其の八 深きものども
「やっとまともな食事にありつけるわけか」
「そう? 魔獣も美味しかったじゃない」
ホテルの食堂にいる客は俺たちしかいなかったが、遅れて入ってきた似非紳士が近寄ってきて会釈する。
「ご一緒しても?」
「シュウ?」
「ご自由にどうぞ」
「ありがたい。これで楽しみが増える。ここの食事はちょっと物足りないもので」
「そうですか。それなりに良さそうですがね」
「期待しすぎは……いえ、よしましょう。すぐに分かる。詰まらない食事には会話です。会話を彩りましょう。そうですね、こんな話を知っていますか────」
若く無愛想な女性が食事を運んでくる前から饒舌に回る舌に相槌をうつ。半ば聞き流していたが、気になった内容はこの場所についてだ。ミスカトニックで目立つ建物といえば、俺たちが宿泊しているホテルと協会になる。為政者が規制でもしているのか、三階建て以上の建物はこの二つと虚栄の塔だけらしい。協会に祀られている神は土着信仰の類らしく、もとから有名な神ではないそうだ。それが似非紳士の研究対象だといわれてもねえ……目を細めて笑う姿が胡散臭いからな。あまり興味もわかないが、他に見て回れるところは『研究所』になるため、一度ぐらいはみておこうという気になってくるから不思議だ。リリスとも話し合っていたのだが、しばらくはミスカトニックに腰を落ち着ける予定になっている。どこか閉鎖的な空気が漂うミスカトニックにはいろいろと不可解なことがありそうだ。この似非紳士とかな。
「────とまあ、そんな感じですかね。割と楽しめる場所だと思いますよ。ええ、本当に」
「それはどうも」
密かに不安だったホテルの夕食は思いのほか旨く、値段相応の出来栄えだが腹の足しにはなった。メニュー的には質素なシチュー、堅焼きのパン、適度に焼かれた魚のムニエルになる。小麦粉などの穀物があることにひどく感動していた。そんな俺をどこか訝しげに、されど興味深く、頬を上気しかけながら話しかけてくる似非紳士を相手しているのは俺だけだ。リリスとアルラウネは互いに批評しながら食べ比べをしている。アルラウネのは塩水だけなのだが、いかんせん、醤油がお気に入りだからな。どう考えても酷評しているのだろう。リリスはリリスで味付けが濃いとかいっている。割と薄味なんだけどな。
「それで、ですねえ……もし良ければですが、私が案内しましょうか? なにかと不便な場所ですから」
「不便、ですか?」
「そりゃあもう、不便です。このモーテルの受付、あの婆さんをみたでしょう? あれでも対応がいいのですよ」
これには驚かされた。あの老婆で対応がいい?
「それはいったい────」
「それにね……あなたは異人さんのようだ。私ども、デミヒューマンのように耳が長くない。かといって、インスマウスでもない。いわゆる『落とし子』かと思いましたが、その右腕」
ちらっとみられた目が熱を持っているような気がした。
「なにか?」
「失礼。あまりにも異形でね。それなら『落とし子』でもない。いったい、どこで産まれ、どういったヒトなのでしょうか。あなたは」
────こいつ。今の俺は長髪で耳を隠しているんだぞ。ミスカトニックに入る前にリリスと打合わせていたのだ。多くのデミヒューマンが長く尖った耳であり、俺の耳だと無意味に絡まれてしまう恐れがあったので、話をややこしくしないためにも耳を隠してしまおうとな。それにこの右腕だ。この世界の出身ではないと疑う人はいないだろうといっていたのだが。
「シュウはね。森の中にぽつんとあった小屋で暮らしてたの。ひとりでね。両親はすでに亡くなっているから、事情を知るヒトはいないわ。道に迷ったあたしを泊めてくれた恩返しでね、こうして旅に興じているわけ。おわかり?」
「これは失礼。お気に障ったようで。……そうですか。それなりの過去をお持ちのようだ。深く詮索はしないほうが?」
「ええ。察していただけると助かるわね」
「なるほど。分かりました。謝罪を」
山高帽を取って頭を軽く下げる姿が道化めいている。ひどく癪に障るな。似非紳士はアブドル・アルハズラットと名乗った。俺とリリスが名乗り返すと口の中で転がすように何度か呟く姿さえ、どこか怪しい。俺たちに興味を持っていることだけは分かっているが、どうしたものか。
「あたしはここに来たことがあるの。だからいらないわ。案内」
「そうでしたか。差し出がましい真似をしましたかね。何か用事があれば遠慮なくお声を」
アブドルが席を立つ。背中をみせながら首だけで振り向いた。
「まだ、なにか?」
「いえ、最後にひとつ。妖精を連れて歩けるなら『落とし子』ではなかったと思い出しましてね。それでは」
踵と手にしているステッキを鳴らしながら去っていくアブドルにリリスが舌打ちをした。
「気に食わないわね。分かってていってるじゃない」
「探りをいれてきた感じだな。なにが気になったのかね」
「さあね。あの男じゃないから分からないし、分かりたくもないわ」
「にしても、『落とし子』ねえ。リリス。なにか知っているか?」
「部屋で話すわ。食べちゃいましょう」
「それもそうか。食べようかね」
────食事をすませた俺たちは部屋で休むことにしていたわけだが、ベッドがひとつしないわな。リリスをみると俺の脇を抜け、早々にベッドのうえに転がってしまった。
「なにしてるの? さっさと休みましょう」
「その前にリリス。なにかいうことはないか?」
「あら? あたしったら、お風呂を忘れてたわ。失敗、失敗」
「お前な……可愛くいってる場合じゃなくて、ベッドがひとつなんだが?」
「十分でしょ。それこそ今更じゃない。何度寝たと思ってるのよ」
「まあ、そうなんだが……」
「アルラウネ? そこにある、ナイトテーブルでいいでしょ? 贅沢いわないの。土なんてないわ」
これは諦めたほうが早そうだな。アルラウネと揉めながら全裸になったリリスが風呂場に消える。俺の足を突くアルラウネには何もいえん。ちゃっちゃと風呂に入ろうかね。
「すまんが、ここな。アルラウネは」
────アーカムの発展の陰日向には『落とし子』が関わっているという。独自の情報や知恵を駆使し、様々な分野に活躍しているそうな。それもあって、異世界の現住人たちは『落とし子』を畏敬の念でみることが多い。言語さえ違う、よく分からない生物だとさ。俺も半悪魔化していなければ日本語だけを喋っていたのだろう。そこから『落とし子』だと判断され、魔女狩りのようにされるか、歓迎されるかは運次第だというリリスは微笑んだ。
「シュウはあたしがみつけたの。だからね。他のヒトになんてやらないわ」
「リリス。勘違いするな。俺がお前のモノじゃなくて、お前が俺のモノだからな」
「そうね。そうだったわ。ね、シュウ────キスして」
「キスが好きだな。リリスは────おいで」
◇
乱れたベッドのうえで起床した俺たちは昼下がりまでのんびり過ごす予定だったのだが、アルラウネがうるさい。昨夜はかまってやれなかったからか、塩水を飲んでも満足しないから醤油を垂らしてやる。華が回った。多少は機嫌が良くなったようなので、遅い朝食、シエスタになるのかね。俺の左肩にアルラウネを乗せてリリスと食堂に向かった。
昨夜と同じメニューのため、手早く食事をすませた。リリスの案内で散歩に出かけてみたが……インスマウスの視線は冷たい。俺たちを好奇の目でみるのはミスカトニックの住人たちだ。あまりにも多くの視線に晒されてしまったので、避難がてらに協会とやらへ足を向けたわけだが。
「これが? 寂れてないか、これ」
「寂れてるわね。中を覗いてみましょ」
「おい、リリス!」
日に焼けた建物の中は予想していたよりも寂れていなかった。掃除は欠かしていないのだろう。どこか
「これがそうね。確か……あったわ。『大いなるモノを崇拝し、父と母の子、深きものども』だって」
「その像に書いてあるヤツか。掠れてるが」
「ええ。一応、読めるわよ。そう書いてあるわね」
大いなるモノ。父と母。深きものどもねえ。偶像は両生類の頭部に人間の姿をしていることから、『インスマウス』なのだろう。そうすると、父と母が祖先であり、その祖先が崇拝していたモノが本当に祀っている神になるのかね。
「神の名はないのか?」
「書いてないわね。辛うじて読めるのは父の名『ダゴン』かしら」
「ダゴンねえ。心当たりは?」
「あるわよ」
「あるのか? ……あるのかっ?」
苦笑しながらも落ち着かせてくれたリリスが語る内容は、ある意味で納得ができ、あらゆる意味で把握したくない内容だった。
────この世界を造り上げた創造神のような存在『外なる神』がいる。それの子らが『異形の神々』と『旧き神々』呼ばれ、世界に影響が出るほどに干渉してくることは希らしい。『異形の神々』は世界にすら興味がなく、人を餌としかみず、崇拝や召喚さえされなければ接触はしてこない。『旧き神々』は人に友好的だとは思われているが、接触が困難であり、その超越性を考慮すると真実は疑わしいといえた。そんな神々よりも下ではあるが、人よりも超越している存在が『旧支配者』である。別名『グレード・オールド・ワン』だ。その名の通り、かつての支配者であり、その力の多くが封印され、あらゆる制限がされているために人が繁栄することが可能になったという。
そんな『異形の神々』や『旧き神々』をまとめて『外なる神々』とし、『外なる神々』よりも『旧支配者』は人に友好的で、見返りを与えることもあるため、崇拝しているモノたちがいるそうだ。そんな神々に奉仕する種族が存在する。超常的な存在でありながらも『神』と呼べるほどに強大ではなく、崇拝さえもされていないモノたち。そのなかに『ダゴン』の名があった。さらに、分類されていない『独立種族』や『旧神』といったモノもおり、その神々の名は、関係性は混沌としていた。
「研究者の見解で分類は様々ね。総じていえば、ヒトを餌とするほどの超常的、超越的な存在よ」
「リリス。ひとつ訊きたい。どれが邪神だ」
「正確にいうのは難しいけど、どれも邪神なのよ」
「勘弁してくれ」
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