第4話 秋津池の記録 - 1878年
後の調査で判明した事実がある。
この土地の恐るべき過去が。
江戸時代後期、ここには「
農業用水として使われていたが、地元では
古い記録によれば、秋津池は子供を飲み込む池として恐れられていた。
明治10年から12年にかけて、この池で連続水死事故が発生した。
すべて七歳から九歳の子供だった。
最初は事故とされた。
しかし不可解な点があった。
被害者はみな泳げた子供だった。
池の深さも子供の背丈程度。
なぜ溺れたのか。
さらに奇妙だったのは、遺体の状況だった。
明治時代の検視記録が残っている。
――
明治十一年八月 検視記録
死体ノ全身ニ、無数ノ小サキ手形ノ如キ
紫色ヲ呈シ、指ノ跡明瞭ナリ。
而シテ其ノ手形、尋常ノ五本指ニ非ズ。
六本、七本、時ニハ八本ノ指跡ヲ認ム。
死体ノ口中ヨリ、池底ノ泥ト藻ヲ多量ニ吐出セリ。
胃中ニモ同様ノ物質充満ス。
溺死ニ非ズ、窒息死ノ疑イアリ。
最モ奇怪ナルハ、死体ノ表情ナリ。
恐怖ニ歪ミタル顔ニ非ズ。
微笑ヲ浮カベ、安らカナル様子ナリ。
マルデ楽シキ夢ヲ見ツツ眠リシ如シ。
――
まるで大勢の子供たちに引きずり込まれ、泥を無理やり飲まされ、
それでも最後は幸せそうに死んでいった。
そんな光景が浮かぶ。
明治12年9月。
村人たちが池を
子供の骨が、折り重なるように沈んでいた。
明治の事故より遥か前、江戸時代、戦国時代、さらに古い時代の骨。
数百年にわたり、この池は子供を飲み込み続けていた。
そして骨の中に、一体だけ完全な形で残されたものがあった。
八歳程度の女児の全身骨格。
頭蓋骨の
口には泥が詰まり、小さな手は何かを掴むように固く握りしめられていた。
村人の記録にはこうある。
――
「骨ヲ洗浄セシ時、我等ハ悲鳴ヲ上ゲタリ。
骨ノ表面ニ、細カキ文字刻マレオリ。
爪ニテ引ッ掻キシ如キ、震エタル文字ナリ」
サビシイ
アソビタイ
ヒトリハイヤ
「同ジ言葉ガ、骨ト云ウ骨、全テノ表面ニ刻マレタリ。
マルデ何百年モ掛ケテ、ヒタスラ同ジ言葉ヲ刻ミ続ケシ如シ」
――
恐怖した村人たちは急いで池を埋めた。
そして小さな
それが秋津荘建設時に発見され、破壊された石碑だった。
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読んだら終わり。編集者が発狂した「事故物件 秋津荘 201号室」全記録 椿 喜介 @kisuke_tsubaki
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