第二幕・第九章 闇を割る足音
異形の背後で揺れていた影は、月光を遮るほど巨大だった。
輪郭は定まらず、濃い霧と煤のような黒が絡み合っている。
その奥から、ゆっくりと重い足音が響いてきた——いや、足音というより、大地そのものが軋む音だった。
草は一斉にしおれ、土がひび割れ、冷たい風が地を這う。
湿った金属の匂いが漂い、喉の奥がざらつく。
夏芽が思わず鼻を押さえるが、吐き気は防げない。
「……なんだ、あれ……」狩野が震える声で言った。
異形はその影に向かって殻を傾け、まるで頭を垂れるような動きを見せた。
白殻の三つの穴から滴が一層激しく流れ落ちる。
やがて、その影の中から二つの光が現れた。
光といっても輝きではなく、暗闇に浮かぶ白濁の目——大きさは人の頭ほどもある。
それが左右にゆっくりと動き、静馬たちを舐め回すように見渡した。
澪がその目を見た瞬間、全身から血の気が引いた。
小さく震え、唇を噛みしめる。
「……やっぱり……来たんだ」
声は恐怖と、妙な諦めが混じっていた。
静馬は振り返る。
「澪、知ってるのか?」
澪は首を横に振るが、その仕草はあまりにも遅く、ためらいがあった。
影はさらに近づき、夜気が押し潰される。
風が止まり、音も消えた——呼吸の音だけがやけに大きく響く。
その存在が近づくほど、体の芯から力が抜けていくような感覚に襲われる。
静馬の手から短刀が滑りそうになる。
刀身はかすかに震え、何かを拒むように白い光を漏らした。
異形はその光に反応し、一歩後退するが、背後の影は動じない。
むしろ静かに、確実に距離を詰めてくる。
突然、空気の奥で声が響いた。
低く、土の奥から湧き上がるような声——だが耳ではなく頭蓋の内側に直接届く。
> 「……アラカワの……血……」
その瞬間、澪の体が震え、顔色が失われる。
夏芽が支えようと手を伸ばすが、澪はそれを振り払った。
> 「……やっぱり……私、行かないと……」
静馬が一歩踏み出し、彼女の腕を掴む。
「ふざけるな。行かせるもんか」
だが背後の影がひときわ強く圧を放ち、視界がぐにゃりと歪む。
大地のひび割れから黒い煙が吹き出し、世界がゆっくりと傾いていく感覚が広がった。
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盂蘭盆の夜、薪は人を喰らうーー荒川家の人々ーー 影武者なのだ @groener
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