゴリの純文学の、しかもかなりアクの強い文体を真正面からパクって天下の新潮に送りつける書き手の心臓の太さもすごい。
ほんと、どういうメンタルしてたらそんなことができるのか純粋に興味がある。
それ以上に俺の興味を惹くのはその原稿が最終候補まで「ヌルっと」生き残ってしまった過程のほうだ。
下読みの選考委員たちは、文字通り山のような原稿と格闘しているはずだ。
深夜にエナジードリンクを流し込みながら、次々と原稿をさばいていく。
「おっ、なんかこの文体すげえな。不条理で前衛的じゃん」って、最初はテンションが上がって付箋でも貼ったのだろうか。
その時、「あれ、これ残雪っぽくね?」と気づく人間はマジで1人もいなかったのだろうか。
たぶん、どこかの段階で誰かは強烈な違和感を覚えたはずなんだよね。
「なんかこの手触り、知ってるぞ」って。
そこで声を上げるのは意外と勇気がいる。
「これ、残雪のパクリじゃないですか」と会議で発言して、「は?君、残雪の原書ちゃんと読んだことある?これはパクリじゃなくて高度なパスティーシュだよ」なんて上の世代からマウントを取られたら、その日の帰り道は落ち込んで立ち直れない。
文学界隈って、そういう知識の殴り合いみたいな空気が常に漂っている気がするし。知らんけど。
だから皆、心の中で少し首を傾げながらも「まあ、自分が口出ししなくても上の偉い選考委員が気づいて落とすだろう」とハンコを押し続けたんじゃないか。
誰かが止めるだろう。
誰かが言うだろう。
そうやって全員が少しずつ責任と判断を先送りした結果としての最終候補。
見事なまでの「ヌルっと通過」だ。
人間の作るシステムなんて、案外そういうふうにできている。
何重にも張られたはずのフィルターを、あからさまな異物がスルスルと関所を抜けていく。
俺は別にその作者を擁護したいわけじゃない。
選考のシステムを声高に批判したいわけでもない。
ただ、完璧に見える権威の裏側が、そういう適当さや忖度やちょっとした自己保身で出来上がっているという事実がたまらなく人間臭くて可笑しいのだ。
結局、最後の最後で誰かが「おい!これ残雪じゃねーか」と気づいてちゃぶ台をひっくり返したのだろう。
その瞬間の会議室の気まずい空気を想像するだけでなんというかひどく居心地が悪くて、同時に少しだけホッとする。
世の中のすき間風みたいなものを感じて今日も俺はヌルっと日常をやり過ごしている。