第9話

 フレデリックのバーテンダーである桜井匠は取り調べの中で、新堂茜と共に四人を殺害したという自供をした。そして、検察へと移送されるまでの間、新宿署の留置場で待つこととなっていた。

 しかし、その自供を良しとしない人間もいるのだ。

 私は新宿署の地下にある留置場へと足を踏み入れた。事前に話が通っているらしく、留置係の姿はどこにもなく、また防犯カメラの電源も切られている状態だった。

 留置場は空調も止まってしまっているらしく、酷い臭いが籠もっていた。カビとホコリ、そして留置されている人間たちの体臭である。

 留置場にはたくさんの留置されている人間がいたが、なぜか桜井のところだけ同居人はいなかった。

 桜井がそのことに疑問を覚えたかどうかはわからない。ただ、桜井は突然留置場に訪ねてきた私の事を見て、ひどく怯えていた。

 私は桜井に新堂茜が八木に殺されたことを教えた。そして、八木も新堂茜に殺されたとも告げた。

 桜井は新堂茜の姉の恋人だった。八木に拉致され、売り飛ばされ、東南アジアで死体として発見された彼女の恨みを晴らそうとしていた。唯一の手がかりは、東南アジアから一度だけ届いた手紙だった。その手紙には、東南アジアで幸せにやっているから探さないでほしいという内容が不自然に書かれていた。あまりにも不自然だった手紙。それを彼女の妹である茜と共に解読すると、Yという文字が現れた。Yとは何なのか。彼らは調べていくうちに、彼女が所属していた芸能事務所の社長が関係しているのではないかということに気づいた。そして、拷問の末に他の関係者三人のことを知ったのだ。

 しかし、四人はYの正体を語ることはなかった。それどころか、逆に八木の方から彼らに近づいてきたのだ。八木は彼らの懐に入り込み、一緒になってYを探す役回りをしようと考えていたのかもしれない。

「あんたは……」

 桜井が何かを言おうとした。しかし、それよりも先に私の手が彼の口を塞いでいた。

 私は手に薬品の染み込んだ布を持っていた。桜井の体から力が抜けていき、体重がこちらにのしかかってくる。桜井の体を担ぎ上げると、破れたシーツを首に巻き付けてやった。

 自分の犯した罪の重さに彼は自殺した。きっと、留置係の報告書にはそう書かれるだろう。

 破れたシーツが桜井の全体重を支えられることを確認すると、私は留置場を後にした。


 今回の事件が表沙汰になることはなかった。

 八木の死も、新堂茜の死も、桜井匠の死も、なにひとつ報道されることはなかったのだ。

 私も上司から報告書を求められることもなかったし、別の現場で会った新宿署の小池もいつもと変わらぬ様子で捜査を行っていた。

 ただある夜、私は刑事局長から呼び出されて料亭へと向かうことになった。

 そこで待っていたのは現法務大臣の八木大輔の秘書であり、その秘書は私と刑事局長に料理と酒を振る舞った後、土産として紙袋をひとつ渡してきた。

 刑事局長は受け取っておけという意味で無言で私に頷き、私は何もなかったかのようにその紙袋を受け取った。

 それが全てだった。

 刑事局長は、私に次の昇進試験を受験するように促してきた。きっと受ければ、かならず昇進できるということなのだろう。

 私は秘密をひとつ手にしたことで、出世の階段を上がれるということのようだ。

 それも悪くはない。どこか開き直りに近い気持ちになっていた。

 別に正義なんて信じてはいない。自分だけの正義が心の中にあればいいのだ。

 私は自分にそう言い聞かせながら、誰もいない暗い海を覗き込んでいた。



 誰が為の正義 ~了~

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誰が為の正義 大隅 スミヲ @smee

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