帰郷【2025掛川百鬼夜行応募作品】
朱夢
帰郷
茹だるような夏の日。十八になった私は、久方ぶりに、祖父母の住む実家へと向かっていた。ついこの前免許を取った私にとって、初めての遠出だった。
高速道路は好きだ。少し窓を開けると、いつもより強い風を感じられること。いつも走る道よりも、山や森がよく見えること。何より、軽自動車でめいっぱいアクセルを踏んでもいい、というのが、私にとって楽しい時間だ。緊張をほぐすようにかけている音楽も、より楽しさを増幅させる。
「うーん、あと一時間くらいかな」
次のサービスエリアの看板が目に入る。目の前に見えた分かれ目が、入り口だろう。眠気はないが、教習所の先生に言われた通り、少し休憩を挟んでおいたほうがいいかな。
ウインカーを出し、左車線へ。アクセルから足を離すと、少しづつ速度が下がっていく。ちら、とあたりを見ると、丁度入り口近くのところが空いたようだった。
慎重にバック駐車で車を停める。少し左に曲がっている気もするが、まあ及第点か。
……そういえば、教習でも駐車はあまり慣れなかったな。先生にも、おまけで合格をもらったくらいには。
そんなことを思いながら、温くなったカフェオレを一口飲んだ。緊張で乾いた喉に、牛乳も甘みが、じわりと染み込む。
シートベルトを外すと、両手を組んで前に出し、少し伸びをする。ぽき、と右肘から軽快な音が鳴った。首を左右に曲げると、ぱきぱき、と空気の抜ける音がする。自分が思っているより、体は凝り固まっていたようだ。
「ちょっと早いけどお昼にしようかな」
車のエンジンを切り、鞄を持って車を降りる。クーラーの効いていた車内とは裏腹に、太陽がギラギラと全身を照りつけてくる。日差しを避けるように、眉間に皺を寄せながら、私は急ぎ足で涼しい店内へと向かった。
「あー、暑かった……」
店内はかなり空調が効いていて、まるで天国のようだった。入り口近くのコンビニには、お昼時だからか、レジに少し列ができている。
向かいの売店には、ご当地のキーホルダーやお土産を買い求める客がちらほら見受けられた。ここには、まああとで寄ろうかな。
もう一つの自動ドアを抜けると、広々としたフードコートがある。実は、この場所に来るのは初めてではない。以前から何度か、家族で来たことがあったからだ。そのまま真っ先に案内板の前に行くと、上から順にメニューをじーっと吟味する。
気分的には麺が食べたいが、ここにあるのはラーメンか蕎麦。
蕎麦か……。なんか昔から蕎麦は好きになれないんだよな。
うーん、と悩むこと大体五分。結局、食べたことのあるラーメンに落ち着いた私は、食券を買いに店の前へと向かった。
お盆前の平日だからか、思っていたより混んでいない。並んでいたサラリーマンの後ろで少し待つと、すぐに自分の順番になった。
一番左上にあるおすすめ、あとついでに餃子。お腹の容量的にこれくらいだろう。
持論だが、やっぱり、ラーメンには餃子が必須だと思う。あくまで持論だが。
店員さんに食券を渡すと、よく見る呼出機を手渡された。
この様子なら、そんなに待つことなく鳴るだろう。軽い会釈をして後ろを向き、空いている座席を探す。丁度、正面の少し広い壁側の座席が空いていたので、ソファー側に腰を下ろした。
余談だが、私はソファー側をよく選ぶ。家族で出かける時も、真っ先にソファー側に座っている。なんだか、椅子の方だと座面が硬い気がする……多分、思い込みだが。
壁の隣に荷物を下ろし、挟み込むように座る。スマホでSNSを見ていると、程なくして、ブーっと呼び出し機が鳴った。
「さて、いただきます」
受け取ったおぼんを机に置くと、両手を合わせ、いつものように軽くお辞儀をする。これは、母から言われ続けた癖のようなものだ。
いつでもどこでも、作ってくれた人に感謝するんだよ。
昔はなかなか理解できなかったが、年を経るにつれて、段々解ってきた気がする。
この店のおすすめは、あっさりとした醤油ラーメンだ。スープにはうっすらと、透き通った油がまあるく浮かんでいる。麺は細目で、トッピングにはもやしとほうれん草、焼豚が二枚乗っている。実を言うと、野菜付きの私には、かなり好みの内容だ。
私は、箸で麺を少し持つと、ふうふうと冷まして口に運んだ。左手には、ちゃっかりスープの入ったレンゲをスタンバイさせている。
うーん、美味しい。口いっぱいに広がる塩味が、疲れた全身に染み渡る感じがする。すかさず、スープを一口。これまた美味い。
前来た時は冬だったが、夏に冷房の効いた店内で食べるラーメンは、こんなに美味しいのか。箸もレンゲも、ちょっと止まりそうにないな。
麺、スープ、麺、合間にもやし、スープ、ほうれん草、麺……。
気付けば、器の残りはおよそ半分ほどになっていた。
ふう、と一息付いて、一口水を飲む。冷たい感覚で、熱くなった口内がリセットされる。一度深呼吸をすると、一緒に頼んであった餃子に目をやった。
一皿三個で、もちろんにんにく入り。皮はぱりっと焼かれており、少し黒い焦げ目がついている。表面は油でつやつやと光り、見るからに美味しそうだ。
箸でそれを一つ取ると、まず何もつけずに口へ。噛んだ瞬間に、皮の中から油がじゅわ、と口内に流れ込む。残った半分は、皿に乗ったの餃子タレにつけてもう一口。醤油と酢の程よい酸味。うーん、やはりラーメンには餃子だな。というか、このタレが結構好みかもしれない。残りは、タレにつけて食べることにしよう。
「ふう、ご馳走さまでした」
残りを全て平らげ、箸を置く。思ったより量があったのか、腹九分目くらいになってしまった。水を飲みながら一息つき、側の携帯で時間を確認する。時刻は大体二時ごろ。少しお土産を見てから向かっても、余裕のある時間だ。
返却口にトレーを返し、先程通り過ぎた売店へ向かう。ついでに、ぬるいカフェオレの代わりでも買おうかな。
自動ドアを抜け、売店へ。先ほどより店内は空いており、閑散としている。
レジの近くでは、丁度店員さんが商品の補充をしているところだった。
棚には、雑貨から食品まで様々な商品が並べられている。この辺では有名なパイや、黄色いふわふわのお菓子、あとはしらすを使った煎餅などだろうか。
ついでだし、ちょっと食べたいものでも買っておこうかな。
そう思い、お菓子売り場を物色する。と、あまり見慣れないパッケージが目に入った。よくあるポテトチップスのようだが、家の近くでも見たことがないから、きっとサービスエリア限定の新商品なんだろう。どうせなら、一度買ってみようかな。一つ手に取り、カゴに入れる。他にも、よく食べるぶどうのチューイングガムと、緑茶のペットボトル、あとは集めているご当地のキーホルダー。
そういえば、祖父母にお土産を買うのを忘れていた。本来は、自宅の近くで買った方がいいんだろうが、ここまできたならまあ仕方ないだろう。おばあちゃん用にはお饅頭、おじいちゃん用におつまみをカゴに入れる。二人とも、前に行った時から好みが変わってないといいのだが。
「二千三百円になります」
「ありがとうございましたー」
……給料日前の私には、思ったより痛手の出費だった。流石、サービスエリア価格。
ついでに買ったレジ袋を片手に、自動ドアを潜る。
途中にあるお手洗いに寄り、さらにもう一枚自動ドアを抜け、外へ向かう。先程までの、空調が効いた室内とは打って変わって、強い日差しが全身を照りつける。
休憩もここまでにして、そろそろ目的地へ向かおうか。暑さを避けるように、片手で目の上に
「……ふう、流石に外は暑いな」
運転席に座ると、日差しのせいか、車内は少し暑くなっていた。急いでブレーキを踏みつけ、車のエンジンを入れる。ぶうん、きゅるきゅる、と聞き慣れ始めた音が鳴った。車のエアコン口から、少し生ぬるい風が出てくる。
確か、エンジンをかけてすぐに出ない方がいいんだっけか。
父に言われたことを思い出しながら、先程買ったお菓子を、袋から出す。荷物は全部助手席に置いているので、もし渋滞になってもすぐに手が届くだろう。
ええっと、買ったお菓子は……ポテチとガムか。残りのお茶はサイドの飲み物置き場に置いて、キーホルダーは無くさないよう、鞄の中に入れる。お土産も、まあ鞄の中に入れておけばいいか。
ぱき、とお茶のボトルを開けて、一口飲む。緑茶の独特な苦味が、喉を抜ける。
家で飲む緑茶と、買って飲む緑茶って、なんでこんなに味が違く感じるんだろう。
そう思いながら、ガムを一つ口に入れる。うん、やっぱり食べ慣れた味は美味しい。
スマホを見てみると、母から連絡が入っていた。長文で、まあ運転は大丈夫か、みたいな内容だった。心配性な母らしい内容だ。
「あと少しくらいだよ、と」
返信とスタンプを送って、スマホを仕舞う。車内も冷えたことだし、そろそろ向かおうか。シートベルトをつけて、シフトをD《ドライブ》に入れる。足元のサイドブレーキを外して、ブレーキを踏みながら左右確認。
ここまで来れたんだから、あとは道なりに進むだけ。……多分。
スピーカーから聞こえる、ナビの音声を頼りに、私はサービスエリアの出口へと向かった。
「……いや、マジか」
はあ、とため息を吐く。目の前には、隣の車線までびっしりと車が並んでいる。もちろん、後ろにもびっしり。いわゆる渋滞ってやつか。
「あともうちょっとなんだけどなぁ」
ナビの到着予定時刻まで、約三十分。まあこの時刻も、少しずつ後ろにずれているのだが……一向に列が進む気配はない。
さっきまでの運転でガムは食べてしまった。あと残っているのは……開けづらくて残したポテチか。今ならほとんど停車状態だし、ついでにこっちも食べてしまおう。
両手で袋を開けると、中から美味しそうな匂いがしてきた。パッケージに書いてある味は……読めないな、これ。買う時は気にしていなかったが、よく見ると外国語なのか、少なくとも習ったことのない文字で書かれていた。
「まあ、こんだけいい匂いなんだから、変なものじゃないでしょ」
そのまま、一枚口に入れる。うん、思った通り美味しい。醤油のような、ソースのような……奥の方から、焼肉っぽい味がするような。形容しづらい味をしている。
「これ、どこで作ってんのかな」
裏面を見ると、相変わらず見慣れない言語が並んでいた。うーん、見たことあるような気もするんだけどな。やっぱり全然読めない。
「あ、ここだけ読めるかも」
そこは、製造表記が印字される欄だった。確かこれは……おばあちゃんちの近くだったか。なんか住所が変な気もするけれど。
「もしかしたら、近くのスーパーとかに売ってるかな」
家の近くと違って、こっちにはご当地スーパーがあったはずだ。あとで実家に向かう前に、寄ってみようか。
気付くと、渋滞の列はかなり進んでいた。前の車は、少しずつスピードを上げて先へと向かっている。後ろの車にクラクションを鳴らされる前に、急いで進まなければ。
「よし、もう少し」
スピードを上げ、先へと進む。一台、二台と周りの車が先へと進んでいく。流石に、軽自動車ではパワーが足りない、と言うのもあるが、やはり普通車に比べると、遅く感じてしまう。アクセルは思いっきり踏んでるんだけどな。
……子供の頃ぶりの実家、思ってるより楽しみだな。。おばあちゃんは沢山夕飯を作っているだろうし、おじいちゃんは寡黙だけど、酔うとすごい褒めてくれる。
多分、二人の中では、私はまだ小さな子供のままで、これからもずっと子供のままなんだろう。
「二人も、楽しみにしてくれてたらいいな」
その時だった。
強い光が、フロントガラス全体を覆う。日光のような、明るい電球のような。
その光は、眩しいと言うよりは、なんだか。
「……呼んで、る?」
何かに、呼ばれている気がした。何かはわからないけれど、私を知っている何かに。
あたりは白く曇っており、一寸先も見えない。けれど、ふわ、と嗅いだことのある香りがする。醤油のような、ソースのような。形容しづらい、でも私の好きな、あの匂い。
匂いのする方へ進むと、別の灯りがいくつか目に入った。
まるで、夏祭りの屋台が並ぶように、灯りが道なりに並んでいる。ぴかぴか、きらきら。まるで、こっちにおいで、と呼ぶように。
道の向こうには、線香花火のような、淡く鮮やかな光が、先々でぱちぱちと光っている。昔、おばあちゃんと線香花火で遊んだっけな。懐かしいな。
そういえば、車はどこに置いたんだっけ。まあいいか、そんなことは。
そうだ、ここで買ったものをお土産で持っていこう。それなら、おじいちゃんも、おばあちゃんも、きっと喜んでくれる。
一緒に食べたら、もっと美味しい、だろう、から。
私の意識は、ここで、途切れ
『続いてのニュースです』
テレビから、無機質な音声が聞こえる。
『本日午後、東名高速道路で軽自動車が転落し、運転していた女性が死亡しました。』
『警察によりますと、本日午後三時頃、静岡県掛川市の掛川IC《インターチェンジ》付近を走行していた軽自動車が、道路を外れて十メートルほど下の道路に転落しました。』
『この事故で、軽自動車を運転していた伊豆市の会社員、北条佳奈さん(十八)が、亡くなった状態で発見されました。』
『現場は、見渡しのいい直線道路で、ガードレールに破損などがないことから、警察は事故が起きた詳しい原因を調べています。』
帰郷【2025掛川百鬼夜行応募作品】 朱夢 @Haku__novel
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