第5話:神が授けた悪臭

 この詰むや詰まざるやの最終盤に入ってきて、奈良のオナラ攻撃は質・量ともに激しさを増していた。右に左に真ん中にと高さも様々に変えて奈良が放つが、この奈良の「スー」攻撃に対し、スター・ウォーズののビームサーベル捌きばりの見事な扇子捌きによる別の意味での「空中散歩」のフォースならびにニュータイプへの覚醒を澤出も激闘の中で示しつつあり、決定打は与えない。


 少し離れているとはいえ、盤側に控える記録係も既に15cmほど机を引いていた。


 澤出は、悪臭対策に気を取られ悪手を打ってしまう。これではいかんと息を止めて「盤上この一手」を探すも、脳への酸素不足により、これまた悪手を重ねてしまう。いっそ、ジオングと戦うには、ガンダムみたいに頭無しとなっての攻撃の方がいいのではないかしら?などと余計なことを思ってしまう。そんな間にも時間が無常にも無駄にどんどん過ぎていく。ギリギリまで考えたい。しかし、奈良は残り「55、56」ぐらいのタイミングで放ってくる。時間切れ負け寸前でなんとか指す。


 ジオング攻撃でなかなか崩れない奈良が業を煮やして、遂に最終奥義を繰り出してきた。


 将棋界には有名な「ひふみんアイ」というものがある。これは相手盤面側に回り込んで局面を眺めるというものである。これは、レジェンド棋士である加藤一二三ひふみが1979年の王将戦で当時、全盛期だった中原名人・王将が離席した際に中原王将側に回り込んで盤面をたまたま見たら、自分サイドからのみ見ていたのでは気づかなかったであろう「天来の妙手」が浮かび、見事、王将位を奪取したという逸話から、相手側に回って(もしくは、近年のゲームでは盤面をひっくり返して)盤面を見ることを「ひふみんアイ」という。


 なんと奈良は1分将棋の中、これを仕掛けてきたのである。澤出の背後に回り、中腰になって盤面を覗き込む。相手の動きが止まった。「来る!」


 澤出は、咄嗟に持ち駒の角を1五角打ちと5一にいる相手玉目掛けて遠見の角を放つと同時に立ち上がり、ギリギリ回避、逆に奈良側の盤前に立つ。


 両者、同時「ひふみんアイ」という前代未聞の光景が現出。両者睨み合い。すると奈良は腰をさらに深くおろし、横綱土俵入りの不知火型で広げた両手を中央にやや煽りながら、足の踵とつま先を動かして横綱土俵入りのように、前方ににじり寄ってくる。


 その覇気を受けるが如きに澤出も蹲踞そんきょの姿勢から雲竜型で右の手を斜め前に、左手は防御の姿勢で脇腹に付け、こちらも闘気を漲らせる。あたかも盤を挟んで、土俵上の東西横綱どおしの額が触れんばかりの睨み合いのようになった。


 ネット住民、騒然。

「覇気対闘気のスゴイ戦いだ」

「これはもはや将棋の盤面を超えた格闘技になっている!」

「こんなの見たこともない!」


 最後に奈良は一瞬動きが止まったかと思うと足も動かさずに少し前に出たように見え、大仏が初めてニヤリと笑ったような気がした。前屈しての絞り出すような、よほどの高濃度ガス放出の手応え、いや、シリ応えがあったのだろう。


 通常は「手番を握る」というのが、終盤においては何よりも価値が高いことが多いが、もし、本局の感想戦があったならば、この手番を奈良が握っていた、というのが敗着級の戦術ミスだったということになるだろう。逆に言えば、苦し紛れとは言え、王手をかけ盤面の先手を辛うじて握っていた澤出の判断が功を奏した。


 30秒まで数えられて、手番の奈良が自分の盤の方に戻り、胡座をかいて座ったその時だった。なんと奈良はその場で大きく開いた鼻で深呼吸した刹那、大仏のように固まりそのまま後ろにひっくり返ってしまったのである。


 仏の教えは諸行無常だったか、所業無情だったか?


 実は雲竜型で香澄が大きく前方に差し出した右の手の甲を返したその時に、腰を折った前傾姿勢、お尻を突き出したその恰好もあって、実に4秒にも及ぶ鼻腔に粘りつくような4日間便秘で溜まりに溜まっていたクサいオナラを音もなく噴出させていたのである。


 ネット住民たちは香澄の見事な凛とした表情での雲竜型での右手の返しを見て、「決まったー!カッコイイ♪」などと感嘆の声を漏らしていたのだが、香澄は改名を迫られるほどの超絶にクサい一発を音もなく漏らしていたのである。ネット民には「覇気対闘気の激突」と思われていたものは「臭気対臭気の激突」であり、意趣返しの異臭返しであった。


 香澄も奈良と入れ替わるように、その場をスッと離れて、まるで映画『国宝』に出てくる歌舞伎役者のように畳んだ扇子を地面と並行にして前に突き出し、摺り足で自分の座布団にゆっくりと戻り、今度は扇を開いて『敦盛』を舞うことで、相手が汚した空気をどけてから座っていた。


 このまま時間切れで奈良の負けかと思ったが、映画『危険な情事』のラストよろしく、ガバッと奈良が起き上がりこぼしの如くに身体を起こす。しかし、悶絶失神して失った20秒は時間としてはあまりに大きく致命的であった。かろうじて意識を取り戻して打った手は「4二角打ち」。角の王手に対して、同じく角で受けたのだ。


 しかし、この「4二角打ち」こそ、この壮絶にして語られることのない戦いを象徴する悪手となった。本来であれば、玉の逃走路を確保しつつ駒を節約して金がまっすぐ上がる手が正着であったが、秒に追われて思わず合駒を打ってしまった。しかも、相手の角打ちに対して、角打ちで受け返す一見強い受けに見えた。が、角は斜めには利きがあるが、「頭が丸い駒」とよく言われる。角の丸い頭の上に天使の跳躍を決めた香澄の桂馬が奈良玉への王手となり、一見玉の周りをすべて自分の駒で固めた鉄壁に思えたが、「4二角打ち」が自らを逃げ場のない「4二コーナー」を作り上げ、唯一相手の駒を飛び越せる桂馬による、逃げ場のない「窒息詰め」にて見事に仕留め上げられてしまったのだから。


 神は最後の最後で澤出香澄に悪臭を授け、奈良勉の悪手を誘発したのであった。


 「93手で先番澤出七段の勝ちとなりました。失礼しますっ!」

記録係が澤出の勝利を告げたあと、すぐに退散。


 この瞬間、澤出香澄七段はA級昇格を果たし、見事、即日八段に昇段となった。


 両者ともに感想戦は断り、異様な空気のみを残して、激戦となった対局場からは誰もいなくなった。。。 < 終 >

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神が授けた悪臭 青山 翠雲 @DracheEins

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