第27話 共通棟の小さな部屋
その翌日から私は用務員の仕事に戻ることになった。
事件の捜査中に私の代理として働いていた用務員は引き続き雇われることになり、私の負担は大幅に軽減されることになった。
この話を聞いたとき、私は用務員が増えることで自分が解雇されると思って青ざめた。でもどうやらそういうことではなく、純粋に人員を増やすことが決まったとのことだった。
私の業務が多すぎることは、以前から各方面で話題になっていたらしい。私の預かり知らぬところで、私の話がされていたというのは、何だかこそばゆい。
図書室で自由に本を読める時間が増えることは、悪い話ではない。
その日も、その次の日も、図書室にシオリは現れなかった。考査の結果が出るまでデリケートになっていて、授業後すぐに部屋に閉じこもっているに違いない。体調を崩していなければいいけど。
さらにその次の日、私は共通棟にある例の小さな部屋の掃除を命じられた。
山積みになっていた資料類はすべて学務事務室に返却されていて、部屋の中はがらりとしていた。応接用のソファとテーブル、執務机がそのまま置かれてある。
雨の後からずっと締め切られていたせいで、うっすらとカビの臭いがする。窓を大きく開け放ち、掃除を始めることにした。以前自分が掃除をした部屋とは思えないほど、あちらこちらが汚れていた。私は、ひとつひとつ丁寧に掃除をしていった。
掃除を終えて用務員の待機所に戻ると、同僚から「ねえ、リアラ。あの部屋、理事室になるんだって」と声を掛けられた。
悪い予感がした。そして、こういう不吉な予感だけは、なぜかよく当たる。
用務員の待機所で休憩していると、校長室に呼び出された。
校長室には、レティシア校長を筆頭に、教員が各派から三人ずつの九名、学校職員のうち室長級が四名、合計十五名もの教職員が一堂に集っている。どう考えても私がここにいるのは場違いなのに、誰もそれを気に留める様子もなく、私の姿を見るとごく自然に挨拶をして話しかけてきた。
フェリックス先生やエリオット先生も出席していた。建前上、二人は会話をせず、それぞれが立っている場所も離れていた。
エリオット先生は相変わらず詰まらなさそうな顔をしていたものの、挨拶をした後に一言二言声をかけてくれた。彼は普段、不機嫌そうな顔で歩いているために他の教職員からは恐れられていて、エリオット先生と私が会話しているところを見かけた教職員から驚かれた。
フェリックス先生はいつものように優しい表情で私に挨拶をした。彼は学校に戻ってきてすぐに、教会派の母体である『古代魔術文献考究会』の脱退を届け出た。それに同調して、教会派の約半数の先生方も脱退する意向を示したらしい。しかし、フェリックス先生は、騒動を大事にするつもりはなく、教会派に残ることになったと聞いている。
この場にバルタザール先生の姿はない。彼と事件を繋げる直接的な証拠は何ひとつなく、彼は秘匿情報を学内に流布したとして形式的な戒告処分を受けた。戒告という実効性のない処分では彼の権威は何も変わらず、本人も平然とした態度で過ごしていた。しかし、フェリックス先生を追放しようとしたことが仇となり、教会派が一時的に分裂しかけた。バルタザール先生が教会派の代表から降りることを条件に再統合した。バルタザール先生は代表を降りたものの、実質的には代表と変わらない権限を持っているという噂だった。
一方、国粋派も大きく揺れた。事件後、エリス先生が失踪し、彼女が事件に関わっていたことが明るみになった。国粋派であるエリス先生が事件を起こしたことで、同派の先生方が全面的に協力して真相究明に当たっているが、何の成果も得られていない。
国粋派を糾弾する準備を進めていた教会派の分裂騒動とバルタザール先生の失脚によって、教会派と国粋派は、皮肉にも表面上は均衡を保っている。
学校職員の間では今回の騒動が話題になっていて、事件捜査に関わっていた私は、何度も質問を受けた。正直なところ、私は何も知らない。質問のときに聞かされた話のほうがずっと具体的で、どこからそんな情報を仕入れてくるのかと感心してしまう。
校長室のドアが開いた。全員の視線がそちらに集まる。
無造作なウェーブのかかった金色の髪。高身長ですらりとした体躯。飄々とした態度。そしていささか腹立たしくなるような顔つき。その男がゆっくりと歩いてきて、レティシア校長の隣で立ち止まった。
「このたび理事になったセドリックだ」
その挨拶を聞き、教職員たちは拍手をしていた。私を除いて。
私の悪い予感は当たった。感情が顔に出るらしいから、私は俯いていよう。
「学校運営の独立性と自治権を守るために、僕が学校の理事を務めることになった。いかなる不当な圧力にも屈せず、この魔法学校のために尽力することを誓う」
これはバルタザール先生のために用意した皮肉だったのだろう。彼の子飼いの、教会派の代表は苦々しい顔をしている。その先生のことは嫌いではないけれど、レティシア校長を侮辱したバルタザール先生の言葉は私も許せなかったから、この大義名分は受け入れることにする。
それからしばらくセドリックが冗談を交えながらスピーチを続けた。その次に、レティシア校長から今後の学校運営に関する説明があり、この場は解散になった。
私は足音を立てずに、気配を消して、静かに校長室から立ち去ろうとした。
「リアラさん、この後、少々お時間よろしいでしょうか?」
背後からレティシア校長に呼び止められた。私はしぶしぶ向き直り、小さく返事をした。次々と先生方がドアの向こうへ去っていく中、レティシア校長、セドリック、そして私が校長室に残った。
私はセドリックからソファに座るように促された。しかし、私は黙ったまま、俯いて立ち尽くしていた。それを見かねたレティシア校長はすっと立ち上がり、私の手を引いた。そして、ソファに座り、何も言わずにただじっと私に視線を送ってくる。言葉にしなくても「隣に座りなさい」という意味が伝わった。私は観念してレティシア校長の隣に腰を下ろした。彼女は私の手を離さなかった。
セドリックが話を切り出した。
「早速本題に入らせてもらう。犯人のエリスだが、あの晩、自宅へ戻ったところまでは確認されているが、翌日になっても姿を現さず、強制的に突入したとき、自宅には誰もいなかったそうだ。まるで蒸発したかのように、消えてしまった」
セドリックは両手を上げ、ソファに背を預けた。
一介の教員にそのようなことができるとは思えない。
レティシア校長もそう思ったようで、やや緊張した声でセドリックに質問を投げかけた。
「彼女は、いったい何者だと思われますか?」
その言葉を聞き、セドリックは小さく息を吐いた後、机にあるティーカップを手に取りながら答えた。
「グリフィスが随分と探し回っているようだ。レティシアも知っていると思うが、彼は『猟犬』と名高い。過去に在籍していた学校より以前の経歴は、おそらくすべてが偽装。APGFに所属した経緯は不明。グリフィスの見立てでは、他国の間諜だそうだ」
どうしてそんな話を私に聞かせるのだろう。絶対に私が知るべき情報じゃない。
いや、話を聞かせてほしいと言ったのは私のほうだ。だから、レティシア校長は私をここに呼んでくれた。
私の手の力が強くなったことを感じたのか、レティシア校長は私を見て微笑んだ。
「あなたのことは私が守りますから安心なさい」
そう言葉にしながら、レティシア校長の手の力がわずかに強くなった。何かに対する恐れというよりも、長い間、エリス先生に裏切られていたことに対する感情だとわかる。
セドリックはティーカップを静かにテーブルに置いて、真剣な表情になった。
「さて、リヒャルトについてだが、彼は供述を拒否している」
「どういうことですか」
レティシア校長の声色が変わった。
リヒャルトの自白がなければ減刑を嘆願できない。私もそのことが頭をよぎり、セドリックの顔を見た。セドリックは表情を崩さずに続けた。
「彼は共犯者でありながら、重要な参考人でもある。酷い扱いはされないから安心してほしい。しかし、彼の供述なしでは、エリスが主犯にはなり得ない。逃亡の罪は免れないとしても、彼女の捜査は近日中に打ち切られるはずだ」
リヒャルトはすべての罪を被るつもりだ。
「済まないが、レティシア、君のほうからも彼を説得してくれないか」
「はい。明日、説得に向かいます」
レティシア校長は頷いた。
このとき私は、セドリックとは、ひと言も交わさなかった。セドリックに怒りを向けたところで何も変わらない。そんなことは分かっている。
セドリックが理事に就任したときの言葉は受け入れた。それでもやはり、心の中では消化できていない。リヒャルトが門を出るのをわざわざ待って逮捕する必要があったとは思えない。柵を超えさせなければ、リヒャルトの罪はもっと軽かったのではないか。そんな疑念がぐるぐると渦を巻いている。
目の前にいるセドリックと会話をすると、我慢してきた感情を抑えきれなくなりそうだ。
あの瞬間を何度も思い返してしまう。ふとした瞬間、私の脳裏に、リヒャルトとの最後の会話と、地面に押さえつけられる姿が浮かんできて、叫びだしそうになる。
なぜ荷車の灰の中から試作機を取り出そうとしてしまったのか。もし真っ先に荷車を破壊していたら。もしあの夜に私が動けていたら。もし勇気を出してエリス先生と話せていたら。ありもしない仮定の話を、ぐるぐると繰り返し考えてしまう。
別に、セドリックから、あの日の対応について謝られたところで私の心が救われるわけではない。たとえ謝られたとしても、リヒャルトは二度とここには戻ってこない。だから、謝らなくていい。むしろ謝らないでほしい。
彼のあの顔や態度は腹が立つし、行動のすべてを受け入れられるわけではないけれど、セドリックのことが心から嫌いなわけではない。彼は少なくとも、この魔法学校を助けようとしていた。それだけは偽りがない。リヒャルトを逮捕したことは、信念を貫いた結果だったということは、理解しようと務めている。
リヒャルトを止められなかったという後悔の念に苛まれて、私がそれを受け入れられないだけ。だから、甘えて八つ当たりしようとは思わない。
結局、バルタザール先生は事件に関わっていたのだろうか。タイミングをはかったかのように、フェリックス先生を追放しようとしたり、レティシア校長の失脚を狙ったり、セドリックの妨害をしてきた。これらがすべて偶然だったのか。それとも、私たちが気付かないような隠された繋がりがあったのだろうか。今回はすべて失敗に終わったけれど、これから先、また動きがあるかもしれない。
そのときは、レティシア校長や先生方、ついでにセドリックの力になりたい。
私には、セドリックほどの推理力も頭の回転もない。私にできるのは、感知した魔力から物語を紡ぐことくらい。たとえそうだとしても、お世話になっている人たちのために、私にも何かできることがあるはずだ。
私が知る誰よりも強いレティシア校長は、私の手を強く握っている。息を整えただけで、見事なくらい魔力も整う。それでも、彼女はきっと、私が考えているほど強くない。発せられる魔力から気持ちを読むのは良いことではないとはわかっていながらも、彼女が抱えてきた気持ちを知ってしまったからには、私は決して彼女を裏切らないし、傷つけたくない。
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