第7話【嫉妬の蛇】 中編

 なんだ、これは・・・作り物のような右目は私の視線と共に上下左右に動く。左目を閉じて右目だけで見てみると、やはり視界はもやがかかったようにぼやけて見えて前方の視野は60°程度しかない。これは重篤な目の病気に違いない。


 携帯電話から近所の眼科を調べて受診する為に予約の電話をかける。電話口で受付の看護師に症状を伝えると「朝起きたら角膜や虹彩が無くなっていて瞳孔が長く伸びていた・・・ですか?とりあえず受診して下さい」と、なんだか腑に落ちていない様子だ。看護師でも分からない特殊な病気かもしれない。医師にしっかりとてもらおう。


 私は家にあったワークキャップを深く被り、眼科に向かう。徒歩で行ける場所にある眼科ではあったが何度か人とすれ違うことがあった。その際、私はうつむき右目を隠す。こんな目を見てしまったら相手が驚いてしまうだろうから私なりの配慮である。


 病院に着いて受付を済ませて問診票を渡され記入する。氏名と年齢を記入しチェック項目に目を通す。受診理由は『目の症状があるため』にチェック、『どちらの目』は右目、『いつから』には本日の日付を記入し、症状については『かすみ』、『見えづらい』、『見えない部分がある』にチェックを入れた。『その他』の自由記載欄に『黒目が無くなって瞳孔が縦に伸びている』と記載する。私が書いた問診票を受付に渡す。


 少し待つと問診票を持った看護師が近づいてくる。看護師は問診票に目を通して私の顔を覗き込むと不思議そうな顔で首を傾ける。「症状については先生に伝えておきますね。中待合室でお待ち下さい」そう言って看護師は戻っていく。


 しばらく中待合室で待つと「岩崎彩夏さん」と私の名前が呼ばれて私が受診する番となった。私は看護師の案内で診察室に入ると、医師の前の椅子に着座する。


「岩崎彩夏さん・・・症状は『かすみ』と『見えづらさ』、『視野の狭窄きょうさく』・・・あと『黒目が無くなって瞳孔が縦に伸びている』ですか?」

そう言われて、私が「はい」と返事をすると医師は私の右目のまぶたを上げて眼球を観察する。


「充血も無いし、特に異常は無いですね。かすみ目は眼精疲労だと思うので目薬を出しておきますね」

医師はそう言って机の方を向き診察を終了させようとする。


「えっ!?それだけですか?黒目が無いんですよ!」

私は動揺で少し声が大きくなってしまった。


「黒目も有るし、瞳孔も正常ですよ。もしそのように見えるのなら心療内科の方へ・・・」


「いえ!大丈夫です!」

私は医者の言葉をさえぎる。この医者は、私の精神に問題が有るとでも言うのだろうか?


 私は眼科で眼精疲労の目薬を貰って、その足でドラックストアに向かい眼帯を購入し右目に着けた。左右の視界があまりに違いすぎるので見えづらいのだ。


 帰り道、朝から何も食べていない事を思い出して、少し歩くとラーメン店が見えたので入店して大盛り味噌ラーメンを注文して食べた。右目の事は不安だがラーメンは美味しい。


 退店後、今の時間からなら午後からの講義に間に合うので私は大学に向かった。右目の事を除けば体調はすこぶる良いので休むわけにはいかない。大学での休憩時間、飯川と水口が心配そうな顔で近づいて来る。彼女たちにはメールで眼科に行くから午前の講義を休むと伝えていた。


「彩夏ちゃん、目、大丈夫だった?」

飯川が自分の右目を指して言う。


「只のものもらいだから大丈夫だって」

私はとっさに嘘をついた。眼精疲労で眼帯を付けているのは不自然だからだ。


「そう、良かった。一昨日の彩夏ちゃん大分酔っていたみたいだし、そのせいで体が弱っているのかもね」


「たしかに一昨日は飲み過ぎた。そのせいで、一昨日田中さんから貰った蛇の置物。木箱だけ残して無くしちゃったからね。あっ、これ田中さんには言わないでよ」


「田中さんって誰?」

飯川と水口は顔を見合わせた後、不思議そうな顔で首をかしげている。


「一昨日、居酒屋で一緒に飲んだ田中さんだよ・・・」

私は話しながら急に自信が無くなり声が小さくなる。って誰だ?


 思い返しても私の友人にに該当する人物はいない。しかし、あの居酒屋には確かにニヤケ顔のがいて、私に蛇の置物をくれた。その証拠に置物は紛失してしまったが私の部屋に置物が入っていた木箱が転がっているのを今朝けさも見た。


「酔ってたからかな、そういえば居酒屋のトイレで会った人だったかも」

確証が持てないせいも有って私は話を誤魔化した。


「もう、しっかりしてよね。バイト先でもこう呼ばれているんでしょ。しっかり者の岩崎さん!」

そうだ私はあの女、木花咲耶の指示で『しっかり者』と呼ばれ様々な人間から面倒事を押し付けられる。


「木花咲耶が憎い・・・木花咲耶が憎い・・・木花咲耶が憎い・・・」


「ど、どうしたの、彩夏ちゃん急にそんなこと言い出して!」

私はその言葉で我に返る。


「いや、何でもないよ!それより次の講義だけど・・・」

私は話題を変えて誤魔化した。今まで木花咲耶のことを憎いとは思っても勝手に口から言葉が出てくることなど無かったのに。私の精神はどうにかなってしまったのだろうか?


 講義が終わり私はコンビニで夕食の焼肉弁当を買って帰宅する。弁当を食べてポテトチップスを食べながらテレビを眺める。バラエティ番組で笑うアイドルの仕草があの女に似ていて鼻につく。


「木花咲耶が憎い・・・木花咲耶が憎い・・・木花咲耶が憎い・・・」

テレビから流れるCMの大きな音で自分が俯いてブツブツとあの女への憎しみをつぶやいていたことに気が付いた。私は何をしているのだろう。ブツブツ言って気味が悪い。


 今日は早いけど寝よう。私は気持ちを切り替えるために、就寝の準備をして電気を消し眼帯を外してベッドに横になる。


 すると暗闇の中、右目で見た世界は日中のようにはっきりと見える。これじゃ、本当に夜行性の爬虫類じゃないか。それもこれも全部あの女のせいだ・・・


 翌朝、両足の違和感で目を覚ました。シーツに引っかかる感じがする。起きあがり布団をめくると私は小さな悲鳴をあげた。


「ヒャッ!!」


 私のつま先からふくらはぎまでが鱗で覆われていて、色も他の部位の皮膚とは違い白と黒のまだら模様。まるで夢で見た蛇のようだ。そして、足元には脱皮した蛇の抜け殻のような物が落ちていた。


 私はベッドから飛び起きて眼鏡をかけて再度確認するが足は鱗に覆われたままだった。触ってみるとザラザラやヌメヌメしているわけでなく、むしろスベスベでしっとりしていて意外に触り心地は良い。ふくらはぎを触ったり、したり、軽く叩いたりしてみる。ふくらはぎから受ける感覚は他の皮膚より少しにぶい。


 そうこうしているうちに少しだけ混乱が収まってきた。とりあえず気持ちが悪いので抜け殻をゴミ箱に入れて考える。


 皮膚科を受診した方が良いのだろうか・・・


 しかし、昨日のように「特に異常は無いですね」と言われたらどうしようか。その時私の精神は正常でいられるだろうか。怖くなった私は受診しない事にした。


 翌朝とは言ったが、早く就寝したはずが起きたのは昼近く。私は大盛りカップ麺にお湯を入れてきっちり3分待ってから食べた後、身支度を整える。


 右目に引き続き今度は両足。私の体はどうなっているのだろうか?鏡に映る自分の右目を眺めながら考えたが、考えても不安になるだけだ。もしかしたら、明日目覚めたら元通りになっているかもしれないのだから。


 しかしどうしようか、今日はバイトの日でもうすぐ家を出なければいけない。右目は眼帯で隠すとして、制服がひざ下丈のスカートなので足が出てしまう。そうだ、冬用の黒いタイツなら隠せるだろう。そう考え私は箪笥を開けてタイツを探す。まさか夏の時期にこれを履くことになるとは思わなかった。


 真夏ではないとは言え北海道でも7月の上旬はそれなりに気温が高く、冬用のタイツ着用での外出は暑い。不幸中の幸いなのが、ふくらはぎから下が蒸れていないので不快感が少ない。蛇には汗腺が無いというから私の変質した皮膚もそうなのかも知れない。


 バイト先に着くと店長の佐藤が声をかけてきた。


「岩崎さん右目どうしたの?あと、すごい汗だよ」


「ちょっとものもらいで、汗は外が暑かったので」


「今日バイトの人結構いるし、体調悪かったら早退しても大丈夫だからね」

くそ、木花咲耶め!そうやって店長に言わせて私を邪魔者扱いしてバイトから追い出すつもりなんだな。


「大丈夫です。働けます!」

私は木花咲耶の思惑おもわくに負けないよう少し大きな声で言った。


「そ、それなら良いんだけど」

佐藤は私の声に驚いているようだ。私が木花咲耶になど屈しないことが伝わっただろう。


 しばらくして、ホールで接客を終えた私に石永瞳が話しかけてきた。


「岩崎さん、店長からものもらいの事聞きましたよ。大変ですね。って、何で冬のタイツ履いてるんですか?」


「ちょっと冷房が苦手だから」


「そうなんですか。いつも岩崎さんには助けてもらってるんで、何かあったら言ってくださいね!」

そう言って石永は腕まくりをする。私は石永に同情している。石永を単独で見れば美人の部類だろうが、木花咲耶と比べれば見劣りする。それ故、木花咲耶の引き立て役として連れ回されている可哀そうな女だ。


「その時はお願いね」

木花咲耶の手下とはいえ可愛そうな人間にはどうしても優しくなる。


 ホールから厨房に入ると佐々木と目が合った。佐々木は何かを言いたそうな顔をしていたが私が睨むと顔を伏せる。どうせ木花咲耶に良からぬことを命令されていたのだろう。本当に小賢しい女だ。


「憎い・・・、憎い・・・、憎い・・・」


「どうしたの?岩崎さん?にく?」

長谷川のその言葉で我に返る。


「あ!肉が食べたいなー。と思って。まかないはハンバーグにしようかな」

咄嗟に出た嘘ではあるが、賄いはハンバーグにしよう。


 私は賄いにハンバーグセットを食べて、仕事を終えていつもの牛丼チェーン店で豚どん大盛りを食べてから帰宅する。


 今日を何とか乗り越えられた。浴槽の下に沈んだ白と黒のまだらの足をぼやけた右目で眺めながらつぶやく。


「くそ、くそ、くそ、木花咲耶め。こんな呪いじみた事までして何のつもりだ。私が何かしたっていうのか」

私は悔しくて、憎くて、涙を流した。


 少し泣いてスッキリした私は少し早いが寝る事にした。明日は朝から講義がある。昨日の失敗もあるので目覚まし時計を7時にセットして就寝する。


 目を覚ますと右目の方が左目よりはっきり見える。今はおそらく夜だ。早く寝たので夜中に起きてしまったのだろうか。顔を少し動かして自分の体を見て困惑して声が出る。


「えっ!?」


 ふくらはぎまでだった鱗は腰まで上にきていて、指先から肩までも鱗に覆われている。何故、顔を動かすだけでそこまで見えたかと言うと布団を蹴飛ばして全裸だったからだ。ベッドの周りには無理やり脱がされたのかと思うほど破れたパジャマや下着が散らばっている。これだけ見れば強姦にでもあったのかと考える所だが、周囲に抜け殻が落ちているので無意識に自分で脱いだのだろう。


 体を起こした私は強烈な空腹に襲われる。何か食べたい・・・。買い置きのカップ麺も無く、冷蔵庫の中も空っぽだ。何か買いに行かなければいけない。


 そこで初めて時計を見た、デジタル時計はPM8:00を灯している。随分と長い時間眠っていたようだ。目覚まし時計は意味を為さなかったようだ。


 私は部屋の照明を点けようか迷い、めた。右目で何不自由なく見えていたのもあるが、部屋を明るくして自分の姿を左目ではっきりと見るのが怖かったからだ。


 下着とその辺に掛けてある服を着て、ワークキャップを深く被り外出の準備をして玄関でドアノブに手を掛けて気が付く。手を隠さなければいけない。一旦部屋に戻り、箪笥の中から薄手の手袋を取り出し装着し近所のコンビニを目指して玄関のドアを開ける。


 街灯や車のヘッドライトがいやにまぶしく感じる。そんなものが無くても私には見えるのに。


 コンビニに着いた私は弁当を物色する。しかし、弁当よりも隣の生鮮食品コーナーの卵に目がいった。少し横に移動し生鮮食品の前に立つと生卵と鶏胸肉から目が離せない。気が付くと口からよだれが垂れていた。手袋で涎をぬぐい、レジに卵と鶏胸肉を持っていき会計を済ませる。


 レジ袋を持ってコンビニの出入口で入店してきた客とすれ違うと、その客が「キャッ」と小さく声を上げる。何だろうと顔を上げると出入口のガラス戸に映った私の口からがチロチロと出ているではないか。


 私は走って家に戻る。何だ、これは・・・。これじゃ本当に蛇みたいじゃないか。


 部屋に戻りテーブルの前に座ると、手袋を投げ捨てレジ袋と梱包を開けてワンケース6個の生卵を一つずつ殻ごと口の中に放り込む。流石に丸呑みという訳にはいかず衣服やテーブルは卵の汁でぐちゃぐちゃに汚れている。


 続けて生の鶏胸肉のラップを乱暴に開けてトレイをその辺に投げ捨て、鶏肉にかぶり付く。すごく美味しい。涙がこぼれる。くそ、くそ生肉に齧り付いて喜ぶなんて、これじゃ蛇女だ。


 そんな時テーブルの上の携帯電話が鳴る。私は片手に生肉を持ちながら手を伸ばして携帯電を取ると通話ボタンを押した。


「彩夏ちゃん、どうしたの?講義に来なかったから何度も電話したんだけど、出ないから心配したよ。体調でも悪いの?」

飯川だ。


「くそ、くそ、くそ、木花咲耶!!こんな目にあわせやがって!憎い、憎い、憎い、憎い」

通話中の携帯電話を力一杯、床に投げつける。二つ折りの携帯電話はヒンジの部分から二つに折れて、デイスプレイの灯も消える。


 何だっていうんだ。今度は私の友人の飯川まで洗脳して苦しむ私を監視しようというのか、本当に嫌味な奴だ。憎い、憎い、憎い。


 私は泣きながら生肉を頬張ほおばる。お腹が満腹になり泣きつかれ私はいつの間にか眠っていた。


 目を覚ますとやはり夜だった。上半身に着ていた衣類と抜け殻が床に散乱している。カーテンの隙間からの月明かりで食器棚のガラスに私の姿がはっきりと映る。腹部ふくぶ胸部きょうぶ頸部けいぶ、そして顔まで鱗に覆われている。


 視界の左右差があるのでまだ左目はかろうじて人間のままだが、それも時間の問題で明日あす起きた頃には全身鱗の蛇人間になっているのだろう。私は半ば諦めたようにそう思っていた。


 そんな時、玄関のチャイムが鳴った。


ピンポーン、ピンポーン


「すいませーん、岩崎さーん、居ますかー」


この甘ったるい声はだ。

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寺生まれの橘くん アオギリ ユズル @aogiri0414

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