其の七 ミスカトニックに寄る
────殺戮に慣れつつある俺は的確にキラーマンティスの両手の鎌を弾き、がら空きの胴体を右手で串刺しにする。仄かに暗い緑色の液体が散らばり、魔獣の多くが流す血の色を拭うよりも早く、右手の瞳が吸い尽くしていく。この異形の右腕はリリスが造りあげたものだが、あの夢か、黄泉帰る俺の影響なのか、こうして変異していっている。腹の下を疼く恐怖。それを表には出していないのだが、心が読めるリリスには筒抜けになっているのだろう。それでもなお、リリスは横で笑ってくれている。本当にいい女だ。そう思う。
「あら? 嬉しいこといってくれるじゃない。どう? そそる?」
「十二分にそそる。いい女だよ、リリスは」
俺の左肩でアルラウネが抗議をあげたのだろう。頬を強く突くアルラウネをなでてやる。どこか微笑ましいものでもみるような顔のリリスが、俺に近寄るとすぐにアルラウネを奪っていった。自分の肩に乗せてあれこれと注意している。立ち回りが上手いとはいいづらいからな。まだまだ俺は戦闘をしているというより、殴り合っている感覚だ。アルラウネを心配する程度には仲良くやっているリリスが、子を叱りつける母親にみえて仕方がなかった。そんなことを口にしたら怒られるか、拗ねるリリスが簡単に想像できるよ。
血の臭いに集まるのはバンプドッグだ。胴長の瘤から生やす触手が攻撃手段であり、キラーマンティスのような素早さはない。こちらを狙うさい、足を止めるのが弱点になる。気持ちを落ち着かせて冷静に対処すればいい。触手は避けるのではなく弾く。この触手を弾く作業が練習になるのだ。キラーマンティスが雑魚に思えるようになったのはバンプドッグのお陰さんだ。お礼を込めて殴り飛ばしてやるよっ。
「いい感じじゃない。そろそろ慣れてきたんじゃない?」
「だいぶな。右手の使い方も分かってきたよ」
────黄泉帰る度にあがる身体能力にもな。
「バンプドッグは殺さないでね。不味いから」
「分かってる。俺も食べたいとは思わん」
蚊が鳴くような声で走り去るバンプドッグをみやる。それに頷いたリリスの殺害理念は食べることにあった。食料目的、自衛のためなら遠慮なく殺戮をするけれど、それ以外の理由では行わない。一種の美学がリリスのなかにあるようだがね。少なくとも、何度か殺害されているんだよな、俺は。
「また、その話? 好みだったのよ、悪い?」
「悪くはないがね……好みの異性だからといって、殺すのは間違ってると思わないか」
「知ってる? 死にかけって、美味しいのよ」
「さようで。この話題も諦めるよ」
俺らの道中は終始、こんな具合だ。カバンに詰めたキャンプ用品には、手巻きで充電できるタイプの電気コンロなどがあるから助かっている。そうはいっても、食料の類が心許ない。即席で大活躍していたラーメンもなくなり、他の食料も目減りしている。いくらマグロダやサンマダがあるとはいえ、飽きるのが人間だ。そればかりというのもつらく、これ以上長引くのは勘弁してほしい。そろそろ、件の『ミスカトニック』に到着してもいい頃合のはずなのだ。リリスがいっていた十日目から越えて二日。今日こそは、何か進展があるとは思っているのだが────。
「みて。あれよ。あの折れた塔」
「なんだ、あれは……」
────円形の塔。天空にそびえるように伸びた塔が半分に折れ、傾いている。バベルの塔を想起させる光景に眉間が寄った。これはなんだ? ここが集落?
「かつて。いにしえに栄えし古代の遺産。繁栄の証を刻もうと伸び続けた塔は、神々の戯れに巻き込まれて折れ曲がった。その名残を大切に保護するヒトが集い、栄え、こうして今も現存している。忘れるな。神々にはヒトと虫の区別はない。今を生きる者よ。決して忘れるな」
「なんだ、それは?」
「この集落の言葉よ。元々あった集落に寄生する形で繁栄したのが『ミスカトニック』らしいの。随分と前にきたけど、それほど変わってはいないわね」
なあ、リリス。お前はいったい
「すまんな、リリス。行こうか」
「ええ、ええ。行きましょう」
かなり器用なアルラウネが華を傾けている。どんどん学習するな。首を傾げる仕草をされても説明はしない。お前は俺の心を読めないから状況がつかめないんだろうが諦めてくれ。
「ここがそうなのね」
「やっと到着か。寄り道にしては長かったな」
────かつての呼び名である『虚栄の塔』は『ミスカトニック』と呼ばれてだいぶ経つらしい。ここをひと言でいえば『要塞』だろう。虚栄の塔を中心に据え、楕円形の広がりをみせる集落を囲うような分厚い壁が立ち並んでいた。防衛力に重きを置いたのは魔獣の被害に合わないようにするためであり、なかに住む人々を囲い込んでいるわけではないそうだ。それほど魔獣の被害が大きいといわれても、正直にいえばピンとこない。不審だ。道中の多くはキラーマンティスとバンプドッグばかり。俺でも戦える魔獣にしか遭遇していない。バカでかい壁を築くほどの被害があるとは思えないのだ。まだまだ、俺の知らない魔獣が潜んでいるのか。それとも覆い隠すほどのナニカがあるというのだろうか────。
「お疲れ様。やっと到着? ここでひと休みしましょうか」
「了解だ。そういえばリリス。俺らに金はあるのか?」
「お金? あるわよ。当たり前で……説明し忘れてたわね。今からでもいい?」
「もちろんだ。頼む」
どこか陰険な門番の話がすみ、大門を通り抜けて飛び込んできたのは紛れもない異世界だった。それは半魚人なのか、蛙のような両性類系の亜人とでも呼べばいいのか。ひどく奇妙な顔をした人たちが闊歩していた。抉り出したような丸目で瞬きをしておらず、顔の皮膚が引き攣っているのか緩慢である。首筋にあるのはエラのようにみえるが、痣なのだろうか。ぎこちない動作で足を引きずり、飛び跳ねるようにして動いている姿は奇妙だ。彼ら、彼女らを『インスマウス』というらしい。歳を経た証だという門番は、顎だけで先を促した。軽く頭を下げて進んでいく。集落と聞いていたが、中々立派な二階建てが並んでいた。もはや都市だ。
「そうそう。お金の話よね。……みて、これがそうよ」
「これが?」
「そう。これが『エルダーコイン』ね。この集落では使えないはずだけど」
「おいおい。それなら、どうやって泊まるんだ」
「おうおう。そこのお二人さん。他所もんだろ? 最近じゃ使えるのさ。エルダーコインはな」
唐突に話しかけてきたのは唇の右側のみをあげ、ひどく不格好な笑顔をみせる男性だ。片足を引きずり、どこか臭う男が曖昧な笑顔を作っている。リリスが睨みつけた。
「なによ? あなた」
「新参者には声をかけんのさ。いいか? 話してやるから黙って聞きな」
不安定に歪んだ五芒星の中心に『燃える目』が描かれた銀色のコインがエルダーコインであり、かつての『虚栄の塔』と呼ばれていた頃から在住している者の間では使われておらず、今もなお物々交換が主流らしい。流通は必要に応じる。ミスカトニックと呼ばれるようになるまで増えた移民者たちが利用していたのだ。幅を利かせている移民のお陰でエルダーコインが広まり、それを忌み嫌う先住民と静かな対立関係にあるそうだ。
「それで? 俺らに何か用でも?」
「あいつらを何ていうか知ってるか? 『インスマス
「リリス」
「ほら。消えなさい」
「へへっ。酒が飲めるぜ。あんがとよっ」
ずりずりと音を立てながら酒を求める声をあげた男が居なくなるまで、俺とリリスは動けないままだった。リリスの息を吐く音と同時に足を進める。目だけで互いに合図を出して歩く俺たちは無言のままだ。
あの男の目はやたらと離れているし、瞬きひとつせず、少し魚臭かったような……コインを受け取った掌に水かきのようなモノまでついていたのは錯覚だろうか。ミスカトニックに到着したばかりとはいえ、とても奇妙な場所らしい。陰湿な影が、雰囲気が漂っている。それにあてられた気がしていた。俺の右手が一度だけ、ゆっくりと瞬きをしていたことに気づけたのは運が良かったのだろうか。それとも何かの予兆なのだろうか。
「ここよ。このモーテルね。まだやってて良かったわ。入りましょう」
「ああ、分かった」
いつだろうか。みた記憶がある造形のホテル、この光景────そうだ。ジャズエイジだ。親父が好きだった映画だ。第一次世界大戦の終結後の享楽的、刹那的に発達した時代を描いた話だったはず。あの当時を感じさせるデザインが多いんだ。このホテル、いや、ミスカトニックそのものが。
「シュウ? なにか気になる?」
「いや、大丈夫だ。入ろう」
三階建てのホテルは淡い黄色を基調としており、モダンジャズやジャズエイジを知る者なら大絶賛をするであろう調度品が飾られている。受付に座る老婆は唸り声をあげながらボトルをあおっていた。いくら話しかけても返答がない。困り果てた俺たちをみかねたのか、客のひとりであろうスーツ姿の、
「お困りで」
えらく端的であり、ほんの少しあがった口角。たくわえた
「ええ、まあ。困ってるわ。いくら声をかけても、ねぇ」
「ああ。返答がないんだよ」
「それはそれは大変だ。この婆さんはね。酒を飲み干したら話し出すんです。ほら、もうすぐ」
「先ほどは助かりました。こちらは……旅行、みたいなものですが、そちらは?」
「それは奇特な方たちだ。……失礼。私は研究をしておりましてね。とても興味深い場所ですから」
「研究を……奇特な方ですね」
「これは手厳しい」
「シュウ。取れたわ。部屋は三階よ」
「分かった。それでは」
「ええ、また」
階段を登る後頭部に視線を感じ続けている。俺をみるリリスに首をふり、部屋に入るまでの僅かな距離で汗をかいていた。じっとりとした不快な視線だった。何かがひどく笑っているような気がしてくる。
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