終章
最終話 夢現狭の蟲遣い
――数週間後。
学校の校庭では、数十人の子供たちが元気に走り回っていた。
その先に見えるプロポリスタワーには、もう光は灯っていない。まるで腐り果てた大木のように、そこに力無く聳えているだけだ。
空には大きな入道雲がただよっている。そこにはもう仮想現実で彩られるポップなキャラクターは浮かんでいない。本来の自然のいとなみ、夏の眩しい青空だけが、そこにあった。
「……」
酸味の利いた味覚情報が口いっぱいに広がっている。思わず口をすぼめてしまうほどの酸っぱさだ。こうやって熟して腐りかけたリンゴの味をきちんと識別できるのも、システムが味覚情報に対して過剰に影響を及ぼしていないからだろう。
「先生、今日もヴァーチャル=ネストは平常運転だよ。世界は変わった……。大人たちのヤケクソな支配から子供たちは解放され、そして子供たちも、権力を失った大人たちを養うために勉強をする毎日だ」
蟲遣いは言った後、齧りかけのリンゴを目の前にあった墓石に供えた。
「平和つってもまだまだ問題は山積みだ。統治者の思想も潰えちゃいねぇし、調子に乗ったヴィジュアルハッカーだって勢力を増してきている」
蟲遣いは手を合わせた後、目を瞑った。
「だが安心してほしい。俺がいる。責任は最後まで果たす。この世界をバグらせると決めたなら、納得いくまで戦ってやるよ……。それが先生の遺した宿題なんだろ?」
蟲遣いは先生に呟いた後、墓石に背を向けた。そしてもう何も怖くはないと自信を持って。トレンチコートをなびかせながら大股でその世界を歩いた。
『ボンジュール。蟲遣い様、準備はよろしいですか?』
と、耳元の仮想インカムに
『アクセスポイントの掌握は済んでいますわよ。この機に乗じて、今度は子供たちから精神情報を盗もうとしている不届き者のハッカー集団……。いつでも叩くことは可能ですわ』
「シスタはどうした?」
『シスタさんなら、戦いに備えて、蟲遣い様をお迎えに行きましたわよ。本当は私が迎えに行きたかったのですが……。浮気は許しませんことよ? いいですわね?』
「浮気ってなんだよ」
『まったく、蟲遣い様は年下の女の子には甘いのですから。シスタさんがいくら子供と言っても、あと数年もすれば立派な女性! ライバルになる可能性は十分に――』
「わかったわかった! 浮気はしねぇから、大人しく現地で待ってろ、いいな?」
『いやしかし、私の夫として――』
重戦車の小言に付き合ってる暇はない。蟲遣いは通信をすぐさま遮断した。
「うふふ。ぐぅちゃんたら、今日も尻に敷かれていますね」
背後から、人を小馬鹿にする声が聞こえてきた。
シスタである。
今のシスタの姿は、蟲遣いと行動を共にしていた、あの触覚のある仮想生物ではない。
幼女特有の、もちもちとした健康的な肌を見せる、生身の姿であった。
シスタの本体はあの時、精神情報を枯渇させ寿命を迎えようとしていた。しかし蟲遣いのグリッチ=ノイズ、そのフンコロガシの生存能力で事無きを得たのだ。さらに世界のバランスが整ったことにより、搾取されていた精神情報も還元されることとなった。
今は元気ハツラツ。シスタは他の子供と変わらない、元気な姿でそこに立っていて、修道服のような正装に身を固めていた。
「ようシスタ。随分と管理者としての貫禄がついてきたじゃねぇか。神々しいぜ?」
「そ、そうですかね? えへへ」
シスタは照れて笑ってはいるが、これでも世界を統べる絶対神である。
そのストレス=アビリティとは、この世界の精神情報の流れを監督し、的確なサポートを促すためにパッチを制作する力。能力名は『システム=アドミニストレータ』である。
バランスを整えるために再構築されたばかりのシステムには、未だ欠陥がある。
その欠陥を利用して私腹を肥やすヴィジュアルハッカーがいる限り、蟲遣いとシスタの戦いは終わらない。
「シスタ、準備は抜かりないな? 次の戦いも、厳しい戦いになりそうだぞ」
「はい。準備は整っていますですよ。もちろん心の準備もです」
「この戦いは人類を切り捨てる戦いじゃない。人々を囲う戦いでもない。もっと広い定義を持った、特別な戦いだ……。忘れちゃいないだろうな?」
「わかっています。もう弱音は吐きません。あたしも最後まで戦います。皆さんと一緒にいれば、怖くなんてありませんです!」
「確認するのも野暮だったか。なら行こう、絶望に抗いにな」
「はいっ!」
こうして蟲遣いとシスタは、お互いに肩を並べて歩き出した。
その目標は、この世界に平等を取り戻すこと――。
――
その奇跡によって精神情報が共有化された今も、世界は終末に怯え、崖っぷちである。文明というものがかならず滅ぶように、人類の歴史もまた、そのうち静かに幕を下ろすのだろう。
だが、それは今ではない。
未来は明るい。
決して暗いモノではない。
八方塞がりで絶望に向かっているように見える未来も、その時に生きる者の行動次第で、いくらでも色を変えて延命していくものだ。
それでもまた、世界で陽が陰るようなら、その時はもう一度、蟲遣いの出番であろう。絶望と未練の象徴である害蟲を持って、巨悪に立ち向かう準備は整っている。
それが運命と称される目標ならば、潔く受けいれよう――。
//プロポリスタワー侵入編・了//
――――――――――
お付き合い頂きありがとうございました。
作:モダンな雰囲気
夢現狭の蟲遣い《むげんきょうのグリッチャー》 モダンな雰囲気 @modan
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