其の九 ミスカトニックの陰
数十はいるといわれた神々は超常的な存在であり、超越的な力を持つモノたちである。それらは人からの目線で語られた内容だ。落ちた女神、悪魔で闇の精霊でもあるリリス自身はどう思っているのか。そこが気になったけれど、視線を泳がせたリリスに訊くことはしなかった。
「それで? どうしたら神々に逢えると思う?」
「さあ? 神々だからね。気まぐれだと思うわよ。なんなら、誰か崇拝してみる? 儀式とか? 気が向いたらやって来るかもしれないわ」
「誰かねえ……誰をだ?」
「それこそ好みじゃないの。好きに選んでみたら?」
「選択肢が多すぎるだろうが……まあいい。散歩に戻ろう」
ミスカトニックは全体的にジャズエイジの雰囲気を醸し出しているけれど、多少の差異は当然のようにある。右手の奥にみえる石を削る作業に汗を流す男などが分かりやすく、あれらが石膏職人なのだろう。建物の多くはセメントなどの鉄筋ではなく、石膏のようなモノで建築されているようだな。先にみた協会もそうだったから、新たな驚きはない。木造の建物も残っていることから文化的の差異は大きそうだ。あくまでもデザイン的な意味でのジャズエイジになるのか。
「シュウのところでは少なそうだったけど、こっちは驚異に晒されているのよ。常にね」
「驚異ねえ。魔獣以外にもか?」
「魔獣もそうだけどど、神々や眷属もいるわ。ふいに訪れえる災い。その頻度がね」
神々による災いの頻度が高いのなら、俺が逢える可能性も高いというわけか。そこに期待したほうが良さそうだな。
「うん? 無視しているわけじゃないぞ」
「アルラウネには退屈かしら」
「まあな。仕方ないかもしれんが……多少は我慢しててくれ」
ミスカトニックの住人たちは二つに分けられる。先住民のインスマウス、移住民のデミヒューマンだ。汗水垂らして働いている者の多くがデミヒューマンであり、インスマウスは日陰でだらけている姿が散見された。ここを発展させたい者、昔ながらを大切に思う者の違いだろうか。デミヒューマンはインスマウスを見下し、インスマウスはデミヒューマンを毛嫌いしているようにみえた。お互いのコミュニティが反発しあっているのかね。
「そうそう、シュウ。みてみない? 虚栄の塔」
「それもそうだな。行ってみるか」
虚栄の塔は石造りなのに見事なものだ。底知れぬ存在感があり、どこか名状しがたい空気を感じる。立入禁止の看板が朽ちており、新たな看板に交換するわけでもなく、次々に新しい看板を立てているのだろう。墓標の針山のようにみえる入口は立て看板で封鎖されているようだ。
「どう?」
「雰囲気といい、存在感が凄いな」
「そうね。迫力があるわよね」
「だな。何ともいえないが」
この頃から石造の街だったのだろう。虚栄の塔の周辺は朽ちかけた彫刻や象形文字などと────幾何学的に狂ったような角度といえばいいのか、曲線とも呼べないような線を描いているなかでも暗緑色の巨石が目につくのだ。見覚えのある色合いだと思えば、魔獣の血や俺の右腕の瞳に酷似している。これは何を意味しているのだろうか。
「シュウ? アルラウネが限界のようよ」
「うん? ああ、すまんな」
アルラウネが俺の頬を突いていた。肩を三回ずつ叩くのも強くなってきているな。かなり退屈させてしまっているようだ。朝雨を浴びてないから不機嫌なんだろうかね。リリスに目をやると呆れ気味に息を吐いていた。
「行きましょうか。アルラウネがうるさいもの」
「分かった。やっぱり朝雨か?」
「ええ、それもあるけどね。思ったよりも良くなかったそうなの。お風呂が美味しくないっていうのよ」
「そりゃそうだ。風呂に塩分はないだろ。期待してたのか」
やたら強く肩を叩くなあ。一回、一回、一回とね。もう分かったからアルラウネ。少しは大人しくしてくれ。
「あたしの肩に移動させる?」
「お? 黙ったな。俺の肩がいいのか?」
「そうみたい。理由はよく分からないけどね」
「まったくアルラウネは────」
そういえばみかけないな。赤ん坊や子どもがいない……どういうことだ? 朱色の太陽が纏う雲の具合から、夕暮れまでは三時間程度だろう。インスマウス、デミヒューマンのどちらにもだ。いや、この世界に来てから少年や少女すらみかけていない。いるのか? この世界に? 産まれてすぐに成人まで成長するとかいわないだろうな。
「そんなわけないでしょ? ちゃんと妊娠して出産するわ。赤子がいない理由は別じゃないかしら」
「別? 何か心当たりがあるのか?」
「そうね……心当たりってほどでもないけど、先住民と移住民は棲み分けているようね。虚栄の塔を中心に広がってるわよね? そこから東西に分かれ、その奥地にいるんじゃないかしら? お互いに警戒しているようだしね」
「なるほどね。反発に警戒か。一触即発ってわけではなさそうだが、深く関わると難儀だな」
しかし、ダゴンの情報は欲しい。あの協会にあった像が深きものどもだとして、その父であるダゴンが神であれ、神でないとしても、そこから広がるチャンスは捨てがたいのだ。邪神と呼ばれる神々の災厄なら、俺が死ぬ可能性もあるが────。
「どうしたの?」
「リリスもだよな。忘れそうになるが」
「何の話よ? あたしのこと?」
「まあな。吐露するさ」
リリスなら心が読める。一方通行だとはいえ、内緒話には持ってこいだ。読んでたら頷いてくれ……リリスがしっかりと頷くのを確認してから考える。そのダゴンとリリス。どちらが強いのだろうか。または、どちらが神々に出逢う可能性が高い?
「なるほどね。どっちもどっちね。お互いに棲み分けが違うのよ」
「そんなもんか?」
「そういうものよ。あたしはシュウと一緒だから、違うほうに当たるのが適切じゃない?」
「それもそうだな。分かった」
それならダゴンの情報をあさろうかね。あの象、深きものどもは蛙とか魚のような両生類の頭部に人の身体をしていた。どう考えても共通点が多いインスマウスに当たるほうが自然だが、あの老婆で対応が良いというのなら、いったい誰に話しかければいいのだろう。その辺に詳しい人物は────。
「あたし? それなりよ。あんまり期待しないでね」
「そうなのか? それなら、片っ端からあたるか……アブドルになるのかね」
「あの男? 気に入らないんだけど?」
「情報がないからな。手当たり次第になるだろ?」
「まあ……ね。そうはいうけど、気に入らないのよ」
「分かった。最終手段にするわ」
「ありがと。お願いね」
俺たちがミスカトニックを歩き出して数時間は経過しただろう。西のデミヒューマンはやや開放的でありながらも、その目が警戒心を隠していなかった。自分の仕事やアーカムなどには饒舌に語り、ミスカトニックに話題をさけようとする者が多かったのである。東のインスマウスに話しかけてもろくな返答はなく、鳴き声のような呻き声をあげて逃げ出す者までもいた。これ以上は時間をかけて打ち解けるぐらいしか思いつかない。仕方なく足を運んだのは『研究所』だ。やはり立入禁止の看板がある。遠目にみても石造で立派な柱で支えられた四階建ての洋館だ。仄かに緑色が混じった柱は虚栄の塔の時代の名残だろうか。研究所以前の建物を想像させるな。ここでいったい何を研究しているのだろう────。
「あれは? なんだ?」
それは人間ほどの大きさに薄赤色の甲殻類のような姿をしており、鉤爪のついた足が多数あるようにみえる。背中なのだろう。一対の蝙蝠の羽を持ち、陽光をさけるように歩く、いや、浮いた状態で移動しているのだろうか。いったい、何が起きているんだ? この研究所は。
「あれは魔獣じゃないわ。『神話生物』と呼ばれてるわね」
「なんだそれは?」
「ここじゃなんだから。モーテルに戻りましょう」
「あ、ああ。分かった」
リリスの真剣な眼差しに頷くことしかできなかった。ホテルの一室に戻った俺に教えてくれたのは、魔獣を越える生物であり、神々よりも下である『独立種族』の一種『ミ=ゴ』であるといわれた。科学や医学が異常に発達した生物であり、通常はテレパシーを用いて交信をするらしく、発達器官は魔獣のほうが優れているが、他の種族と会話をするために外科手術を用いるそうだ。また、生きたまま脳を摘出し、専用の円筒の装置に入れて持ち運ぶこともある。特に気に入った者か、最も軽蔑している者を改造するために用いられることが多いそうだ。本当にまともな生物が少ない。
「そういった、力ある『独立種族』たちを総括して、『神話生物』と呼ぶことが多いわ。まともなヒトがみたら発狂ものよ」
「おい、待て。俺はしてないぞ」
「あら、シュウ。まとまな自信があったの? あれだけ黄泉帰ってるのに」
「────ぐうの音も出ないってのは、初めて経験したよ」
俺が項垂れる姿が面白かったのか、それとも心配してくれたのか、アルラウネの華が頬にこすりつけられた。俺が人差し指でなでるまで止めなかったから、きっと慰めようとしてくれたんだろう。
「違うわよ、シュウ。お腹空いたって」
「堪えても無駄だぞ。笑ってるのがバレてるからな」
「あら? そう。ちょっと笑っただけよ」
「分かってる。諦めたさ。アルラウネのご飯は塩水で……」
相当、根に持っているな。肩を叩く強さが今まで一番だ。仕方ない。カバンから醤油のボトルを取り出そうとすると、アルラウネの動きが止まった。カバンの中にしまうと猛烈に叩くのが面白い。しばらく、アルラウネで遊んでいたらリリスに叱られてしまった。少しは反省しなさいとさ。悪いね。
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