月と、兎。

豆ははこ

若き王の幸せは。

 幼き頃。母と、森の奥の小屋に居た。

 罠にかかる獣が、最大のご馳走。

 貧していた。が、幸せだった。


 綺麗な月を、見た。

 光に照らされ、兎が落ちて居る。

 白い毛、赤い瞳。

 息はある。絞めれば肉、獲物。

 だが、なぜか。

 家に戻り、母に兎を見せていた。


『僕の分の野菜をあげていい?』

 肉にしないのならば、俺の分を。とうぜんだ。


 母は、美しい笑みを見せた。

『ならば、私の分を。貴方は、ちゃんとお食べなさい』


 兎に、一人分。 

 俺と母は、一人分を。

 二人で、分けた。

 やはり、幸せだった。


 突然。

 幸せは、閉じた。


『あなた様は、身罷られし王の真の御子にございまする』

 輝く鎧の騎士たちが、着古された貫頭衣姿の貧相な子どもに跪く。


 我が子を探せと病床の王が王命を。

 王は、の生存を知り、空に発った。

 王妃は、王宮騎士との密通で王子を産み、異母兄は遺言により王妃とともに処断された。


 母は、王宮の筆頭侍女であった。

 王妃の不義密通に心を痛めた王が、母に懸想をした。

 真の我が子、と歓喜雀躍。懐妊した母を側妃として正式に迎える手筈も整えた。


 最も偉そうな鎧が、馴れ初めとやらの最後に言った。

『母君は栄誉と重責に堪えきれず、斯様な場所に。御身をお捜しするのが遅れました』



 俺は。

 母が。

 優しく、美しい母は。

 王よりも、なによりも。

 腹のなかの俺を愛し、隠れてくれていたのだと。理解していた。


 騎士の訪問を確認した母は、急所を掻き切り、事切れたそうだ。


『見事な最期にあられました。御身をたのむ、と』


 騎士たちは、深い礼をして、貴重な聖水で母の遺体を清め、丁重に埋葬をした。


 その様子は、王家の血族を託されたと。

 どこか、誇らしげだった。


 母に、俺を。

 ならば、恃まれたのは、お前らではない。


 そう、兎だ。


 母の遺体の傍に残った、血に濡れた、兎の足跡。


 行方はようとして、知れなかったが。



 十年が過ぎた。

 生きているのか、兎。

 関心は、それだけ。  

 秘匿事項のため、母の墓へも行けぬ。

 王、と称えられるが、なにもない。 

 妃候補として送られてくる女たちも、意味のない存在。



『王の庭、植物の園に闖入者が』

 満月の夜のこと。


『なぜ、斬らぬ』

『秘匿事項を存じておりました。捕らえた際に鉛の筆にて、これを』


 俺の出自、隠れていた場所。

 当時のことを知るものは、秘密をばらせば、その場で事切れる誓約魔法を施されていた。


 火の魔法で、紙を燃やす。

 月光のような光を一瞬煌めかせ、それは、消えた。



 美しい白い髪と肌。男か女か分からぬ美貌。他国の間者かとも疑われた、白いもの。


 鞭は白い躰を避け、毒や自白の魔薬は効かぬどころか、さらなる艶を与えた。

 牢に繋いでも、王宮の植物の園に舞い戻る。


 仕方なく、魔力を吸収する手鎖を付けさせ、植物の園に造らせた小屋に住まわせた。



「まだなにも話さぬのか」

「左様にございます」

 兎以外のことを考えるようになり、数年が過ぎていた。


「しておらぬことはないのか」

「恐縮ながら、伽は。男女とも、高名な娼館の高級なものたちを呼びましたが、すべてが音を上げました」


「なら、俺が」

 子を成さぬ王が、きまぐれを起こしたと重鎮たちは喜んだ。



 きれいに磨かれた、やつが来た。


 男か女か。

 乳房のようなものも、下腹部の膨らみのようなものもある。

 それなりに、するべき箇所は、分かった。

 さすがに、丹念にほぐしてやった。浄化魔法も。


 痛みは、なかったと思う。


 日を変えて。

 何度も、何度も。

 腰を振った。

 夜明けの空の下で。俺の種が、ふりまかれたこともあった。


 なのに、白いものは。

 ひたすらに、美しかった。

 種を吐いたのは、せいせいしたのは、俺のはずなのに。

 虚しさだけが、残った。


「いかがですか」


 突然だった。

 たまには、やつの小屋で、と思ったのだ。


 透明な天井に映る、満月。

 あり得ないほどに美しい声。


「話せたのか?」

「いのちの種を頂きましたから」


 いのちの種。そんな高尚なものではない。


 寵愛を得よと厳命を受け、各地から送られた女たち、血族たちからしたら、貴重なものかも知れぬが。


「そもそも、貴方様には、大切なものが少ない。お母様と、あの兎だけ」

 

 顔色が変わったのが、自分でも分かった。

「お前は、それを……?」

「お分かりに、なりませぬか」


 白い毛。赤い目。

 まさか。

「兎……?」

「お母様は、ご存じでした。わたしが、この世のものではないことを。貴方様が王宮に戻されますことを知り、あとを託されました」


「あのお姿は、幻影です。お母様は、生きておられます」

 美しい、白く長い指。その爪先は、赤い。


 ああ、まるで。


「お母さん」

 そうだ、あのときの。

 母の、血の色。


 指の先。天井は、満月が輝き、在りし日の母の姿を浮かばせる。俺も知らない、つやつやとした、健康的な美しさの母。


「共に、月へ。お手を」

 兎は、人の姿のままで、俺を抱きかかえた。


 ゆらり。

 開かぬはずの、天井が、開く。


 あの頃の。

 母と、兎と過ごしていた頃に、戻った気がした。


 月に向かい、飛ぶ。


 恐れなど、ない。


 ただ、幸せだった。


 そう、あのときのように。

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月と、兎。 豆ははこ @mahako

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