第28話 真実
校長室の前のエントランスには数名の学生がいた。楽しそうに会話をしていて、なかなか騒がしい。その集団の中にシオリがいた。彼女はきつく手を結んで、黙って俯いて立っていた。
「シオリ?」
私が声を掛けると、彼女はゆっくりと顔を上げた。生気のない顔をして、ようやく私の顔に焦点を結ぶと、泣きそうな顔になった。
「どうしたの? 何かあった?」
私はシオリの手を掴んだ。その手は冷たくなっていて、小刻みに震えている。
「私、この後、校長室に呼ばれてて」
校長室のドアが開き、学生たちがぞろぞろと中へ向かっていく。
「仕事が終わったら、図書室に行くから」
シオリだけに聞こえるように、彼女に近づいて耳元でそう言った。シオリの手を離すと、彼女は不安そうな顔を私に向けたまま、「うん、またあとで」と言い、俯きながら学生の集団の後をついていった。
受付の職員は、校長室に入っていく学生たちを眺めている。
「あの学生の集団は何ですか?」
「今年の学年代表たちね」
彼女は微笑んでそう答えた。
シオリは成績優秀者として呼ばれたらしい。私はほっとした。
その日の仕事の後、私はまっすぐ図書室へ向かった。考査が終わったため、これからしばらくの間、図書室にいる学生の数は少なくなる。
窓際のいつもの席にはシオリがいた。髪に夕日がきらきらと反射している。
「おめでとう。シオリ」
そう言って軽く肩を掴むと、シオリは小さな悲鳴を上げて飛び上がった。そして、私の顔を見て、声を出さずに笑った。
「学年代表なんてすごいじゃない」
「私は副代表だけどね。緊張して死んじゃうかと思った」
シオリは考査前に不安で押しつぶされそうになっていた。いざ終わってみると、彼女は次席だった。もっと自信を持っていいのに。
私たちは図書室を出て、校庭のベンチに並んで座った。話したいことがたくさんあった。
「ねえ、シオリ。私の育った町に一緒に行ってみない?」
「えっ」
シオリは一瞬驚いた顔をして、やがて思案顔になった。
「すぐに答えなくて大丈夫だから。半年後の長期休暇のときに、一緒にどうかなって」
「うん。わかった。考えておくね」
少しだけ戸惑った様子で、はにかんだ笑顔でそう答えた。
本当は何日も前、手紙を書いた日に誘おうとしていたけれど、気がつけば、もうこんなに日が経っていた。あっという間だったような。とても長かったような。
「そういえば、セドリック様には、いつかの礼は言えた?」
「ううん、ぜんぜん。自由に発言できるような場じゃなかったし」
それから彼女は、校長室でセドリックに再会できたことを嬉しそうに話していた。
いつかシオリをセドリックに会わせよう。私はそう決めていた。
どうせ私が望まなくても、セドリックが学校に顔を出すときには、私が呼ばれることになる気がしている。私の悪い予感はよく当たる。
その後、私たちは一緒に食堂へ行った。食事が終わりそうな学生の三人組の席に相席させてもらうことにして、私とシオリは並んで座った。
事件後、魔法学校の食堂では、以前のような美味しい料理を食べることができなくなった。決して不味いというわけではなく、出てくる料理は至って常識的な範疇の味ではある。ただ、リヒャルトの作る料理が特別だったというだけ。
相席していた学生のひとりが、平然と「味が落ちた」と言葉にして、私は思わず鋭い目つきでその学生を見てしまった。リヒャルトがいなくなった学校の食堂を、必死で支えてくれている調理師に対する敬意が微塵も感じられなくて、その無神経な表現は決して好きになれない。
同席していた他の学生が、私の視線に気が付いて謝ってきた。私に謝られても困る。
リヒャルトが『柵を超えた』という事実は、食堂の外ではすぐに噂になっていたのに、食堂では誰もリヒャルトの名前は口にしなかった。沈黙が、彼の不在を物語っていた。
学生たちが食事を終え、席を立っていった。
私が「やっちゃった」と言うと、シオリは「調理師さんたちに失礼だって私も思った。リアラは悪くないよ」と私を庇ってくれた。
明日も図書室で会う約束をして、それぞれ帰ることにした。
食堂から職員寮に向かう途中、食堂裏の焼却炉の近くを通る。その背景には、エリス先生の研究室のある第五研究棟がある。すっかり暗くなっていて、ぼんやりと街灯に照らされた建物の影が映っていた。
リヒャルトが逮捕される直前、私は焼却炉に立てかけてあったシャベルに触れた。あのときにエリス先生の魔力を感じた。
すぐにでも息ができそうなくらい水面が近くて、濁りのない透き通る水。まるで光の中をたゆたうように、一面がきらきらと明るく輝いていて、肌に触れる水の冷たささえも、どこか優しくて心地よかった。
エリス先生は、リヒャルトと一緒にいるときに、そういう感情を抱いていたのだと思う。
他国の間諜がどれほどの重責で、どれくらい息苦しいものなのかなんて想像できない。
校長室で会ったとき、彼女の魔力からは感情が欠落していた。まるで糸で操られる人形のように、誰かに対して、ほとんど感情が動かない空虚な魔力。深い水の底を漂うような、どうしようもない孤独感。それに対して、保管庫の魔力には、どうしようもない絶望感と、静かに焼き尽くす炎のような感情があった。
ここからは私の推測だ。
エリス先生は、本国からの命令があって、学校から去らなければならなくなった。最後に自分の研究を完成させようとしたか、それとも手土産として持ち出そうとしたか、もしくはその両方のために、魔力増幅装置の試作機を盗もうとした。そして、セドリックの登場によって、計画通りには進まなくなった。
彼女は、まだこの学校にいたいと、心の中では願い続けていた。だから最初、保管庫の中で試作機を移動したときには、どうしようもない絶望感に苛まれていた。
そして、リヒャルトと一緒にいたいと願ってしまった。最終的にはリヒャルトを連れて行こうとして、一緒に逃げようと誘った。
何ひとつ、彼女の願いは叶わなかった。
リヒャルトは、どこまで知っていたのだろう。彼は孤独な幼少期と青年期を過ごし、相手をよく見る癖がある。もしかすると、エリス先生が抱える孤独には、漠然と気づいていたのかもしれない。
大粒の涙が、地面に落ちていく。
「エリス先生も、リヒャルトも、ばかだ」
真相は、二人にしか分からない。それでも、食堂の裏口で楽しそうに笑って話していたエリス先生の姿も、シャベルに残されていた溢れ出しそうなくらいに煌めき輝いた感情も、荷馬車を走らせたリヒャルトが呟いた最後の言葉も、何もかもが私にとっては真実だ。
私もリヒャルトの説得に参加させてもらえるように、レティシア校長に頼んでみよう。
この先、リヒャルトが待ち受ける未来を、ほんのわずかでも変えることができるなら。
魔力増幅装置試作機盗難事件 完
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魔法学校の用務員リアラ エーカス @ma1eph
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