にょん

第1話

キシさんは、今日は帰ってこないみたい。

13時にバイトの面接があるから早く寝なければならないのに、遮光カーテンから漏れ出す日差しにジワジワ圧迫されて、眠ることができない。


「半錠までだぞ、お前は効きやすいから1錠は飲むな。」

そう、キシさんに言われ渡されたハルシオンを1錠追加して、バイトの面接は起きれなさそう。


眠剤って、入眠用のやつでもさ、眠るときはなかなか効かないのに、起きるときはこれでもかってくらい効いてくれちゃって。ほんと、なんのために飲んでいるのか。

キシさんはお医者さんでも薬剤師さんでもない、だからたぶん薬もらっちゃダメなんだけど…もうそんな細かいことは気にもならないくらい、近頃の私はわけがわからなくなっている。


考えてみるとキシさんと出会う前の私は、タバコもほとんど吸わなかったし、部屋の中で服着てたし、こんなにずっと寝てばかりじゃなかった。きっと今の私は子供や病人より体力も筋肉もないんだろうな。


この間、キシさんにそう話したら、

「またそうやってなんでも人のせいにする〜」と言われたけど。いや、アンタのせいだろ。

下着の上に服着てると必ずブラのゴムでパチンって外せアピールが鬱陶しくて、今ではデフォ全裸。服を着るのも煩わしくなってしまった。


私キシさんと出会ってから1年間でひどく変わった。お母さんにダメって言われできたことの全部で生活が成り立っている。

たぶんこのままだと、わからないけど、よくないの。でももうなにから立て直していいかわからないんだ。


キシさんは年齢不詳の私の彼氏。

付き合ってちょうど1年が経つ。

年齢はなぜか隠したがってるけど、だいたいお父さんと同じくらいに見えるから、たぶん50後半。

今はほぼ隠居してるみたいだけど、実はヤクザなんだって。ほんとかなあ。

お仕事はたくさんしてて、建築会社とキャバクラ経営と、ネット販売と宝石屋さん。

ジュエリーが好きだから私によくプレゼントしてくれるけど、私は喜ぶのが苦手で、いつも「ありがとう」とだけしか言えなくて、寂しそうな顔をさせてしまう。

でも私は、もっと大喜びしてあげたいと思う反面そのくらいの反応がちょうどいいのかな、とも思っている。

だって、正直あまりプレゼントはもらいたくないんだ。彼から施しを受けると、自分がどんな気持ちなのか、どうしたらいいのかわからなくなってしまうから。


ああ、さっきまであんなに眠かったのに、どうして眠れないんだろう。

私はずっと焦っているんだ、呻き声を上げて発散させないとおかしくなりそうなほどの焦り。

友達が紹介してくれた鬱病屋さんに行って、ちゃんとしたお医者様からお薬をもらった方がいいんだろうな。

今日の仕事もすっぽかしてしまった私が精神科なんて行けるはずもないけどね。


ライターを探してベッドをまさぐる。つまんねーライター。100円ライターのくせに179円で、火が勢いよく昇るから揺らぎがない。コンロかよ。機械的だと萎えるから、弱々しい炎がいいよな。

いつもの赤Larkに火をつけると、懐かしい匂い。タバコの味は嫌いだけど副流煙の匂いは嫌いじゃないよ。死んだおじいちゃんがいつもそこら辺に振りまいてたから。

げ、残り4本だって、無くなる前に寝なきゃ。


1年前、赤Larkはキャバクラ勤務中に初めてお客さんに勧められて吸った。ゲロみたいな味がした。

えずかないように気を付けて、「まずいまずい!」って笑ってたけどもう二度と吸うもんかと思った。

キシさんに出会った時、彼はその赤いタバコをワンカートン車に積んでいた。私はタバコに理解のある女だって思われたくて、何も言わず助手席でiQOSをずっと吸っていた。

「吸ってみるか?」

「それめっちゃマズイじゃん…」

そう答えたものの、火をつけてもらうのが嬉しかったので、素直に吸った。

当然不味かったけど、ほら、一緒にいると同じタバコ吸ってればお金かからないから。それから毎日1箱くらい吸ってたらさすがに慣れた。味に慣れたんじゃなくて、えずくのに慣れた。

元々喉が弱くて咳ばかりしていた私だけど、それからは輪をかけて咳が止まらなくなることが増えた。


眠剤が効いてきたような気がする、さすがに寝ないといけないね。

落ち込みたくないから起きれる期待はしたくないけど、一応これから行く面接先は優良物件なんだ。でも、うん、行けたら行く。


私はキシさんの、私のことを気遣ってくれているようで私の自傷的な生活や言動に全く関心がないところが好きだ。

キシさん自身が気遣って貰える環境になかったから他人の異変に気がつくアンテナに分厚いホコリが被ってるんだと思う。

今までもこれからも、そういう足場の悪い精神に共感と安心を求めるのが私にとっての恋なのだ。

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