「いまはどこ?」
をはち
「いまはどこ?」
曾根崎みゆきは、ごく普通の家庭に生まれた。
両親は睦まじく、笑顔が絶えない家だった。
みゆきは明るく、未来に夢を抱く15歳の少女だった。
だが、その日、すべてが変わった。
自転車に乗っていたみゆきは、幅寄せしてきたダンプトラックに巻き込まれた。
轟音と衝撃。
世界が暗転し、意識が途切れた。
次に目を開けたとき、彼女は18歳になっていた。
3年間、昏睡状態だったのだと医師は告げた。
両親の涙に濡れた顔が、彼女の記憶に焼き付いた。
足は動かなかった。
リハビリの日々は過酷だったが、みゆきは諦めなかった。
2年後、20歳になった彼女は看護師になる夢を抱き、医療の道を志した。
車椅子での生活は不自由だったが、彼女の心は折れなかった。
やがて、同じ病院の若き医師と恋に落ち、結婚。愛らしい女の子と男の子に恵まれ、
仕事と家庭を両立させながら、子供たちを立派に育て上げた。
時は流れ、みゆきは86歳になった。
病室のベッドに横たわり、孫たちに囲まれながら、穏やかな最期を迎えようとしていた。
幸福に満ちた人生だった。微笑みながら、彼女は目を閉じた。――そして、目を開けた。
そこは病院のベッドだった。
見慣れた天井。両親のすすり泣く声。
みゆきの心臓は一瞬止まったように感じられた。
「みゆき! 目が覚めたの!?」
母の声が震える。
父の手が彼女の手を強く握る。
「3年間…ずっと…」
医師がそばで何かを呟く。
みゆきは静かに頷いた。知っている。すべて、知っている。
だって、これは8度目の人生なのだから。
1度目の人生では、彼女は画家になった。
2度目では教師。
3度目では執筆家として――どの人生も鮮やかで、幸福で、完全だった。
86歳で穏やかに死に、目を開けると、そこはいつも同じ病院のベッド。
両親の涙、医師の安堵の声。
そして、彼女はまた新たな人生を「生き直す」。
だが、今回も何か違う。胸の奥に冷たい違和感が広がる。
ベッドの硬さ、消毒液の匂い、両親の声――すべてが現実すぎるのに、どこか薄っぺらく感じる。
まるで舞台のセットのようだ。みゆきは考える。
自分は本当に目覚めているのか?
それとも、昏睡の夢の中を彷徨っているのか?
あるいは――すでに死んでいるのか?
彼女の視界の端で、何かが動いた。
カーテンの揺れか、影か。誰も気づいていない。
みゆきの心臓が早鐘を打つ。
8度目の人生で初めて、彼女は恐怖を感じた。
これまでの人生では、どんな困難も乗り越えてきた。
だが、今、彼女は知らない。
自分がどこにいるのか、何者なのか。
現実と夢の境界が溶け、闇が忍び寄る。
病室の時計の秒針が、異様に大きく響く――チク、タク、チク、タク。
まるで何かをカウントダウンしているかのように。
みゆきの耳元で、誰かが囁く。
「これは何度目?」
声は彼女自身のものだった。彼女は目を閉じた。
もう一度、目を開けるのが怖かった。
次に目を開けたとき、そこがまた別の人生なのか、
それとも永遠の闇なのか――それを知ることを彼女は許されていない。
「いまはどこ?」 をはち @kaginoo8
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