終章  恋ではないなにか

 食料品店の近くまで移動してきた監視車両にもたれて、杏華は縁春に付き添っていた。特に何を話すわけでもなく、側にいた。

 二人の周りでは、軍警察がせわしなく働いている。

 縁春は救護員がくれた紙コップに入ったお茶を飲み、コンクリートの地面を見ていた。

 制服の人たちがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているのを見ながら、杏華は杜の姿を探す。

 ――おかしいな。中将もここ来るって鳳楊が言ってたのに。

 杏華が不安を感じ始めると、少し離れた場所に黒い軍用車が止まるのが見えた。中から、杜が降りてくる。

 杜は私服で、黒いスーツに灰色のタートルネックを着ていた。

 周りを見渡し縁春を見つけると、杜は息子の名前を呼んだ。

「縁春!」

「父さん?」

 縁春は顔を上げると、困惑した表情で父を見た。

 杜は捜査にいそしむ人びとを避けながら、縁春に駆け寄った。縁春も、しぶしぶ父の前に進み出た。


 杏華は親子の対面の邪魔にならないように、そそくさと監視車両の後ろに下がった。そして、そっと二人の様子をうかがった。

「いまさら父親面しに来たの?」

 縁春が、父との和解を恐れるように切り出した。縁春の顔は、青ざめていた。

「お前が私を父と認めないならそれでもかまわない。が、私はお前を息子として想い続けている」

 杜は落ち着いついているように見えるが、声が少し震えていた。

「俺もバカじゃないから、わかってるよ。でも俺はガキだから、父さんを許せないんだ。たとえ今日が感動的でもね」

 縁春は杜をにらみ、精一杯強がる。

「お前がどう思うにせよ、私はいま幸せだ。お前がこうして無事に戻ってきたのだから」

 杜は、縁春のほおの返り血を手でぬぐった。そのまなざしは非常に優しくて、赤茶の瞳はいつもと違ってあたたかい色に見えた。

 とまどうようにそっぽをむいた縁春のほおを、一筋の涙が流れる。

「……親はずるい。一方的だ」

 縁春の言葉に杜は何も言わなかった。二人はお互いに向き合ったまま、黙りこんだ。

 親子二人のわだかまりが少しだけとけるのを見て、杏華は満足げに微笑えんだ。


「杏華は中将のそばに、行かなくていいのー?」

 ふと気づくと、隣に鳳楊が立っていた。

 亜麻色の髪を夜風にゆらして、にやにやしている。

「いいも悪いも、私の役目は終わったじゃん」

 杏華が鳳楊の意図がわからず言葉を返すと、鳳楊が顔を近づけささやいた。

「でも杏華は中将のこと、好きなんでしょー?」

「はぁ? なんでそうなるの!?」

 理解しがたい話の展開に、杏華は思わず大声を出してしまった。しかし、鳳楊はおかまいなしだ。

「別に隠さなくていいよ。僕にはわかってるんだから。その瞳は恋する女子のものだって」

「これは恋愛じゃなくて、誠意とかだから!」

 杏華は全力で否定した。照れ隠しではなく、本心からの言葉だったが、鳳楊は聞く耳を持たない。

「杏華はかわいそうな女の子だなー。恋を恋と認識できなくらい、男女の愛を知らないんだねぇ」

 前髪をかき上げ、鳳楊は整った横顔で杏華を馬鹿にした。

「かわいそうな奴とは何よ!」

 杏華が鳳楊を小突こうと近づくと、鳳楊はふわりと後ろに下がった。

「中将は面倒くさい人みたいだけど、がんばってね」

 鳳楊は杏華にひらひらと手を振ると、スキップで立ち去っていく。

「ちょっと鳳楊! 勘違いしたまま帰らないでよね!」

 杏華は、制服の人びとに紛れ離れていく鳳楊に向って叫んだ。

 朝が近づき、東から空が白んでゆく。妹星の光も周りの明るさに薄くなっていた。


「胡少尉!」

 後ろから低く柔らかい声が杏華を呼んだ。杜だ。

 杏華は慌てて振り向くと、杜が少し遠くに立っていた。うつむく縁春の手を握り、微笑んでいる。

 杜は、杏華に力強く呼びかけた。

「貴官の健闘に感謝する!」

「ありがとうございます、中将!」

 杏華は思いっきりの笑顔で敬礼した。初めて見た杜の幸せそうな顔に、胸がいっぱいになる。

 ――そう、私はこの言葉だけで満足なんだ。

 杏華は心の中でつぶやいた。

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殲滅中将と軍国の乙女 名瀬口にぼし @poemin

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