第18話 決戦!プロポリスタワー侵入⑤

 システムの中枢、その入口である球体には大きな亀裂が生じ、そこから害蟲バグがわらわらと這い出てくる。

 いつものデフォルト型の漆黒の害蟲ではない。いつもの醜い姿をした、増悪な害蟲でもない。

 それは、とても美しい害蟲の群れだった。

 優雅に羽を広げるチョウチョや、コガネ色に輝くコガネムシ。尻をほのかに光らせるホタルや、耳を癒やすかのように鳴くスズムシ。

 その害蟲を先導していたのは金色に輝いたフンコロガシであり、その横には背丈の小さな幼女の仮想生物、管理者のシスタが並走していた。


「ぐぅちゃん! もう少しだけ、ふんばって!」


 シスタは急いで害蟲に命令を下した。蟲遣いグリッチャーの死にかけた身体を取り囲むように、とだ。

 害蟲は、触手や触覚を蟲遣いの胸に押し当てていく。

 そうすれば、蟲遣いの心臟を強制的に隔離していた黒い箱は、またたく間にバグり、破壊され砕け散る。


「ぐはっ……! がはっ……!」


 蒼白だった蟲遣いの顔に、赤見が蘇ってきた。

 蟲遣いは不規則に深呼吸しながら、自分で心臟を叩き、強引に動かす。

 そして美しき害蟲を背後に従えながら、上半身を起こし、顔を上げた。


「……」


 蟲遣いは手を開いたり閉じたりしながら、体調を確認する。

 精神情報は満タンまで回復している。細かな傷も塞がり皮膚は綺麗なものだ。意識はカラッと晴れた夏場の青空のようにスッキリしている。おまけに、力がこんこんと沸き上がってくるのも実感できた。


「害蟲よ、命拾いしたぜ……。これからも俺の命令に従え、いいな?」


 蟲遣いは静かに言いながら、害蟲を操ってみせる。

 害蟲は群れを成して飛び交い、今度は重戦車ジャガーノートを隔離していた箱を包み込んだ。

 そうすれば、その箱は瞬く間に崩れ、囚われていた重戦車を救い出すことに成功した。

 蟲遣いは倒れる重戦車の元へと歩き、その頭を自分の太ももに寝かせた。


「大丈夫か、重戦車」

「蟲遣い様……。ああ、よかった。生きて、いたのですね……」


 重戦車は途切れがちに喋る。胸部の傷が原因で、もはや精神情報が枯渇しきり、今にも息絶えてしまいそうである。


「情けない……。デミゴット級第一位の名が泣くぞ」

「面目ないですわ……」

「大丈夫。今、その傷を塞いでやる」


 蟲遣いはフンコロガシに命令を下した。

 フンコロガシは「イエッサー!」と兵隊のようにポーズを取ると、くるりと宙を一回転し、重戦車の胸部の傷に鱗粉をふりまいた。

 するとどうだろう。瞬く間に胸部の傷は癒え、重戦車の顔にも生気が蘇ってきた。


「傷が……治った?」


 魔法でもかけられたのかと、きょとんとする重戦車である。


「グリッチ=ノイズの切り札、フンコロガシの持つ生存能力を使わせてもらった」

「あの汚く惨めな害蟲の仕業……? まさか、ただのマスコットのはずじゃ」

「いや違う。フンコロガシは古代よりと崇拝されてきた虫だ。このヴァーチャル=ネストにおいても、その伝承は確かに実在するものだ。俺一人で戦っているうちは不必要な能力だったが、まさかここで役立つとはな」


 その生存能力とは、自らの体内にある精神情報を他人に折半するという、とんでもないバグ技だ。すなわち蟲遣いは、自らの精神情報、その中でも極めて重要度の高い寿し、死にかけていた重戦車の傷を癒やしたのである。

 さらにその能力は、重戦車に対してだけ使われたワケではない。

 寿命を迎え、死にかけていたシスタにも、惜しみなく使ったのだ。

 後はシステムの中枢にいたシスタに全ての害蟲を託し、心臓を隔離していた黒い箱を外側からバグらせ、破壊してもらったのである。


「ぐぅちゃんは無茶をしすぎです。まさか命を削ってまでして、あたしたちを助けるだなんて」

「ふっ……。少しばかり寿命が縮まったようだが、だからなんだ? 人生太く短く、笑って過ごせりゃそれでいい。お前らが死んで悲しむくらいなら、俺はそっちの道を選ぶぜ」

「蟲遣い様……」

「ぐぅちゃん……」


 二人の美女に見惚れられながら、蟲遣いはゆっくりと立ち上がる。

 そして、今回の事件の首謀者を、鋭く尖った三角の眼で睨みつけてやった。


「先生よぉ。重戦車を助けたってのに随分と余裕ぶっこいてんじゃねぇか」

「ふん。死にかけたお姫様を一人助けたところで、戦況は変わりやしないわよん」


 先生は驚く様子をまったく見せていない。さも、息を吹き返すのは当たり前だったと言いたげな態度で、そこに悠然と立っていた。


「それよりも、貴方は覗いてこれたのかしらん? 向こう側の世界を」

「ああ、ゆっくりと見学させてもらった。とんでもなく居心地の良いリゾート地だったぜ。あの世も捨てたもんじゃねぇな」

「なら、この世界の現状も、きちんと把握してきたのよね?」

「もちろんだ。生死の境を彷徨う中で、俺は世界の現状を悟った。愛のために戦い自滅する女もいたし、死に抗う幼女もいた。生きることに疲れる少年もいたし、夢も希望もありゃしねぇ。どこを見たって絶望に枯れ果てていた」

「だったら、ぐぅちゃんにもわかったはずでしょう? もはや絶望こそがこの世界の規律なら、その絶望を切り捨てるためにも、僅かな希望にすがるしか道は――」

「絶望しかねぇなら、その絶望をも力に変えてやる」


 蟲遣いの宣言に、あの冷静沈着な先生が、初めて顔色を曇らせた。


「それが……ぐぅちゃんの導き出した答えなの?」

「解決策は非常にシンプルだ。結局は、この世界を護れるリーダーがだったんだ。恨みも辛みも憎しみも、全ての業を背負って、一緒に戦うことができる、そんなお人好しが、だったんだ!」

「そのお人好しに、貴方はなれるのかしらん? 世界のバランスを保つということは、とても重大な責務なのよん?」

「なってみせるさ。なにせ俺は、この世界のバグを操る者だ。害蟲にたかられるのは、それが原因だった。遠回りしたが、ようやくわかったぜ。俺の目指すべき本当のが」


 全てを悟った今の蟲遣いならば、周りにたかる害蟲の声が一つ一つ聞こえてくる。

 ――助けて、蟲遣い。

 ――あなたしかいない。

 そのどれもが泣き叫んでいた。苦しんで、もがいていた。


「害蟲の正体こそ、だったんだ。この世にやり残したことがあるから、それが醜悪な害蟲の姿に様変わりし、精神情報にバグを引き起こしては、この世界のクソルールに抵抗していたんだ……」


 恨み、辛み、憎しみに苦しみ……。

 ヴァーチャル=ネストに潜む害蟲の正体が、人々の妬みや悲しみの精神情報体だったとすれば、その力を操る蟲遣いこそが、魂を救済することのできる先導師であったのだ。

 だから未練を持つ一人ぼっちの害蟲が、強大な力を持つ魂にのだ。光に吸い寄せられるようにして――。


「いくぞ害蟲! 俺についてこい! その絶望と未練を力に変えて、猛威を奮えっ!」


 蟲遣いは両手を広げ、ネイル端末を再起動させた。

 オーバーヒートし壊れかけていたネイル端末は、その膨大な情報量に耐え切れず溶解を始める。本来なら強制終了するべき緊急事態だったが、けれどシステムは蟲遣いの味方をしている。


「ヴァーチャル=ネストの管理者として、ぐぅちゃんに力を授けます。まだウィルスに侵されていない、純粋な精神情報を、今ここにリンクさせますですッ!」


 シスタの甲斐甲斐しい援護を得て、蟲遣いの体内にある精神情報はフルチャージされた。


「蟲遣い様お一人では処理能力に限界があるでしょう……。この私も僭越ながら援護いたしますわよ! 精神情報の並列処理はお任せください! ボンクラージュッ!」


 重戦車は目の前に複数の仮想ウィンドウを展開し、蟲遣いの周りに奔流する精神情報を効率よく循環させるためにと、即席の行動アルゴリズムを構築し、反映させた。

 仮想現実は、目に見えぬともこの世界を彩っている。空気中に潜む全ての粒子は、蟲遣いを中心として寄り固まり、次々と共有化されていく。害蟲はその精神情報を喰い、各々に殻を破って覚醒し、進化を促している。

 蟲遣いを中心として、巨大な情報エネルギーが入り乱れる。螺旋のように活性化し、ブラックホールのようにして尚も無限に肥大化していく。

 蟲遣いは威風堂々と胸を張り、そこに腕を組んで仁王立ちした。


「もう一人で世界を護るだなんて古臭い戯言はうんざりだ! これからは、弱い奴も、強い奴も、一丸となって困難に立ち向かっていく時代だ! 破壊する? 切り捨てる? そんなもんクソ食らえッ!」


 蟲遣いは腹に息を溜め、そして最後に自分の新たな意志と目標を、ここに刻んだ。


「絶望や未練がなんだ! この世界の規律を、まるごと俺がバグらせる!」


 蟲遣いのその魂の宣言と、何物にも迷わぬ雄々しい姿勢を見て、先生は「やれやれ」と小さく首を振った。


「問題発言ね。そんなにも大きな目標を立てたりして、達成できるはずがないじゃない。これだから子供というものは、誇大妄想も大概にしてほしいわん」


 先生は諦めたかのようにそう呟くが、寂しげな言葉とは裏腹に両手のネイル端末を交差させて、戦闘体勢の構えを取ってみせた。


「先生、逃げねぇんだな……。もはや、あんたが負けるのは明白だ……。それでも戦うっつーんだな!」

「もちろんよ。大人には大人の言い分がある。私はとっくに覚悟を決めている。大切な子供たちの、その未来を護らなきゃぁならないのよ。これはそのため闘争!」

「そうかい。その親心、否定はしねぇぜ。でもな、少しくらいは自分も子供になってみるべきだ。じゃねぇと、大切なモノを見失っちまう。今のあんたがそうだ!」

「ふっ……。実の師匠を子供扱いとは、口だけは達者じゃない。なら示してごらんなさい、貴方の覚悟ってものをね。この世界をバグらせ、自分で導いていくというのなら、この私を倒しっ! 屍を乗り越えていきなさいっ! 蟲遣いッ!」

「先生ッ! 行くぞォォ! この俺様の魂の全力解放、味わいしゃぶりつくせェェ!」


 蟲遣いは両手を真正面に突きだした。

 黄金に輝く害蟲たちは、そのシンプルなハンドシグナルを受諾、実行し、螺旋状に回転しながら先生めがけて飛んでいく。

 逃げ場はない。完全なるオールレンジ攻撃。


「かかってきなさい。最後のテストをしてあげるわん!」


 蟲遣いの攻撃を、先生は逃げも隠れもせずに受け止める。

 その仮想現実を隔離する特殊能力を使って、四角い黒い箱をいくつも具現化させ、迫っていくる害蟲を虫カゴに囲おうとする。

 おかげで一時的に害蟲の勢いは止まったが、けれど無限とも呼べる精神情報を喰って力を増した害蟲の前には、無駄な足掻きである。

 箱は次々と弾き飛ばされ、破壊されていく。

発現させては消え、発現させては消え、先生のクォレンティン=キューブは一切として害蟲には通用しない。

 それでも先生は決して動じず、足を床にドンと貼り付けるようにして踏ん張って、害蟲を隔離するためにハンドシグナルを送り続けた。


「ぐぅちゃん、このままだと先生が……」


 シスタは先生の痛々しい姿を見て嘆く。

 勝負はすでについている。誰の目に見てもそれは明らかだったが。


「先生はお前を騙したんだぞ? 殺されかけもした。なのに許すのか?」

「でも先生は、子供たちを助けたくて……」

「だからって手加減はできねぇよ。もう、こうするしかない」

「復讐、ですか?」


 シスタは悲しそうに呟いた。

 復讐。確かに最初はそうだったのかもしれない。騙し利用され裏切られ、使い捨ての缶電池のようにポイ捨てにされたのだから、怒って当然だ。

 けれど、蟲遣いはその真意をきちんと理解していた。先生が本当にしたかったこと、望んでいた未来こそ、悪ではなく慈愛に満ちあふれていた。


「ちげぇよ。先生の真の目標がようやくわかったんだ。だから、ここで俺が力を抜くわけにはいかねぇ。全力を持って、先生の胸にぶつからないとダメなんだ」

「真の目的ってなんです?」

「簡単なことだ。先生は最初から負けるつもりでいたんだ。俺たちの成長を、草葉の陰から見守っていただけだったんだ。独裁者になるつもりも、神になるつもりもなかった」

「そうなのですか?」

「間違いない。俺たちを強い人間にするために、強い大人に育てるために……。そして、団結力を試すために、反面教師を演じていただけだったんだ。なぁ、そうなんだろう?」


 蟲遣いは先生に問いかけた。

 すると、先生はいつものように憎たらしく笑いながら答えた。


「さあ、どうかしらん? それは貴方の願望にすぎないでしょ? このまま私を見過ごすようなことがあれば、ウィルスは感染するだけ。情に流されて手加減をするような真似は、絶対に許さないわよん」

「もちろん、わかっているぜ……」


 先生は、正しい答えなど教えてくれない。

 昔からそうだった。答えは地力で導き出すものだと、蟲遣いは厳しく教わってきた。

 だからこそ、蟲遣いは先生に敬意を払わなければならない。

 先生が待ち望む希望がそこにあるのなら、今ある力を存分に示さなくてはならない。

 未来を護り、バランスを整えることができるのは、他の誰でもない、シスタと蟲遣いであるという証拠を、きちんと目に見える形で、答案として提出しなければならない。


「テストは終わりだ、先生……」


 蟲遣いは腕をぐぐっと前に出し、害蟲の群れを押し込んだ。

 圧倒的な運命力。それは仮想現実をバグらせる負の概念――。

 先生は、害蟲の群れに飲み込まれていく。細胞の一片一片が崩れ始め、精神情報の光に溶け込んでいく。

 衝撃波で、フロア内の仮想現実も吹き飛んでいく。その先には、どこまで続く宇宙が見えた。

 その宇宙に投げ出される形で、先生の亡骸は崩れていく――。

 その最期に、先生は唇をわずかに動かし、蟲遣いに対して別れの言葉を手向けてきた。

 それは聞き取れやしなかったが、その声は漂う精神情報の波に押し流されて、蟲遣いの心にまで届いた。


「――百点満点よ、ぐぅちゃん」

「先生……。ご教授いただき、ありがとうございました……」


 感謝の意を捧げると同時に、先生の魂はヴァーチャル=ネストから切り離された。

 そしてウィルスもまた、遠隔操作を行っていた宿主を失い、一瞬のうちに消滅した。


 ――星は、再び蒼く色を帯びる。

 ――生命が、システムと共存を試みる。

 ――大地の土色。空と海の蒼色。生命の息吹。それらが一つずつ、仮想現実の力によって蘇っていく。

 ――そして世界は、平均化された。

 ――……。


 全てが終わると、蟲遣いはその場に膝をつき、絶え間なく流れる涙を強く噛み締めた。


「蟲遣い様……」

「言うな重戦車……。俺はとんでもないことを、やらかしちまった……」


 この結末は、蟲遣いにとっては不本意である。先生とは別れたくない。願わくば、母と子として一生を添い遂げたかった。何者をも切り捨てず、手を取り合って平和を維持する。そんな目標を立てておきながらも、蟲遣いは最愛の人を最初に切り捨ててしまったのだ。

 まだまだ未熟。何事も、そううまくはいかず、蟲遣いは地面を殴って悔しがる。

 すると、シスタが見かねて声をかけてきた。


「先生は、切り捨てられただなんて思っていないはずです。きっと、ぐぅちゃんが強い大人になったことを、誇らしく思っているはずですよ」

「そうだろうか。俺は最後まで不良少年だった……。先生には迷惑をかけっぱなしだった……」

「そう思うのなら、この戒めを背負って、一緒に成長していきましょう。ね?」


 そう言って、シスタは蟲遣いの身体を優しく抱いた。


「あたしも、頑張ります……。世界は変えられると証明できた……。もう、こんな悲しい思いを繰り返すことはないでしょう……。だから一緒に……」


 シスタもまた、大粒の涙を落としていた。 


「戒め。世界の狂ったバグを操る者……。それが俺の宿命か……」


 蟲遣いは涙を拭い、シスタとともに立ち上がった。

 先生を殺したとしても、先生の意志までは切り捨てやしない。そのをも背負い、この世界のバランスを整えていくと、心に強く誓ったのなら――。


 そう誓った時、蟲遣いの横には、一匹の小さな害蟲がたかった。

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