第3話 叫び



 その瞬間、口の中に広がる不思議な味と、生暖かさと共に、脳内に様々な情報が飛び交ってきた。

 僕の心は熱く燃えており、同時に周りの景色を全て認識できるほど冷静だった。

 きた! この瞬間だ! 僕にしか切り取れない一瞬が、今目の前に広がっている!! 

 僕は、生暖かい唇を僕の口から離して、その人に向けてシャッターを、切った……。



 * * * * *


「調子いいな。真実まさみ


 珍しく声をかけてきたのは、ライバルの渡会だ。

 僕はここのところ、先輩からも顧問の先生からも評価されてきたが、やっぱり渡会の撮る『画』には勝てない。


 渡会の画には、温度がある。体温がある。

 僕の写真にはそれがない。ただ、偶然が重なったものをフィルムに収めているだけだ。


 どうすれば、渡会のような写真が撮れる。彼の目に写っているものはなんだろう? 


 彼の目で世界を見ることができたら……毎日が僕が望んでいるような『劇的』な瞬間に違いないのに……


 僕は自分の写真と、渡会の写真が並ぶたびに、コンプレックスに打ちひしがれていた。


「なあ真実。今日の放課後、夕日を撮りに川に行くんだが……君もどうだ」


「……わかった。行く」


 それは、半ば彼からの挑戦状のように感じた。同じモチーフで、どれだけの力量差があるか、渡会と勝負というわけだ。

 

「それなら、僕と渡会だけじゃなくて、同級生二人も呼ぶか?

 外村と久保井も」


「あの二人?」


 そういうと、渡会は鼻で笑った。


「呼びたければ呼べばいいよ。でもあの二人なら来ないさ。はっきり言って、俺たちとはレベルが違いすぎる。彼らが俺たちと同じ価値観で、写真なんか撮れないよ。興味もないしな」


 勝ち気に渡会は笑った。そして、これがますます彼からの挑戦状なのだと、僕は受け取った。


「あら、じゃあ私も同席していいかしら?」


 と、後ろから声をかけられた。

 ……そうだった。彼女のことを忘れていた……。


 彼女は、雑誌の編集者。顧問の先生が呼んで、僕と渡会が取材を受けたのだ。

 何歳だかわからない若作りしたメイクと、長すぎる髪と、香水のキツい匂いが苦手だな……と僕は思っていた。

 声も不思議で、男性なのか女性なのかすら判別がつかなかった。


「お断りします」


 キッパリと、渡会が言った。


「あらどうして?」


「服装が派手だからです。正直、画の邪魔です」


 編集者さんの格好は、確かに遠くからでも目を引く色合いで、大きな帽子と、確かに田舎の川には相応しくない格好だった。

 渡会に言われて、編集者はちろ……っと舌を出した。


「怒られちゃったわ。せっかく天才二人の撮影風景を取材できると思ったのに」


「俺たちより、出来上がった作品を楽しみにしてください」


 渡会は一歩も引かない。僕達の勝負を、誰にも邪魔させないつもりだ。


「わかったわ。だけど、私にも執念があります。こっそり覗き見てても許してね。あまり、喧嘩とかしない方がいいわよ。誰が見てるかわからないから」


 編集者さんは悪戯っぽく笑った。


 * * * * *


 勝負にふさわしい景色だ。ここは海にも近く風が強い。

 放課後の川沿い。通学路にある木の橋。昨日降った雨が嘘のように空が澄んでいて、曇り空の代わりに真っ赤な夕日が空にあった。その赤が、橋を、川を、僕を、渡会を、真っ赤に染める。


 一応、同級生の外村と久保井も呼んだが、彼らは早く帰りたいようで、いい顔をしなかった。おそらく来ないだろう。

 

「さあ、ここには、俺と君だけだぞ。真実まさみ


 逃げも隠れもできないぞ。と、彼は言っている。

 ……まさか本気で、ここで殴り合いの喧嘩をするつもりなのだろうか……?


「俺は、お前の才能を憎く感じている。モチーフも下品。画もあざとい。何より偶然を装ったかのような取り方が気に入らない」


「……本当に偶然なんだがな」


「ならもっと罪深い。あんな画に、一度ならず二度までも遭遇するなんてな」


 僕から逆光になっているが、渡会が近づいてくる。

 彼は本当に、写真を撮りにここにきたわけではないようだ。

 緊張感が走る。……ふと……川の匂いではない、何かの匂いを僕は感じた。


「何をする気だ! やめろ!」


 僕が身を守ると、渡会はぐっ! ……と僕の腕を掴んだ。


「俺は……君の目が欲しい。その一瞬を逃さない反射神経が欲しい。君の目になりたい! 素晴らしい景色の中にいられる君の……!!」


 突然の渡会の告白に、僕は動転した。まさか孤高だと思っていた渡会がそんなことを思っていたなんて……


 ……って、なんか空気おかしいぞ!? おい渡会!?


 彼の吐息を感ずるほど、顔が近づいてきた……


「君が……欲しい」


 さらに彼の声と息と唇が僕に近づいてきた。

 だが……こんな状況でも僕は、背後の様子が見えてきた。

 おそらく……僕の後ろでは……


『来るッ!!』


 川沿いの、強い風が吹いた瞬間に、僕は感じた。

 今、僕の背中越しには、全てが揃っている!!

 カメラを握りしめ……僕の唇が渡会の唇に触れた瞬間、振り返った。


 僕の視線の先で……


 ちゃっかり、編集者さんがやっぱりついてきていた。

 目立たないように黒い服を着ている。

 僕達の光景を見て、顎が外れんばかりに口を開き、「きゃー」と頬を抑えて目を丸くしている。


 長い髪の毛はカツラだったみたいで、風に飛ばされて、西に向かって風下に流れていった。

 やや向こうには、やっぱり僕らに対してライバル心を抱いていたのであろう、外村と久保井が現場に到着し、

呆然とこちらを見ている。


  この瞬間だ!! 現実を超えたエネルギーが! 目の前で満ちている!!

  僕はシャッターを切った……。



 * * * * *


「やってくれたなあ……」


 僕の写真を見て、先輩が震えている。


「次は『叫び』とはな……どうやってこれを撮った」


「偶然です」


「偶然!? お前は……奇跡の中で生きているな。鳥越」


 褒め殺しに聞こえるが……先輩の言いたいことはわかる。

 今回は……僕は渡会に負けた。

 僕の写真の隣には、渡会の写真がある。

 彼は、川沿いの地面に映った、編集者さん、それから、外村と久保井の「影」を撮った。

 僕達を見てしまい、「見なかった」アピールをして、それぞれ、下をみたり地面に落としたコンタクトを探しているのだろうが……それは明らかに、ミレーの「落穂拾い」の完全再現だった。

 フラッシュで、画が淡く見える……。


 これが『超現実写真家、渡会』の始まりである。


 僕の写真は、銭湯の客とか、親戚とか、編集者さんの顔がモロに映っているためにコンテストには出せなかった。……渡会の一人勝ちだった。


「コンテストは残念だったな。真実。だが次がある」


 肩を落とす僕に、渡会が声をかけてきた。


 芸風を渡会に盗まれて、僕は落ち込んでいた。そんな僕に渡会は耳元で囁く。


「なんならカメラマンじゃなくて、俺専属の被写体としてコンテストに出ないか?」


「ヤダよ!」


 どんな口説き方だそれは。

 今のこいつの被写体になるということは、どんな格好で撮らされるかわかったものじゃない。


 恥ずかしさと悔しさで、僕の目は真っ赤になった。

 

 


    真実、の、目! 了

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