消えないで、青。
かつらな
消えないで、青。
遠くに聞こえる波の音。静かに揺れるカーテン。繊細に部屋に入る朝の光。パンケーキの甘い香り。
「うん、今日も美味しくできた。」
そんな独り言を漏らし、一人食卓に着く。
鳥の鳴き声はまるでオルゴール。私しか聞いていないから、まるで私一人のために奏でられているみたい。
「おはよう、あお。」
「、、おはよう、ございます、。」
あおは床を見たまま私に挨拶をした。
あおとの出会いは数日前だった。
大学の帰り道。
その日は空が澄んでいて、歩いて帰ろうと思った。
青い空。透明な海。白い砂浜。
昼間なのに月ははっきりと出ていて、幻想的な空間が広がっていた、あの日。
道端に横たわる1人の少年を見つけた。
「え、、?」
私はいても立っても居られず、すぐに家に連れ返った。
私のベッドに横たわる彼は、苦しそうな表情をしていた。
顔色も悪いし、手足は冷えきっていた。
動かしても、話しかけても反応は無い。
とにかく彼の回復を待った。
何時間か経って、彼はようやく目が覚めた。
最初は恐怖心と驚きに満ち溢れたような目でこちらを見ていた。
ホットミルクをあげると、すぐに彼は私に心を開いた。
「お名前教えて?」
声をかけると、彼はゆっくりと口を開いた。
「僕は、あおっていいます。ホントは葵(あおい)だけど、あおって呼んで欲しい、、。いいですか、?」
あおは怯えるような目でこちらを見た。
大きな目には大量の涙が溜まっていた。
その水は零れることを知らず、表面張力のままそこにとどまった。
「うん。いいよ。あおは何歳?」
あおは、またもゆっくりと口を動かした。
「14、、です。」
あおは床を見た。
ずっと床を見ていた。
「おうちはどこ?」
そう問いた時、あおの目に溜まっていた涙が流れ落ちた。
綺麗で、まるで宝石のような涙だった。
「僕のこと、家に返しますよね、、。」
あおの怯えるような表情はさらに増した。
「帰さないでください、、。わがまま、ですよね、、。」
あおはこちらを見て真剣に訴えかけた。
「……わがままなんかじゃないよ。」
私は小さく笑って、あおの髪を撫でた。
「もう少しだけ、ここにいなよ。」
その一言に、あおの肩が小さく震えた。
私はあおを風呂場へと案内し、シャワーを浴びさせた。
しばらくして出てきたあおの髪を、タオルで軽く拭きながら、ドライヤーの風を当てる。
あおの肩は、かすかに震えていた。
それが冷えによるものなのか、涙のせいなのか、私には分からなかった。
「あお、大丈夫?」
声をかけた瞬間、あおは私にしがみついた。「おねーさん……僕、怖い……」
あおの涙が、服を通して私の肌に染みこんでいく。
それはまるで、あおの痛みがゆっくりと私の中に溶けていくようだった。
「僕、見ての通りアルビノで……親も、周りの人も、みんな僕を気持ち悪がる。こんなふうに優しくされたの、初めてです…。」
あおはそう言って、また静かに涙をこぼした。その涙は、悲しみというよりも――ようやく触れた温もりに、戸惑っているようだった。
あおの手首には、いくつもの赤い線が刻まれていた。
「……あ、見ちゃいましたよね。すみません、こんなもの……。」
あおは慌てて袖を引き、手首を隠した。
「いいの。大丈夫。」
私はできるだけ穏やかに言った。
「最近あったかくなってきたのに長袖だったから、日に当たっちゃいけないのかなって思ってたけど……それもあったのね。」
あおは、こくりと頷いた。
「僕の血、みんなと一緒なんです。ちゃんと赤いのに。
あおは手首を見つめながら、声を震わせた
「僕の血が赤いって、分かってるんです。でも、誰も信じてくれない。誰も僕を見てくれないのに、気持ち悪がる。もう……傷つけるのだって、癖になってて。」
白い肌の上に浮かぶかさぶたの赤が、あまりにも鮮やかで、それが痛々しいはずなのに――なぜか綺麗だと思ってしまった。
何となくで着せた私の白い半袖Tシャツは、あおには少しでかくてブカブカしていたけれど、
「おねーさんの服、いい匂い、。落ち着く。」
とあおはTシャツの布ごと、自分の体を抱きしめた。
その姿はまるで、世界にやっと触れた子供みたいだった。
時は今に戻る。
1秒を刻む針の音。
この家に来てから当たり前となった朝食を、あおは1口、また1口と次々に口に運んでいく。
「口の周りにはちみつついてるよ。」
そう教えると、あおはすこし照れたような困ったような顔をして口の周りを拭いた。
この幸せがいつまでも続きますように、そう思っていた。
ある日の大学からの帰り道、知らない男女から声をかけられた。
「アルビノの少年を探しています。防犯カメラに写ってるこの人、あなたですよね。」
それは、あおを家に連れ帰った日の写真だった。
「あ、、はあ、、。そうです、、。」
その人たちは途端に笑顔を見せた。
「そうですか、!!!今すぐお渡ししていただければ、警察には訴えません!!わかっていますよね?ご自身が誘拐犯だってこと。」
女の人は、にっこりと笑った。
その笑顔はあまりに整っていて、まるで彫刻みたいだった。
「……あの子は、あなたのものではありませんから。」
彼女の言葉が、氷の粒みたいに胸に落ちた。
「……でも、あの子は帰りたがっていません。」
そう返すと、男の人が一歩こちらに近づいた。
「帰るかどうかを決めるのは、あの子ではありません。」
すれ違う言葉。
空気は静かなのに、心臓だけが激しく音を立てていた。
「連れ帰って、どうするおつもりですか。……彼、ご家庭のことについてすごく脅えていましたけど。」
女の人は笑った。
その笑い方が、妙に丁寧で、怖かった。
「怯える?あの子が? ……まあ、そうでしょうね。」
指先で自分の腕を撫でながら、彼女は穏やかに言う。
「“見られる”ことをやめたら、あの子は生きていけないんですよ。」
男の人がゆっくりと頷いた。
「そう。あの子の存在には“理由”がある。
生まれた瞬間から、“特別”として扱われるために生まれたんです。」
女の人はバッグの中から、何かのチラシを取り出した。
白い紙に、あおに似た少年の写真。
“奇跡の色素欠乏児——光に愛された少年”
という文字が、印刷された笑顔の下にあった。
「ねえ、素敵でしょう?」
女の人の声が震えるほど嬉しそうだった。
「世の中の人が“あの子を綺麗だ”って思えるようにしてあげてるの。それって、愛でしょ?」
その瞬間、
背中の奥で、何かが凍りついた。
「あの子に何するんですか、!?」
目の前にいる2人は笑った。
「何って、何も痛いこととかはしないわよ。ただあの子が大勢の人に見られるだけ。」
「大勢の人に見られる、、?」
私は状況がまだ上手く掴めない。
でも、それによってあおが傷つくのに変わりはない。
「見世物小屋、、入れるってことですか。」
私は冷静に目の前の2人に聞いた。
「そんなに驚いた顔をして。なんなのかしら。私達はあの子の商品価値に気がついたのよ。気がつくまで貰っててくれてありがとう。とっとと返してちょうだい。」
怖かった。
あおがまた傷つくのが怖かった。
それより何より、あおと離れたくなかった。
「少し、時間をください。通報なりなんなりして頂いて大丈夫ですので。」
私は走って家に帰った。
「あお、ただいま。」
汗だくの私を見てあおが笑う。
「おねーさん変なの。そんなに急いでどうした…」
言い切る前にあおを抱きしめた。
「あお、あおはどうしたい?あの人たちの元へ帰りたい?」
あおは困惑の表情を見せた。
「帰る?あの人たちの元?なんで?どうして?いやだ、みんなに見られる?やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだ…」
あおは泣き出した。小さな顔を流れる流星群は大粒だった。
「ねぇ、あお、深呼吸しよっか。吸って、吐いて。」
深呼吸をさせたあとも、変わらずあおは床を見ていた。
「ねえ、それ癖じゃないよね。」
あおの手首を指さす。
「あの人たち、それ知らないよね。あおのこと、息子じゃなくて商品としか見てないから。」
あおは自分の手首を見た。
「商品傷付ければ売れないと思ったんでしょ。それと共に、親にも見てもらえるかもしれない。」
あおはこっちを見た。
「ねぇ、おねーさん。僕はどうしたらいいのかな。」
私は少し黙った。
冷たい沈黙の中、次に口を開いたのはあおだった。
「おねーさん、このままだと逮捕されるよね。」
「私のことは考えなくていいのよ。」
あおの優しさは暖かくて柔らかいけど、いたかった。
「僕、おねーさんが好き。おねーさんに幸せになって欲しい。」
あおは私の手を握った。
「僕、あの人たちのところに帰る。」
私は目を見開いた。
「僕が傷つくのはわかってる。色んな人から色んな目で見られる。売られるかもしれないし、なにかの実験に使われることもあるかもしれない。」
私の目から生暖かいものが溢れ出す。
「初めてだった。普通に接して貰えたの。」
「あお…」
言葉を口に出そうとする度に、込み上げてくる何かがそれを遮る。
「今までありがとう。おねーさん。」
あおは、私を1人置いて玄関を飛び出した。
車の走り去る音がずっと聞こえていた。
海辺に出ると、風が頬を撫でた。
夕方の光はまだ柔らかく、波の白がゆっくりと溶けていく。
足跡のない砂浜を、私は裸足で歩いた。
あおの名前を呼ぶことも、もうできなかった。
呼べば、空のどこかに散ってしまいそうで。
潮の匂いが、胸の奥を締めつける。
あの子の髪も、きっとこんな匂いだった気がする。
空が群青に変わるころ、ひとすじの光が走った。
夜の境界を切り裂くような流れ星。
あおの涙も、きっと今あんなふうに空を旅している。
この世界のどこかで、まだ輝いている。
私は波打ち際にしゃがみ込み、小さくつぶやいた。
「ねえ、あお。
海って、こんなにも青いのにね。」
波がひとつ寄せて、私の手のひらをさらっていった。
その瞬間だけ、あおの声が聞こえた気がした。
——「ありがとう、おねーさん。」
涙が、ひとつ、星になった。
消えないで、青。 かつらな @Katura_na
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