第2話 最後の晩餐

 その瞬間、体が熱くなったが頭の中は冷静だった。


『この一瞬』をフィルムで切り取り、それを後世に残すことが自分の使命だと感じた!


 それぐらいのエネルギーが、今目の前の画にはある!

 だからシャッターを切った。


 ……その数秒後、長政おじちゃんが暴れて、乱闘騒ぎになった……。



 * * * * *

 

 年を越して、元旦。

 僕は今、父方の実家に来ている。大きいお屋敷だ。

 今日は、親戚一同が、新年の挨拶にこのお屋敷に集まる。

 毎年のことだから仕方がないのだが、本当はここに来たくはなかった。


 理由は二つある。


 一つは、ライバルの渡会がコンテストに向けて『夕日』をモチーフに決めたらしく、今日の午後、学校の近くを流れる川に行くというので同行したかったのと、単にここに集まってくる親戚一同が苦手だからという理由だ。


 特に……僕は宗右衛門おじちゃんと、長政おじちゃんが大の苦手だった。


 宗右衛門おじちゃんは、その風貌からして苦手だった。

 この令和の時代に、一九六〇年代のヒッピーのような格好をしていて家族も持たず定職にもつかず、一体どんな生活をしているのか親族達にもわからなかった。


 五十を過ぎて『だらしがない』のはその通りなようで、一説にはヒモのような生き方をしているとか、ヤバい薬を売りさばいているとか、ヒッピー然とした噂が絶えない。


 長政おじちゃんは、宗右衛門おじちゃんのことを蛇蝎のごとく嫌っていた。

 もう七十近い年齢のはずだが、白髪の角刈り、そして立派な白髭は見るからに威圧感があり、宗右衛門おじちゃんみたいなのが親族にいるからなのか常に殺気だっていた。


「あの野郎が次何かしでかしたら、『なます』にしてやる」と、刺身包丁を持ち歩くようなヤバい人である。


 正直、どちらも警察に捕まってもおかしくない人物だ。

 彼らに会うのが、今から憂鬱だった。


 お屋敷は、今は父の兄である京太郎おじちゃんが相続している。僕と、父母が一番乗りだったみたいで、一家が出迎えてくれた。

 

「あけましておめでとうございます」


 僕が挨拶をすると、長髪で感じのいい京太郎おじちゃんは、感じよく返してくれた。


 京太郎おじちゃんの奥さん、茅子さんはすでに台所に立っており、今から集まる総勢十四人分の『おせち』の支度をはじめており、母が早速調理を手伝う。母と茅子おばさんとは仲がよく、一緒にバスツアーにも行ったりする。


 京太郎おじちゃんと茅子さんの息子が哲人君で、年齢的には僕より下。今年高校受験だ。

 今頃、受験勉強のストレスが溜まっている頃かもしれない。


 続いて屋敷にやってきたのは宏政おじちゃんで、彼は長政おじちゃんの兄だ。独身なので一人でやってきた。

 宏政おじちゃんは親族の中で一番感じが良く、高校生になった僕にも笑顔でお年玉をくれた。

 

 次にやってきたのは、男の二人連れである。

 幸政おじちゃんは長政おじちゃん、宏政おじちゃんの弟にあたる。年齢も比較的若いのだが、彼は特に若々しく見えて、白髪もない。

 その隣にいるのは、彼のボーイフレンドの重五郎さんだ。


 相変わらず腕が長いなあ……。重五郎さんは男前でスタイルがいいのだが、目を引くのがその腕の長さだ。

 


 この二人の関係は結構長く、まだ同性婚が認められない頃から一緒に暮らしている。

 幸政おじちゃんにとっては、重五郎さんは既に家族のようなものなのでこういう場に連れてくるのだが、そろそろ結婚を考えており、親族の前で発表しようとしているらしい。


 そして……部屋が殺気立った空気に包まれた……。

 きた。長政おじちゃんだ。


 相変わらず真っ黒なボルボに乗ってやってきた。

 角刈りにサングラス姿で車から降りてくる。

 幸政おじちゃんと重五郎さんが、走って出迎え、新年の挨拶をしている。

 長政おじちゃんは、二人とは会話をせず屋敷に入ってきた。


「あけましておめでとう」


 威圧感のある声で長政おじちゃんが入ってくる。

 心なしか、背筋が伸びる。

 おじちゃんは、サングラスを外して屋敷内の面々を一瞥し、宗右衛門おじちゃんがいないのを確認すると……


真実まさみ


 と声をかけてきた。背中に冷や水をぶっかけられた感覚である。


「は、はい」


「まだ写真は、やっているのか」


「はい!」


 すると、長政おじちゃんは険しい顔のまま、白い封筒を取り出して……


「……これでいいカメラを買え」


 と、僕に渡してくれた。

 ……どうやら今日はすこぶる機嫌がいいのかもしれない。ちょっとだけ、いい予感がした。


 その後にやってきたのは、宗右衛門おじちゃんのお兄さんにあたる、宝太郎おじちゃんと、圭介おじちゃん。

 そして圭介おじちゃんの子供で高校二年生の涼介君だ。

 この三人はいわゆる『日和見主義』で、いつも長政おじちゃんとは関わらないように隅っこに固まって親族達の会話に加わらないようにしている。

 ……ある意味一番賢いかもしれない。


 始末が悪いのは、親戚達と距離を置きながらも部屋の隅っこで三人固まって、平然と下世話な話を楽しむところだ。

 

 そして……真打ち登場と言わんばかりに彼は一番最後にやってきた。

 庭の方から、パラパラパラ……という乾いたエンジンの音が響くと、年代物のフォルクスワーゲン・タイプⅡが庭に停車した。

 そして降りてきたのは……

 長髪で、ヨレヨレの赤いシャツの上から青いトレーナーをだらしなく掛けた、宗右衛門おじちゃんだ。


「やあ。また歴史が一つ歳をとったけど、愛し合ってるかい?」


 独特な言い回しでお屋敷に入ってくる。

 僕が出迎えて新年の挨拶をすると、宗右衛門おじちゃんは焦点の合っていない目で僕を見て……



真実まさみちゃん、まだ高校生? じゃあまだクスリは早いか」


 と、冗談なのか何なのかわからない言葉を吐いた。

 ……背中がちくちく痛い。振り向くと、長政おじちゃんからの鋭い視線だった。

 彼はすでに、臨戦体制だ。


 僕たちがおせち料理を囲んで食べるスタイルは非常に変わっている。

 それは、誰が上座に座るべきか等で長い議論になるのと、長政おじちゃんが「食事の最中に(宗右衛門を)視界に入れたくない」というので、もう面倒臭いから横一列に並ぼう。という京太郎おじちゃんの提案である。

 だから正確にいうと、おせちを「囲んで」はいない。

 僕たちは一列に並んで、母と茅子おばちゃんが作ったおせち料理をいただいている。

 

 席の端の方では、『日和見グループ』の三人が酒が入った瞬間に下世話な話を、ひそひそと始めている。

 宝太郎おじちゃんが、最近指名した風俗嬢のボイン具合を人目も憚らず話しており、そのグループに入りきれない受験生の哲人くんは、受験のストレスからソッチの話に興味津々で、何度も視線が宝太郎おじちゃんにいくがその都度、隣に座っている京太郎おじちゃんに太ももをつねられて注意されている。


 僕ら一家と、長政おじちゃんの兄弟たちと、重五郎さんは、酒が入って殺気だってきている長政おじちゃんをなんとか宥めている。

 その横で、眠たそうな宗右衛門おじちゃんの肩が大きく左右に揺れている。


 僕はトラブルを予感した。宗右衛門おじちゃんが……何か一言でも言えば乱闘騒ぎになる。


 自然と……カメラに手が伸びた。

 頭の裏で、じいちゃんの声が響く。

「その瞬間を切り取れるように、常に『準備』をしておけ」

 

 そして……『その瞬間』が訪れようとしていた。


「……男ってサ……結局オッパイからお尻に帰ってくるんだよネ……」


 誰も話しかけてないのに、宗右衛門おじちゃんが喋り出した。左右に揺れながら。

 ガチン! と、食器が音を立てた。イライラしている長政おじちゃんが机を拳で叩いたのだ。


 ここだ……! 体が勝手に動いた。僕は、この親族全員を画面に収められる位置まで滑り込んだ。


「そんな物騒なもん出すなって! 警察来ちゃうから!」

 

 響いてきたのは宏政おじちゃんの声だ。

 宗右衛門おじちゃんは気にせず続ける。次の言葉が……引き金になった。



「お尻って偉大だよネ……僕はこの間そのー……『気分がいい時』に、試しにお尻に指を入れてみたんだ。第三関節まで入ったよ……」


 ダン! と音を立てて、長政おじちゃんが立ち上がる。

 来る……!! 僕は直感した。


 目の前には……

 画面右から、風俗嬢のボイン具合を手で表現している宝太郎おじちゃん。

 羨ましそうにボインの触感を右手で想像している圭介おじちゃん。

 日和見グループに属しておきながら、「ちょっと隣がヤバイことになってるよ!」と慌てだした涼介くん。

 

 食事中になんてことを言い出すの!? と立ち上がった茅子おばちゃん。

 家族を、宗右衛門おじちゃんに近づけないように両手で制する京太郎おじちゃん。

「第三関節ってここっスか!?」と、自分の人差し指を見ながら興味津々な哲人くん。


 左右に揺れながら問題発言をなんでもないように語る宗右衛門おじちゃん。


「嫌だもう……」と引いている母。

 宗右衛門おじちゃんに向かっていきそうな長政おじちゃんを背中で押さえる父。


 刺身包丁を取り出して、いよいよ立ち上がった長政おじちゃん。

「ああ、もう知らねえ」とお手上げ状態の宏政おじちゃん。


 目の前の状況に圧倒されながらも、お互い体を密着させてこっそりパートナーのお尻を触る幸政おじちゃんと、

突然お尻を触られて、勢い余って手が長政おじちゃんまで届いちゃった重五郎さん。


『全てのピースが集まった』感覚があった。

 

 その瞬間、体が熱くなったが頭の中は冷静だった。

『この一瞬』をフィルムで切り取り、それを後世に残すことが自分の使命だと感じた!

 それぐらいのエネルギーが、今目の前の画にはある!

 だからシャッターを切った。


 ……その数秒後、長政おじちゃんが暴れ、乱闘騒ぎになった……。


 おじちゃんは全員に抑えられ、警察沙汰はなんとか回避された。


 京太郎おじちゃんは至極迷惑そうだったが、来年もきっとこのメンツで集まるのだ……。


 * * * * *


 僕は、『渾身の一枚』を、先輩に見せた。


「どうやってこれを撮った……?」


「普通に、親族の集まる新年会です」


「お前これ…… 『最後の晩餐』の完全再現じゃないか!

 いや、再現なんて言葉ではこのエネルギーは言い表せない!

 これは……『異説、最後の晩餐』だ!!」


「……来年も集まるので『最後』ではないんですけれどね」


 ダヴィンチの描きたかった全ての要素がある! と鼻息の荒い先輩に、ただの親族の猥談ですよ。とは言えなかった。

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