其の拾 シーユニオン
夕食をすませた俺たちはくつろいでいた。ベッドに転がるリリス、ナイトテーブルのうえで蠢くアルラウネを視界に入れながら、アブドルの軽すぎる謝罪と一緒に貰った地図──アブドルのお手製らしく、所々に落書きのような文字がある──ソファにもたれていた身体を起こし、ローテーブルにミスカトニックの地図を広げる。半悪魔化の恩恵とリリスから教わった言語がさっそく役に立つわけだな。
「思ったよりもでかいな」
「そう? そういわれたらそうかもね。全て見て回るのなら三日はかかるんじゃないの」
「マジでか」
「マジよ。歩き回るなら前もっていってね。疲れるから」
ミスカトニックは想像以上に広大だったな。地図は虚栄の塔を中心にし、出入りする門は南南西の一ヵ所だけである。このホテルがあるのも南南西に位置し、部屋の窓からみえる門は夜中でも明るい。あのガス灯のような照明は部屋の天井にあるタイプと同じだろうか。あれもスイッチひとつで動くからな。外では魔獣が歩き回っているというのに、ミスカトニック内はえらく文明的だ。ま、助かるからなにもいわん。
「それより、リリス。アルラウネに構ってやってくれ。テーブルを叩いてうるさい」
「嫌よ。楽しそうだから放っておきなさい。飽きるまでそうさせといてね」
そういえば、この部屋もシンプルでありながらもモダンジャズを感じさせる趣がある。無駄に広いワンルームだが部屋の半分をダブルベッドが占めていた。二人掛けのソファとローテーブルがひとつずつあり、カバンに詰めていた荷物が散らばっている。ベッドの脇にあるナイトテーブルでは醤油のボトルを抱きしめたアルラウネが踊りながら叩いているが、そのボトルは空なんだよ。アルラウネにバレないように風呂場で入れ替えたからな。あ、気づいた。
「なあ、リリス。ここってラブホじゃないか?」
「らぶほ? ……ああ、似たようなものね。住人には愛のモーテルと呼ばれてるそうよ」
「まんまラブホじゃないか」
「それより地図はいいの? いろいろ確認したいんでしょ?」
「そうだった。ほぼ南西に揃っているよな。このホテルやら協会やら、研究所まで南西だ」
「外との出入りが必要だからじゃないの? 近いほうが便利だし」
「おう、そんなもんか。……この流れは覚えがあるなあ。諦めたよ」
他に目立つ建物は……研究所が二ヶ所に大学がある? 俺たちが見に行ったのは南西の『第一研究所』で北西が『第二研究所』ね。西に『ミスカトニック大学』があるのか。東側にないのはデミヒューマンを毛嫌いするインスマウスが多いからだろう。『第一研究所』と比べて大きいのは『ミスカトニック大学』で、小さいのが『第二研究所』になるわけね。まさか残り二ヶ所にもいないだろな、ミ=ゴども。ここにはあと何種類の種族が存在しているんだろうかね。
「シュウ。気になるのはあった?」
「研究所が二ヶ所、大学まであったぞ。あとは……そういえば、雑貨屋とかはみかけたが、武器屋みたいなもんはないのか? いろいろと物騒だろ、この世界」
「あるわよ。刃物とか鈍器が主流ね。ここ最近の人気は──」
リリスが寝返りをうち、気怠げに身体を起こしながら欠伸をしていった。
「──重火器、拳銃とかね。どこからか仕入れたのか、造ったのかはしらないけど『ミ=ゴ印』よ」
「科学の発展にはミ=ゴが?」
「だいたいはね。世間的には落とし子とかいわれてるけど、ミ=ゴだからね。裏でいろいろしてるんじゃない? それに、災厄と踊るような毎日だもの。文化的な発展の余裕なんてないわよ」
「なるほどね。だから武装は発展する?」
「その通り。それよりも────ね、シュウ。早くきてよ」
「はいはい。明日も昼過ぎの目覚めかね……分かった、分かったからアルラウネ。ちょっとは静かにしてくれ」
◇
遅い目覚めで食事をすませたわけだが、今日のステーキは食感が悪かったな。柔らかいゴムを食い千切るようにしないと食べられなかったのに、味そのものは悪くなかったから納得がいかない。程よい肉厚にイラついたのは初めての経験だったから疲れたよ。
「シュウ? なに項垂れてんのよ。雑貨屋とか見て回るんでしょ?」
「まあな。気を取り直すまで待ってくれ」
「はいはい。分かったわよ。……なによ? はい、どうぞ。慰めてやってね」
俺の肩に乗るアルラウネが華を頬に擦りつけながら肩を叩く。あまり長引かせてもアルラウネが騒ぐだけなので、気持ちを入れ替えるように首を回して骨を鳴らしながら息を吐こう。頬から滑り落ちそうになったアルラウネが抗議の声を出しているらしく、リリスの眉間が寄って俺を睨んでくる。軽く人差し指でなでてやればいい。醤油の次になでられるのが好きだからな。
「それじゃ行くか。最初に回るのはどこだ?」
「モーテルのそばにある……『シーユニオン』だったわね」
「また大層な名前だな。『シーユニオン』ね」
「ほら。入口で止まってるから、お婆さんが酒瓶を投げようとしてるわよ」
「おっと。物騒だな。さっさと行こうか」
淡い群青色というコテージ風の建物が『シーユニオン』だ。鍵の概念はあるはずだが、開けっ放しの観音扉をくぐる。古い木造特有の音が合図になっているのか、俺たちの入店に気づいた男がひとり、顔をあげようとしているのがみえた。少し生臭い店内は整頓されており、背の低い棚が壁際に沿うように並んでいた。中央には濃い群青色の敷物が敷かれ、カウンターに突っ伏していた頭をあげきり、俺たちをみたあとに頬杖をついている。店主らしき男はインスマウスだ。これまたご立派なインスマス面だな。
「なにか用かい? 用がないなら帰んな」
「ひどい態度ね。あたしたちは客よ」
「客なら用があるんだろ? ないなら客じゃねえ」
「おい、おっさん。この店にはなにがあるんだ? よく知らないんだ」
「なにしに来たんだお前ら。……酒だよ。そこらの棚にびっしり並んでるだろうが」
「これか?」
曇りガラスのようなボトルに入った液体は深い青だ。俺が手を伸ばそうとすると店主の声が大きくなった。
「買ってから触れ。それがインスマウス名物『海のアブサン』だ。一本、金のコイン二枚だぞ。買うのか? 今なら三枚にしてやる」
「二枚だな。ホテルで換金していて正解だったわけだ。リリス」
「はいはい。払うわよ。……あのお婆さん。かなり嫌そうな顔をしてたけどね」
悪態をつきながら店主にコインを手渡すリリスを尻目にボトルを手にする。コルクもあるのか。軽快な音を鳴らして開けたボトルから放たれた匂いがひどい。まるで深海だ。あまりにも刺激的だったため、手を滑らせて鼻を押さえた。刺激臭のあとに漂うのは塩辛のような匂いだったからだろう。ボトルが割れた直後に肩から飛び降りたアルラウネが嬉々として飲んでいる。いや、正確には吸っているのだが。
「おいおい、兄ちゃん。こいつはなんだ? なにしてくれてんだ? 床がひでえことになってるじゃねえか」
「あ、いや、すまん」
「大丈夫よ。アルラウネが全部飲むから」
「おう、姉ちゃん。そんな問題じゃ……すげえ吸うな」
一滴残らず召し上がってくれたわ。はいはい。美味しかったのね。足を叩くな。
「はいはい。気に入ったわけね。あと二本貰える?」
「お、おう。分かった。六枚だな」
「はい、四枚ね」
「ボトルの欠片はどうすっか。……集めてくれんのか? 助かる」
アルラウネが一ヶ所にまとめてくれた破片を右手で握り潰す。文字通りに塵とかしたボトルに驚いたのか、俺の右手と塵を交互にみやった店主が言葉を失っているようだ。
「な、なあ、兄さん。種族はなんだい? デミヒューマンじゃないみたいだが……」
「さあな。よく分からん」
「シュウはシュウよ。なにか用でも? 用がないなら帰るけど?」
リリスが嫌らしく笑う。俺はアルラウネを拾いあげて肩に乗せる。野暮ったい目をさらに丸くした店主は荒々しく頭をかき、両手をあげて参ったといった。
「ちと頼みがあるんだ。あんたらは『ショゴス』って知ってるか? 食用に飼ってたんだが、変に知恵をつけた個体が出てな」
「なんだそいつは?」
「あら、シュウ。さっき食べたじゃない。それで? あたしたちに殺せと?」
あのステーキのことか?
「殺すのは簡単だ。火をつけりゃいいんだが、その個体がいらんリーダーシップを発揮しやがってな。みんなだ。みんな話を聞きやがらねえ。そのリーダーが、どうしても戦いたいっていうんだよ。そんで、勝利者には従うっていうもんだからよぅ」
「あたしたちに戦って勝ってほしいわけね」
「そういうこった。前金で床の掃除代。達成報酬で敷物の洗濯代だ」
「シュウ。帰るわよ」
慌てて引き留めた店主とリリスの交渉が始まってしまった。手持ちぶさたになった俺はアルラウネの相手でもしようか。ここ二日ほど、ろくに構ってやれなかったからな。退屈してたはずだから、アルラウネのお気に入りの遊びをしよう。
「アルラウネ。お前の好きな石ころだぞ」
右腕の練習兼暇潰しがてらに、適当な大きさの石をひたすら丸めてみたのだ。爪を磨ぐのにも役立ったが、ただただ転がる石ころにアルラウネが反応したのには目を疑ったからな。猫さながらの動きで、石を転がしては踊る。転がしては踊るのである。本当に意味が分からなかったんだが、騒ぐアルラウネを叱りつけたリリスが印象に残っている。それ以来、リリスに隠れて遊んでいるわけだよ。
「ちょっとシュウ? シュウも話にくわわっ────なにしてるの?」
「うん? ちょっと遊んでるだよ。な?」
「そんなの分かってるわよ。その遊びはしないって約束したわよね? ちょっと、アルラウネ。聞きなさい!」
「ほらリリス。おっさんが固まってるぞ。交渉しろ、交渉」
「覚えてなさいよ」
【更新停止中】ファジィファミリア。~俺のシ体が晒せない~ 八艘跳。 @Jump-eight-boats
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