24. エピローグ【2158年】

 瀟洒しょうしゃな服装に身を包んだ1人の白髪初老の男がモニタールームの壁一面を占めるガラス窓の脇にたたずみ、眼前に広がる寂寥せきりょうとした空間を眺めていた。

 上品な光沢生地のスーツにアイロン掛けの折り目を付け、胸ポケットには懐古主義宜しく赤いハンカチーフを差している。紳士然とした身形みなりながら、僅かに腰が曲がっており、杖を握る皺枯れた手にはシミが浮いている。人生の苦難に鍛えられた精神力が内面を矍鑠かくしゃくとさせてはいても、肉体の衰えまでは隠せない。

 広大な空間には円柱が格子状に林立し、地平線の彼方まで続いている。さながら古代ギリシャのパルテノン神殿を2枚の鏡で挟み、その2つの鏡に映った無限映像だとでも表現すれば良いだろうか。

 深淵な空間は円柱自体が発する仄白く弱い光で照らされているだけであり、天井と奥行きの正確な位置は判然としない。ただ、人の目には永遠に空間が広がっていると錯覚するばかりである。

 格子状の円柱群を無数の梁が相互に結び、その梁には球状の冷凍保存装置が幾つも垂れ下がっている。たとえるならば、巨人の世界の果樹園に迷い込んで来たような景観であった。

 冷凍保存装置には人類の人工受精卵が保存されている。この空間全体で10億人を超える個体が保存されている。わば、人類に限定した現代版のノアの箱舟と言える。

 く見ると、蜜蜂の如き機械が冷凍保存装置の間を小まめに飛び回っている。モニタールームから見ると蜜蜂としか思えないが、距離感の掴めない風景なので、実際にはもっと大きいのだろう。

「大統領閣下。此処の温度は人間には肌寒く感じるレベルです。

 閣下の肌の表面温度も入室前に比べて0・2度、下がっております。

 5分以内に退室する事を勧めます」

 独白の意味合いでしかないが、初老の男は後ろに控えたアンドロイドを振り返ると、穏やかな声音で語り掛けた。

「アニー。あの時、別の時間宇宙の過去を修正する作戦に私が合意していたら、この世界は如何どうなっていたのだろうね。

 この時間宇宙の歴史を良き流れに改変する事は、我々の呪われた歴史を別の時間宇宙に押し付ける事に他ならない。

 私は、それが自分勝手な選択だとわきまえていただけに、どうしても踏み切れなかった・・・・・・」

 初老の男は再び視線をモニタールームの向こうに広がる光景へと戻した。てのひらをガラス壁に当て、額を近付ける。

「だが、この有り様はどうだろう?」

 溜息と共に深く吐き出された呼気がガラスに白い霜を着ける。

「結局、当初危惧された通り、骨髄病に有効な抗生物質は開発されず、我々には、地球規模の断種によって新たな船出を目指すしか、選択肢が無くなってしまった。

 私は、詰まらぬ道徳心に惑わされ、自分の庇護すべき人々の未来を奪ったのだ!」

 男は掌を丸め、その握り拳でガラスを弱々しく叩いた。

「私の2代後の連邦大統領の時代には、地球上で生存する人類はゼロとなってしまう。

 地球連邦の大統領とは壮大な共同墓地の孤独な墓守だ。

 東アジア州の一地域で信仰された仏教の一派では、即身仏と呼んで生きながらミイラになった僧侶が居たと聞くよ。

 子供を産まない社会とは、その僧侶の様なものだとは思わないかね」

 この箱舟から巣立って行く子供達には、見本となる大人が居ない。

 子供達が白紙から作り上げて行く新世界が一体、の様な社会通念を形成して行くのか?――は、全くの未知数であった。

「地球連邦の大統領として、あの時の私の決断は正しかったのだろうか・・・・・・」

 孤独と後悔の念にさいなまれる男の頬を一筋の涙が濡らした。

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未来からの警告:骨髄病を克服せよ 時織拓未 @showfun

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