第11話
葬儀の席で泣く人の声を、碧は遠い世界の出来事の様に感じていた。
誰かが泣いているが、それが誰の声なのかは確認する気が無い。そもそも、自分の葬式に出る必要など一つも感じないからだ。隣に立って腰を抱き寄せてくる結鹿も、同じ様に思っているだろう。
「自分の葬式なんて、変な感じだよね」結鹿が困った風に話しかけてくる。厳かな喪服姿だ。
「そうだね、そうかも」
結鹿が薄く微笑み、しきりに碧を横から抱き締めた。それは、会場から泣き声が響く度に行われる事で、碧としても悪い気はしない。今日の結鹿からは、甘い香りがした。
葬儀はまだ続いている様子だ。まだ終わらないものかと碧は思案した。こうして死んだ今、急ぐ事は無いのだが、あまり居心地の良い場所でもない。
「碧、辛くない?」結鹿が気遣ってくる。「やっぱり、来ない方が良かったと思んだ」
「そうでもないよ」
会場横の柱に背中を預け、碧は深く息を吐いた。
「改めて、見えない人にとって死ぬのは凄く重要な事だと思って」
「そっか」
納得を装い、結鹿は深く尋ねてくる事は無かった。少なくとも万事が落ち着くまでは、聞かれる事は無いだろう。そういった優しさを、碧は信頼していた。だからこそ、いずれ自殺の原因を詳しく問われた時の為にも、本当に聞こえる話をでっち上げなければならない。優しいからこそ、知ろうとする日が来るだろう。
「それにしても、お葬式っていうのは慣れないね。あいつの葬式にもこっそり参加したんだけど、あの時も旦那さんが酷い状態で見ていられなかったから」
「あいつって、美流ちゃんの?」
「そう、あいつ」
記憶を掘り起こしたのか、結鹿は悲しい思い出を口にする。ほんの少しだけ腕の力が強まって、碧は締め付けられる気分を感じたが、結鹿は気づいていない。
「そう考えると、碧の葬式なんだし、私も参列すべきだったかな。あいつの葬式には行ったのに、碧の葬式は外で見ているだけなんて」
「結鹿さんが行ってもしょうがないよ、私は此処に居るし、結鹿さんだってもう死んでるじゃない」
「ああ、そうだね。私は、死んだんだった」
今、思い出した。そう言わんばかりに、結鹿は髪をかき上げた。
嘘だ。碧は、結鹿の言葉から嘘を感じた。何故なら、結鹿は、碧と出会った時には既に死んでいたからだ。
碧は、決してその嘘に言及しなかった。その点を指摘すれば、いや、碧が真実を知っているのだと知られれば、それが元で結鹿が自殺の理由を察してしまいかねない。それは、彼女が命を捨てて作り上げた結果を無駄にしかねない行動だった。
薄氷を渡っている気分だが、それでも碧は微笑んだ。
葬儀は一時落ち着いたのか、泣き声が少なくなる。連絡を取り合っていた学校の友人や、両親の声が聞こえた。耳を塞ぎたくなったが、構わなかった。
会場の入り口から喪服を着た男が姿を出す。髪の色は、黒だ。
「暁君」
声をかけると、暁は手を挙げた。涙は浮かべていないが、表情は暗い。もう少し明るくても良いのだが、無理だったらしい。
「ああ、まだ、終わらないぞ」
「分かってる。苦労かけるね」
「良いって、ご両親に言いたい事は有るか?」
「何も。ただ、私は平気だよ。そこの所は勘違いしないで」
暁は何か言いたげに結鹿と碧を見比べた。一瞬だけだが、何もかも見透かされている様に感じたが、碧はあくまで楽しげな表情を保った。
やがて大きく溜息を吐くと、彼は独り言の様に呟く。
「勿忘草の花言葉、知ってるか」
「何?」
「誠の愛」暁が指を二本立てる。「あともう一つ、私を忘れないで、だ」
それだけを言いたかったのか、彼は一度頭を下げると、会場へと素早く戻っていった。
碧は結鹿と顔を見合わせた。
「何の話?」
「分からない。暁君、どうしちゃったんだろう」
二人で首を傾げる。暁は既に背中を向けて、振り返らずに会場へ戻っている。結鹿は理解していない様子で肩を竦めた。ただ、碧が苦しまない様に気遣っているのだろう、変わらず碧の手を握っている。
暖かな感触を感じていると、碧の視界にこちらへ向かってくる虹色が見えた。
虹の下に人が居る、九島だ。葬式に参列するとは思えない派手な色合いをしている。しかし、文句を挟む余地は無かった。碧にとってこの葬儀は暗い雰囲気でする物ではなかったからだ。
会釈をすると、九島は珍しく一笑もせずに、ただ小さく手を振って見せた。顔の斜め下に包帯が巻かれていた。
九島に向かって、笑みを送る。彼が、碧の相談に乗り、碧の決断を促す様な出会いを設定しなければ、碧はまだ自分の命を踏み越える覚悟は出来ていなかっただろう。結鹿が死人である事に気づいた時、相談したのが彼で良かった。碧は、九島の残酷な性格に感謝していた。
「ごめん、結鹿さん。ちょっといい?」
声をかけると、結鹿は頭を撫でてくる。
「うん、私に許可なんて取らなくていいんだよ。君の好きにするのが一番なんだから」
「じゃあ、好きにするから、そこで待ってて」
「分かった、待ってるからね」
柱に背を預けたまま、結鹿は手を振って送り出す。何度かその姿に振り返りながらも、碧は虹色に向かって歩いた。
九島は感覚よりも近くに居る。彼の目に浮かぶのは、哀悼ではなく、大きな祝福だった。
「や、極悪人」
声を潜め、結鹿には聞かれない様に気遣われた話し方だ。九島の配慮に、碧は苦笑で答える。
「九島さん、私を極悪人にしたのは、あなたじゃないですか」
「まあ確かに。しかし、決めたのは君だよ。君が、君自身を殺す事を選んだんだから」
確かに、と碧は心中で認めた。九島は自分の決断を支持し、準備を整えただけで、全ては碧が碧の意志で行った事だ。他の誰に責任を押しつける気も無く、責任を横取りされたくも無い。碧自身は、そう感じていた。
すると、九島は一度深く息を吐き、嬉しげに緩んだ表情を見せつけてくる。
「嬉しそうですね」
「うん。とっても嬉しいんだ。君達を見ていると、人が人の幸せを想う愛情って、本当に凄いと思うんだよ。私みたいな冗談半分の愉快犯には出来ない事だから」
満更嘘でもないのか、九島が享楽的に親指を立てる。喪服を着ていても、彼の雰囲気は一つも変わらず、あの店で見かける姿と殆ど同じだ。やはり、碧の死を祝う為に来た事で間違いは無さそうだった。
「おめでとう、今度お店に来てね。とびきり美味しいのを用意して待ってるから」
「ありがとうござます。私に、道を示してくれて」
「何の。結鹿さんに露呈したら私は間違いなく恨まれるよ。憎まれると言っても良いかもしれない。怖いね、怖い事だ」
楽しげにそう告げると、九島は手を振った。虹の髪が揺れて、明るく光った。
「ともあれ君の命だ。君が好きに使えばいい。他の何もかもを振り払ってでも、やりたい事が有るなら尚更さ。まあ、この葬式の雰囲気を見た限り」九島が会場の様子を見つめる。「納得出来ない人の方が多そうだし、残酷ではあるんだろうね」
「結鹿さんがその筆頭ですから」
「そう、気をつけないとね。知られた所で君が生き返るのではないから、余計にさ」
軽快に笑いつつ、彼は碧を横切っていく。
その手に色とりどりの花を持って、彼は有無を言わさず会場へ入っていった。中をよく見ると、遅刻した上に葬儀には不適切な格好をした青年を白い目で見る人間が多く居たが、彼は満面の笑みで無視して、暁や、こっそり参加している死人達、例えば美流へと挨拶をしている。
追い出されないだろうか。碧は少し心配に思いながらも、大した事ではないと頭から消し去った。小さく息を吐くと、感情の波が押し寄せる。碧は胸の中の苦痛を達成感で押し潰し続けている。
素早く表情を整え、儚げな笑みを作った。結鹿の優しさを裏切り、想いを汚した事に胸が痛み、無い筈の刺し傷が激痛を走らせる。九島に悪人呼ばわりされた事で、自分の犯した罪の重さが強烈なまでに感じられた。それでも、碧は表情を変えなかった。全てを背負っても尚、行くべき先が見えていた。
九島が完全に消えた所で、碧は肩の力を抜いて結鹿の居る柱へと戻る。彼女は碧の顔を見ると、すぐに心配そうな面持ちで顔を覗き込んでくる。無意識からか、その手は自然と碧の頬を撫でていた。
「大丈夫? 九島さんが何か言ったの?」
「ううん」碧は首を振った。
「なら良いけど、何か有ったら、ちゃんと相談してね。何だって聞くから」
結鹿の親切な言葉に隠された気持ちを、碧は直に感じた。彼女は、碧の自殺の原因を知らない。何か碧が悩みを抱えて、苦しんだ末に死んだのだと、そう信じている。碧自身、そう思われる様に遺書にも抽象的な苦しみを書いていた。
その温かさに感謝して、碧は感情を整理し、意志を固め直す。
「ありがとう、結鹿」
呼び捨てだ。生まれて初めて、彼女の事をそう呼んだ。決意を込めた呼び方だ。
突然の事で、結鹿は目を見開いた。碧は思わず笑ってしまった。
「急に呼び方を変えるなんて、どうしたの?」
「何でもないの。ただ、いい加減もっと親しい呼び方がしたくて」
言葉通りに何でもない素振りを見せながらも、そのまま背後へと回り、結鹿の腰に抱きついて離さない。いや、離れない様にする。背丈が合わずに、鼻先が結鹿の背中に触れていた。
「ずっと、幸せでいようね」
碧の決意表明をどう感じたのか、結鹿はそっと背中の碧と手を握る。決して離れない様に、強く。
「碧こそ、楽しく幸せに死人生活を送ろう。だから、ほら」
その手を握り返して、碧は微笑んだ。
今、結鹿が何を考えているのかは分からない。分からないが、優しく、慈しみを以て接してくれているのだろう。胸が痛む。しかし、それでも碧は構わなかった。全てを理解する必要は無い、ただ、自分のするべき事さえ忘れなければ。
忘れてしまえば、後の人生は全て無価値なのだ。ただ、無意味な感情を持って存在しているだけで、何の意味が有るのだろう。死んでもなお自分は生きている。結鹿の望みとは違うかもしれないが、結鹿を守る事が出来る。だから、これで良いのだ。
二人は手を絡め握ったまま、自然と横へ並んだ。結鹿の方が、少しだけ先に立っていた。
「そろそろ行かない? やっぱり、自分の葬式なんて苦しいだけだと思うんだよね」
「うん、良いよ」
「二人で遊びに行くなら、何処が良い?」
「どこでも大丈夫、どこまでも付いていくよ」
「難しい事を言ってくれるよね。でも」結鹿は嬉しそうに言った。「きっと、一緒なら何でも楽しいね」
結鹿が歩み出す。その背中は悲しみを滲ませていたが、少なくとも寂しげな雰囲気は無い。碧にとっては、それが一番の安堵だった。
歩みを進める内に葬式の会場が遠ざかっていく。その中で誰が泣いているのかは少しだけ気になるが、それよりも、結鹿の無防備な笑みを眺める事を優先した。若干曇ってはいても、確かに笑みだ。強い満足感が碧の中で芽生える。
碧は、何処の誰とも知れない信頼してもいない何かに向けて、深々と祈った。そして、すぐに祈る事を止めた。
誰に頼るでもなく、自分自身で成し遂げ続けるべき事なのだ。
お墓の上には勿忘草と紫苑を添えて 曇天紫苑 @srcsms
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