第4話:新手発動

 迎えた最終局の序盤戦は、澤出は、宮本武蔵ばりの扇子二刀流が功を奏し、あまり臭いに苛まれることはなかった。常にこちらから微風を送り込んでおり、人工的に風上に立つことが出来ていた。しかし、序盤からオナラ攻撃を必要以上に警戒しすぎていたか、扇子を仰ぐことに気を取られて考えに集中できず、序盤の駒組では、の良くない手を何手か指してしまっていたし、時間も思った以上に浪費してしまっていた。


 午前中はなんとか大過なく互角を維持できていたように思うが、こんな対局姿勢ではA級の座を掴むことはできない、と言い聞かせ、盤面に集中するようにしようと決意した。しかし、ケツイなんていうことを考えたら、たちまちにこの昼食時に奈良七段は何を食べてくるのか?ということが気になりだしたら、途端に今、自分が食べている食事の味が分からなくなった。


 昼食休憩開け、いよいよ中盤戦に入ってくるところ。奈良七段はお互いが盤上の戦力バランスを崩さぬよう慎重に2手ずつ指したところで、すっくと立ちあがりトイレへと向かった。相手もいなくなり、澤出は前傾姿勢を強め、いざ盤上没我しようとしたその時だった。豚生姜焼き&キムチセットでオナラエネルギーをチャージしていた奈良七段がこの大一番向けに考えてきた戦術が炸裂する。澤出の鼻孔に刺激臭が到達した際に、残像が澤出の脳裏で蘇る。奈良がトイレに立つ際、0.5秒ほどそういえば動きを止めていたようだった。前傾姿勢を深めた澤出の鼻孔近くでの「くるりんぱ & 高濃度ガス直噴攻撃」。奈良が発動した研究手の発動だった。昼食で濃度を増していたガスの直撃を喰らってしまったため、思考が乱れ、心も怒りで震え、盤上へ使うべき思考がなかなかまとまらなかった。何よりも、直撃を警戒すべしとの「恐怖」が心と頭に植え付けられてしまった。


 お互いにとって負けられない大一番。中盤の捩じり合いが果てしなく続いた後、夕食休憩を経て、終盤戦での激しい攻防となり、途中、再びの「くるりんぱ」攻撃は相手が0.5秒動きを止めた瞬間にこちらもトイレに立ち、見事に躱すなど、盤上も盤外でも、激しい攻防が繰り広げられ、一進一退の状態が続いたまま冒頭のシーンへと合流する。残り時間は澤出が10分、奈良が22分となっていた。5分ほど考えて、終局までには相当時間がかかると判断し、今のうちにと長期戦に備えて、澤出はトイレに席を立った。


 「こっちも扇子の二刀流と息留めぐらいしか対策は出来なかったけど、向こうも<くるりんぱ>ぐらいしか新たな技はなさそうね。まぁ、そんなにオナラにバリエーションがあるわけないか。棋力だけなら負けないわ!そして、熱い気持ちも!絶対、A級棋士になってみせる!」そう、鏡の中の自分に言い聞かせ、頬を二度両の手ではたいて気合を入れ直して、対局室に戻った。


 残り時間は澤出が2分、奈良が7分となっていた。香澄が席に戻ると、奈良が新手を繰り出してきていた。それは盤上のことではない。盤外の話である。対局には、将棋盤・駒・座布団・脇息というひじ掛けが用意されている。奈良がこのひじ掛けを身体の前面に持ってきたのである。これまでの映像では見られなかった動きだ。相手が用意してきた秘策第二弾といったところか。これまで、棋士の中には、脳内盤面を使って深い読みに入る際、このように脇息を身体の前に持ってきて、両肘をつき、こうべを深く垂れて長手数の読みを入れる棋士はいた。しかし、奈良の使い方は違っていた。


 機動戦士ガンダムに詳しい方は、最後にガンダムと戦ったジオン公国の最終兵器ジオングを思い起こしていただければ想起しやすいだろう。奈良の場合、胡坐をかき、ケツ穴を前面に持ってきた形が最も攻撃力が高くなる。脇息を身体の前方に配置し、それを巧みに使うことで、左前方や右前方など、狙った角度に放てるようになっていたし、極めつけは、脇息を身体の前面に持ってきたことにより、引き寄せて凭れるようにして、身体をくの字に曲げ、相手の前方角度に放てるように進化していたのである。この相手の新手を分析し終えた時、澤出はなぜか脳内でCMの一節が流れていた。


 「あなたの風邪に狙いを決めて ブロック♪」


 そうだ、奈良は脇息を便座へと上位?下位?互換し(この際、上下はどちらでも良い)、この対局場自体を自らの土俵であるトイレ空間へと舞台装置化しようとしていたのだ!


 そんな分析に時間を要してしまったら、記録係から声がかかる。

 「澤出先生、持ち時間を使い切りましたので、これより1分将棋でお願いいたします。」

 (マズイ!これでは、奈良の思うツボだ!指さねば!)


 自らも身体の左側に置いた脇息に身体を預け「盤上この一手」の思考に澤出が没入しようとする。すると視界に、ちょうど対角線上になるように身体を左に寄せた奈良の姿が目に入る。動きが止まった。「来る!」


 そう思った瞬間、身体が先に動いていた。大きく右に身体を傾ける。一瞬、左頬に風圧を感じたように思った。髪の毛一本差で躱した奈良の強烈弾が澤出をすり抜けて、記録係の席方向に行く。


 奈良が夕食で摂取した生ニンニク摺りおろし特製ソース付きローストビーフ丼のエネルギー充填満載の一撃の余波が記録席付近にも及んだようだ。異臭を感じ取った記録係が堪らず鼻を摘まんで秒読みを読む。


「20びょう、30びぃょう、40びぃょう」途中から変な響きとなる。澤出はかろうじて残り3秒のところで指す。深くまでは考えられていない。


 手番は奈良。目線だけは盤上に注がれているが、まったく瞳は動いていない。動いているのはケツ穴だけだ。澤出が右に身体を傾ければ右に、左にスウェーさせれば左にと、まるで追尾システムのように微妙ではあるが腰から下の角度を変え、執拗に鼻孔を狙ってくる。止まった。「来る!」咄嗟に今度は顔を伏せた。しかし、その静止はフェイクだった。顔を伏せた瞬間に、奈良は上方ではなく、通常ルートである下方に向かってオナラを放っていた。将棋盤の下は空間が空いているため、そこから猛烈なニオイが立ち込めてきた。急ぎ扇子を将棋盤の下で扇ぎ、異臭を押し返す。『風の谷のナウシカ』のセリフではないが、「少し胞子を吸ってしまった。肺に入った」という感じであった。しかも、顔を伏せていた間に、音もなく一手指していたらしい。こちらの秒数のカウントが始まっていた。


 この卑劣な所業に、さすがの澤出も怒り心頭に発し、奈良を睨みつけていた。


 「おのれ、棋士道にもとる行為!」


 しかし、奈良は、依然、大仏然として表情ひとつ変えない。もはや、二人の視線は盤上にまるでなく、相手の目と尻、鼻と手に注がれていた。


 この大一番をネット中継で見守る将棋ファンたちも騒然とし始めていた。


 「おい、この終盤になって、二人の動きが激しくなってきたぞ!」

 「ホントだ!上半身を右や左にスウェー、扇子を畳の上で激しく動かしたり、特に香澄ちゃん、いつもと明らかに違う!」

 「目線ももはや盤上には注がれていない感じがするのは気のせい?」

 

 両者ともに1分将棋に突入。勝った方が夢のA級行きの切符を手にする!両者にとって負けられない一戦だ。

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