いじめられっ子代行サービスは、水溶性黒百合の花言葉を知らない

猫柳閑郎

一頁「机上に黒百合、根を張りて」

 白磁はくじのように滑らかな制服は、着物のえり元にセーラーの意匠を重ね、学ランの直線美を取り入れた奇妙な融合体であった。

 裏地には淡く光る黄色が忍ばせてあり、歩くたびにちらりと覗くその色は、まるで心の奥に秘めた感情のように、誰にも見せぬまま、確かにそこに在った。

 帝都ていと黒百合学園――名門と謳われるこの学び舎には、今日も白き制服に身を包んだ若人わこうどたちが、石畳の通学路を踏みしめていた。

 朝の空気は澄み渡り、遠くから聞こえる市電しでんの軋む音が、都市の鼓動を静かに伝えていた。

 キーンコーンカーンコーン――予鈴が鳴る。

 その音が学園の門前に響く頃、一人の少女がすそひるがえしながら駆けていた。

 彼女の名は、密原藍苺みつはららいめい

 藍色の髪は外にはね、丸く整えられたボブは、まるで熟れたブルーベリーの果実のように甘く、しかし毒を含んだ艶やかさを持っていた。

 陽の光を受けて艶めき、見る者の目を奪うほどに鮮烈であった。

「……ったく、なんでこんな日に限って工事してんだよ」

 吐き捨てるような言葉とともに、藍苺らいめいは校門をくぐる。


 教室の扉を開けた瞬間、空気が一瞬凍りついたように静まり返る。

 そしてすぐに、耳をつんざくような笑い声が四方から降りかかる。

 クスクス、クスクスと。

 群雀むらすずめのように甲高く、無遠慮に。

 藍苺らいめいは舌打ちを一つ落とし、誰とも目を合わせぬまま自席へと向かう。

 ――その机の上には、今日も黒百合が咲いていた。

 毒々しく、艶やかに。

 まるで、彼女がこの教室に存在すること自体が罪であるかのように。


***


「……めんどくせぇ。でもまあ、机に油性ペンで悪口書かれるよりはマシか」

 花瓶の黒百合を無言で片付ける藍苺らいめい

 その所作は慣れたもので、日々の儀式のように淡々としていた。

 彼女がいじめられている理由に、明確なものはない。

 ただ、彼女が『とてつもない変人』であることが格好の標的となる足がかりとなった。

 何よりそれを決定づけているのは、彼女の机の前面に掲げられた垂れ幕だ。

 『依頼求む!』

 密原藍苺みつはららいめいは、探偵であった。

 空虚で孤独な彼女の唯一の願い、それは――。

「……お兄ちゃん、何処どこに行っちゃったのかな」

 その呟きは、誰にも届かない。

 教室の騒めきの中に、静かに溶けていった。

 そのとき、担任が教室に入ってくる。

 藍苺らいめいは慌てて席に座った。


 藍苺らいめい禿げ上がった頭に目を向けることなく、頬杖をついて窓の外へ視線を逃がす。

 ……相変わらず話が長いクソじじいだこと。

「さてと、話はこれくらいにして、今日からこのクラスに新しい仲間が加わるぞ!」

 そんな声が、藍苺らいめいの耳に引っかかる。

 ……こんなに長話しておいて転校生待たせてたのかよ。

 初手から不憫な奴。

「いいぞ!入ってきてくれ!」

 その合図とともに扉が開く。

 黒髪に、鬼灯のような羽織のフードを被った少年が、静かに教室へ入ってくる。

 チョークを手に取り、黒板に自身の名を書き連ねていく。

 皆彼に興味があるのか、チョークを置く音が教室に響き、クラスの空気がわずかに張り詰める。

「っと、皆さん初めまして。俺は灯堂とうどう鬼乃介きのすけと言います!」

 その瞬間、彼の橙の瞳が藍苺らいめいを真っ直ぐに射抜いた。 

 藍苺らいめいは思わず息をむ。

 目を逸らそうとしても、逸らすことはできなかった。

「今日からよろしくお願いしますね!」

 そのとき、藍苺らいめいの背筋にぞわりと鳥肌が立った。

 ……変な奴に目を付けられたな。


***


「――ねぇ!聞いてるの?」

「……あ゛ー、聞いてた聞いてた」

「もう!絶対聞いてないでしょ!」

 昼休み――帝都ていと黒百合学園の中庭には、風が吹き抜けていた。

 石畳の上に落ちた銀杏の葉が、くるりと舞い、陽の光を受けて金色に輝く。

 白百合のように凛とした少女――奴白ぬしろこゆりが、藍苺らいめいの隣で弁当箱を広げている。

 長い白髪が風に揺れ、こゆりが弁当箱を広げる所作は、まるで茶道のように整っていて、気品が宿っていた。

 藍苺らいめいとは中等部一年からの付き合いであり、彼女いわく『親友』らしい。

 藍苺らいめい自身はその言葉に明確な返答をしたことはないが、奴白ぬしろは気にしていないようだった。

「というか、お前みたいな優等生が、こんないじめられっ子と体育館裏で弁当食ってるなんて……」

「何度も言ってるでしょ?私がメイちゃんと仲良くしたいんだから、それでいいの」

 『メイちゃん』というのは、藍苺らいめいのあだ名である。

 藍苺らいめいは思わず顔を背け、無造作に箸を動かしながら、ぶっきらぼうに言葉を返す。

「……巻き添え喰らってもしらねぇからな」

 奴白ぬしろは柔らかに微笑む。

 その笑顔は春の終わりに咲く白百合のように、静かで、強い。

「って、そうじゃなくて!鬼乃介きのすけくんの話よ!」

「……誰?」

「今日来た転校生!人当たりもいいし、すっごいイケメンだったじゃない!」

 ……そういえばそんな名前だったな。

 明るく、人当たりも良い彼は、転校初日にしてクラスに馴染んでいたように思う。

 ちなみに、奴白ぬしろはとんでもない面食いである。

 だが、成績は良く、運動神経も抜群。

 あたしと関わっていなければ、きっとたいそうモテるだろうに。

 ……もったいないなぁ。

「ちょっ!唐揚げ勝手に取らないでよ!」

「あ、ごめん。無意識だった」

 奴白ぬしろはそんな藍苺らいめい呆れたように笑いながら、唐揚げを一つ藍苺らいめいの弁当箱にそっと置いた。

 風が吹く。

 帝都ていと黒百合学園の昼休み。

 昼の光が、二人の影を長く伸ばしていた。


***


 予鈴が鳴る。

 藍苺らいめい奴白ぬしろと別れ、わざと少し遅れて教室へ戻る。

 彼女の歩みは、どこか重く、そして慎重だった。

 ……奴白ぬしろに標的が向いたら、あたしが困る。

 机に腰を下ろし、筆箱を開いて教科書を整えていると、視界の端に黒い影が差し込んだ。

 転校生・灯堂とうどう鬼乃介きのすけが、音もなく目の前に立っていた。

 彼は、藍苺らいめいの目線に合わせるように静かに腰を落とす。

 その動きは、まるで獲物に距離を詰める獣のようであった。

「……何か用?あたしに関わっても、いいことなんか――」

 その時、橙の瞳が藍苺らいめいの言葉を遮る。

 灯籠とうろうの中で揺れる火のように、じっと彼女を見つめていた。

「君さ、こゆりさんと仲いいんだ?」

 ……ああくっそ、分かれる前に見られてたのか。

「……何が目的?」

 転校生は微笑みすら浮かべず、淡々と告げる。

「今日の放課後、屋上来てくれる?」

その言葉の枕詞――『こゆりさんを巻き込みたくなければ』という無言の圧。

 ……ここは素直に応じておくのが賢明か。

 藍苺らいめいは短く答える。

「わかった」

「うん、よろしい」

チャイムが鳴る。

 彼は満足げに、だが何事もなかったかのように席へ戻っていった。

 藍苺は、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚を覚えていた。

 灯堂とうどう鬼乃介きのすけ――得体の知れない何かが、確かに彼の背に揺れていた。


***


 放課後――夕陽が差し込む踊り場で一瞬立ち止まり、藍苺らいめいは深く息を吐いた。

 誰にも見られぬように、そっと階段を駆け上がる。

 ……遅れたら何やられるかわかったもんじゃない。

 教室を出る時、背後から奴白ぬしろが心配そうな視線を送っていたが、気にしている余裕などなかった。

 屋上の扉を開けると、風が吹き抜けた。

 そこには転校生が、まるで待ち構えていたかのように立っていた。

 彼はフェンス越しに地上を眺めていた。

 夕陽がその輪郭を金に染め、まるで人ならざる者のような静けさを纏っていた。

 その背中には、言葉にできぬ何かが揺れていた。

 それは、過去か、罪か、あるいは――使命か。

 「はぁ、はぁ……」

 肩で息をする藍苺らいめいに、フェンス越しに地上を眺めていた転校生が振り返る。

 その顔には、どこか人間味の薄い苦笑が浮かんでいた。

「別にそんなに急がなくてもよかったのに」

 振り返った転校生の声は、柔らかく、しかし温度がなかった。

 まるで誰かの言葉を真似ているような、そんな違和感。

 藍苺らいめいは呼吸を整えながら、彼を睨むように見つめる。

「んで?人気者の転校生様が、あたしに何用で?」

 これがいじめのための呼び出しなら……此処ここから突き落とされるかもしれない。

 転校生は少しだけ言葉を溜める。

 そして、藍苺らいめいの目線に合わせるように静かに屈む。

 その動きは、まるで儀式のように滑らかで、無駄がなかった。

 まるで何度も練習された所作のようだった。

「そんなんじゃないんだけど……」

 言葉の終わりと同時に、彼は眼球を見開き、手を差し出す。

 その手は冷たく、妙に整っているようで、まるで人形のような精密さを感じさせた。

「『いじめられっ子代行サービス』、契約しませんか?」

 藍苺らいめいは一瞬、言葉の意味を理解できずにいた。

 風が吹く。

 屋上のフェンスがきしむ音が、二人の間に割り込む。

「……はぁ?」

 藍苺らいめいのその声は、呆れと警戒が入り混じったものだった。

 しかし橙の瞳は、まるで何かを見透かすように彼女を捉えていた。

 その瞳の奥にあるものは、親切でも敵意でもない。

 ただ、得体の知れない『何か』であった。

 藍苺らいめいは、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚を覚えていた。

 この男は、ただの転校生じゃない。

 何かを背負っている。

 何かを、隠している。

 そして、何かを――始めようとしている。

 帝都ていと黒百合学園の屋上に、秋の気配が静かに降りていた。




 ブルーベリー 「知性」「裏切り」

 鬼灯     「偽り」「欺瞞ぎまん

 白百合    「純潔」「無垢」

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