第8話 フォードの入国 4


 デモンストレーションが功を奏し、軍の面々はフォードの実力を確信しただけではなく、魔導機と闘うということの恐ろしさを、改めて思い知ったようだった。

 数ヶ月に行われるであろう、南北戦争。アメリアが仕向けてくる戦略魔導機は、あんな生易しいものでは断じて無いはずだ。

 フォードという魔導機技師が自分たちの味方に付こうと、自分も兵士の一人として、その戦火の渦中に挑まなければならない。

 そう遠くない内に、魔導機は敵となって襲いかかってくる。揺るぎない事実とその恐ろしさを認識し、焦燥感が男たちを突き動かすのだ。

 そこには、魔導機に正面きって立ち向かい見事勝利を収めた、女隊長の雄志に酔いしれているという事実も、少なからずあるだろう。

 覚悟を改めて心に刻み、それからの訓練は、どこか緊張感を増しているようにも見えた。



 ――その夜。


「本当に、もうあんな無茶はしないでよね」

「何を言う。無茶をするのが兵士の仕事だ。戦争も控えているというのに、あのぐらいで臆していてどうする」

「でも……サリーが大怪我したらって思うと、僕……」

「……まったく、クリムはかわいいなぁ」

「うぁ!? だ、抱きつくのはナシだってば!」


 クリムの慌てるような声に、水の跳ねる音が重なる。

 二人の周囲は蒸気が立ちこめていて、視界は不明瞭だ。

 白く曇る湯気の中、日に焼けた肌色が踊り、逃げる小さな体をからめ取るように抱きしめた。


「全く、何を恥ずかしがることがあるんだ。昔は君の方から入りたがっていたというのに」

「そ、それはずっと子供の頃の話で……! ボク、もう12歳だよ?」

「私からすれば、まだまだ子供さ。甘えられるうちに甘えておかないと、後悔するよ?」

「……」

「な? 私も寂しかったんだぞ。二人の時ぐらい、こうして抱きつかせてくれ」


 優しい言葉で巧く丸め込み、一糸纏わないサリーが、同じく裸のクリムを背中から抱き寄せる。

 基本的に男ばかりの兵舎。この時間の浴場は、ほぼサリーの貸し切り状態なのだ。

 人目を気にしない唯一と言っていい、湯気に包まれた密かな時間。サリーは思う存分、クリムとの触れ合いを満喫していた。


 ベナントが一つの国であった頃。クリムが生まれる前から、サリーは20に満たない年で既に王宮の近衛兵となり、確かな地位と信頼を確立していた。

 王家の護衛につくことも多く、やがて女性ということもあってか、クリムの世話役を任されることが増えていった。

 元々小国であり、何でも自由にできるほどの富はない。サリーは乳母代わりとして頼られ、人のいい彼女も快くその扱いを承諾した。

 クリムの身の回りの世話を始め、時には指導の鞭を振るい、あるいは嗜みとして共に剣を振った。

 クリムもそんなサリーにこよなく懐き、風呂でも寝るときでも、四六時中サリーと共にいた。王宮でも若いサリーは、母のようでいて、自分を一番に考えてくれる姉のような存在だったのだ。

 まるで家族のような二人の睦まじい光景は、ベナントの王宮でも癒しの象徴のようであった。


 だがそれも、今は昔の話。

 ……クリムとしては、そういう風にしたいのだが。


「あの、サリー。さすがに一緒にお風呂に入るのは、そろそろ卒業しない? 皆の目もあるんだしさ」

「何を言うんだ。今更恥ずかしがることもないだろう?」

「いや、あの……今だからこそ、恥ずかしいんだけど」


 サリーの大人の体に抱かれながら、クリムは気まずそうに体をよじらせる。

 兵舎の隅の方に作られた浴場は、満点の星空が覗ける露天風呂だ。訓練で疲弊した心と体を癒すために広く設計されていて、積みあげられた石は温泉の成分の影響で角が取れて滑らかになっている。

 兵士の皆が愛する憩いの場を、サリーはクリムと一緒に独占していた。


 魔導機を地に伏せさせるほどの肉体を持っていながら、サリーの体は女としての柔らかさと瑞々しさがあって、強靱な筋肉を持つ腕も肌はしっとりと柔らかく、クリムの背中には風船のように大きな二つの袋が、圧倒的な存在感を放っている。

 小柄なクリムの体はサリーの股にすっぽりと収まってしまい、それを良いことに、サリーは自らの足を交差させ、クリムの体を羽交い締めのように包み込んでしまう。

 しなやかな太股がクリムの足を絡め取り、肌と肌のこすれるむずがゆい感触が、クリムを何ともいえない居心地の悪さに包み込む。

 しかし身じろぎをしようものなら、背中に当たる柔らかい二つのモノが、挙動に併せてふるふると水餅のように形を変え、クリムの理性を根こそぎ奪いにかかる。


「さ、サリー! ちょ、くっつきすぎ……! む、胸がっ」

「胸? ああそうだな、クリムは昔から好きだったな。五歳頃の時なんて、何かあると自分から私のベッドに来て吸――」

「わー! わぁぁぁぁーーーー!!」


 何より恐ろしいのが、何をしても平然とスルーする、サリーの神経の図太さだ。魔導機を前にして動じない剛胆さは、ここにも脈々と引き継がれていた。

 子供扱いをやめない……というよりは、子供の時の接し方が定着して外れないのだ。悪気も羞恥もなく、純粋に彼との接し方はこうである、と認識してしまっている。

 否応なく晒される色気と愛情は、全て無意識かつ無自覚のものであり、クリムが感じるのは、むしろ女として認識してしまうことへの申し訳なさだ。

 ちゃぷっと湯が跳ねる音がして、サリーは更にクリムを抱き寄せる。胸元に添えられる指先の感触は、先ほど魔導機を制圧したとは思えないほどに優しく、慈愛に溢れている。

 髪が触れるほどの至近距離で、擽るように囁かれる。


「なあに、遮るものは誰もいないんだ。今ぐらい、いっそ蕩けてしまう程に、私に身を任せていいんだぞ?」

「ぇう……そ、その」


 湿っぽい吐息が赤くなった耳を撫で、立てた指が薄い胸板をいじらしく這う。

 ぞくぞくと背筋を駆け上がる感情の奔流に、クリムの自立意識は湯がかれたように蕩けていく。体から力が抜け、ただ夢見のまどろみのような心地よい感触に、身も心も委ねて――



「いやぁー、絶景絶景。ガキのくせにやるじゃねえか、クリム」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

「やんっ」


 全く予想外の声が飛んできて、クリムは心臓が飛び出すほどの絶叫を上げて、脱兎の如くサリーの拘束から抜け出した。

 頭から湯船に飛び込み、勢いよく振り向けば、そこには最早見慣れた、あの男のしたり顔。


「フォフォフォフォードさん!? な、なんでここに!?」

「なんだ、歓迎するって言っておいて風呂はナシか? こっちには絶世の美女もいるっていうのに」

「ふふっ。何気ない言葉でも褒めることを忘れない、あなたのそこが素晴らしいと思いますよ、フォード様」

「やめろよ。美しいお前がもっと雅になるというなら、俺は何も惜しんだりはしないさ、ラクシュミー」

「うわぁぁぁぁぁ!?」


 またしても叫んでしまう。叫ばずにはいられなかった。

 フォードの後ろからしゃらりと現れたラクシュミーは、当然のように何も身につけていないからだ。

 引き締まったサリーの体も素晴らしいものだが、ラクシュミーの美しさは度を超えている。ちらりと見えた一瞬で、瞳が限界を超えて見開かれ、痛いくらいの刺激が突き刺さった。

 サリーの体はまだ見慣れてはいる。だがラクシュミーは、まともな男は直視さえ危うい。完膚無きまでに完璧。眩しすぎる光に目を焼かれるような、そんな破壊的な美しさなのだ。

 クリムはもう一度勢いよく湯船に頭を突っ込み、そのまま端の方まで潜水すると、小魚のように岩影に身を隠す。


「なんで!? なんで二人とも来てるんですか!? よりによってこんな最悪のタイミングで!」

「ああ、私が呼んだんだ」

「サリー!?」

「親睦を深めるには、腹を割って話すのが一番だ。それには、互いに全てをさらけ出した裸の付き合いが最適だろう?」

「なんでそんな筋肉と銃弾しか頭にないような軍部の男たちの指導方式を採用しちゃうの!?」

「……何か変だったかな、ヘイミッシュ殿?」

「いいや? ガキには刺激が強すぎるってだけさ……いやー悪いな! ウチの嫁が美しすぎるせいで!」


 からかうように笑い、ラクシュミーがくすくすと微笑む。クリムは岩で視界を隠し、動けずにいた。

 体はこのお湯とサリーの体温ででのぼせるほど熱くなっているのに、意識だけは怖いほど醒めきって、顔からは血の気が抜けている。

 サリーの体に触れるだけでも相当な我慢を要したのに……というか、崩落一歩手前まで陥ったのに。もう一度ラクシュミーの裸体を見れば、クリムはもうまともに会話に混じる自信はない。


「サリー様。先ほどは見事でした。まさかフォード様の魔導機が倒れる所を見るとは、夢にも思いませんでした」

「ありがとう。しかし、ラクシュミー殿も……一目見たときから美しいとは思っていましたが、これまた随分と……」

「うふふ。私はフォード様の愛の結晶のようなものですから」


 背中から聞こえる女性二人の会話が、妙に生々しい。クリムの脳裏には女性二人の裸が焼き付き、否応なしに心臓が高鳴ってしまう。体中がむず痒いような、そんなムズムズとした緊張感で居心地の悪さが半端ではない。


「サリーも魅力的だとは思うぞ? ラクシュミーには遠く及ばないとしても、やはり鍛えてる女性はいいもんだ!」


 なぜ彼は、そこに平然と参入できるのだろう。

 そしてサリーはなぜ平然と前を隠しもしないのだろう。


「この湯、源泉か?」

「ああ。海底火山がこの近くまで通っているみたいでね、この辺りはよく温泉が掘れるんだ」

「確かに、気持ちがいいですねえ。肌も艶やかになっていくようで……」

「喜んでもらえて何よりだ。私が女らしくいられるのも、きっとこの湯のおかげかな」

「謙遜しなくても、十分美しいさ。クリムが鼻の下伸ばすのも分かる」

「伸ばしてない!!」

「はは……褒めても何もでないぞ? 魔導機技師殿」


 スッ、と。その言葉によって、辺りの空気が僅かに冷たくなった。

 互いに笑いあい、漏れなく全員が全裸。一名を除き、隠しも照れもしない。

 何か大事な観念が崩壊したような空間で、比較的真面目な話が幕を開ける。


「遠方からはるばるお越しいただいて、その上魔導機の生成まで見せて頂いた。ろくな歓迎もできずに恐縮だが……そろそろ契約の話に入ろうか?」

「だな。その前に確認したいんだが……いの一番に案内されたのは駐屯基地で、交渉の場にはその隊長が出向く。アンタが南ベナントの権威者ってことでいいのか?」

「最も立場が高いのはクリムだよ。彼が南ベナントの長だ」


 そこから説明しなければいけないな。と、サリーは湯船から体を持ち上げ、岩縁に腰掛けた。


「南ベナントの独立の主体となったのは軍部だ。王家は皆ベナントの傀儡となる道を選んでいる……未だ若く、汚れなき誇りを持った、クリムを除いてな」

「じゃあ、言ってしまえばこれは、国民の暴動か?」

「あえて名乗るなら、私たちはレジスタンスと呼ばれるだろうね」

「ふぅん……王家のそれ自体は、悪い選択じゃあないぞ。強い国の傘下に入るのだって、簡単なことじゃない」

「理解している。だが、恥ずべき行為だ。これまでの数年で、国としての威厳は確実に失われた」

「だから、反旗を翻したのか? 国としての利益を捨てて?」

「発展はいずれする。緩やかでも、確実にな。大事なのは、それを私たちが誇りにできるかだ」

「……合理的じゃないな」

「百も承知だよ」


 ガス灯の明かりが、サリーの穏やかながら厳しい笑みを照らし出す。

 フォードが訝しげに眉を潜め、僅かに髭の伸びた自分の顎をさする。

 サリーの言葉に、一切の迷いはなかった。


「このままアメリアの庇護下にあれば、ベナントは数年で確実に強大になるだろう。魔導教会も交渉の場に出向くだろうし、魔導機だって普及するだろう……だがその結果生まれるのは、ベナントという交易拠点だ。アメリアのな」

「国家であることが、そんなに大事か?」

「流れの君には分からないだろう。今のベナントは家畜と同じさ。発展という餌を喰らい、ブクブクと肥え太っていくだけの、低俗な豚と同じだ。それを良しとしない者たちが……現に国を分かつほどの大多数が、クリムを象徴とした、ベナントの誇りの元に集まった」


 フォードは横目で、未だ背中を見せたままのクリムを見る。

 小さな背中だ。だが、王家として、誇りの象徴として立つには、この幼さと眩しいほどの誠実さが必要なのかもしれない。


 だが、それにしても幼すぎる。

 この王族も……それに追従する、国の魂を語るこの集団も。


「厳しいぞ」

「分かっているさ」

「いいや、分かっていない。お前たちは、いるかも分からない流れの魔導機技師を頼りにするほど、向こう見ずで無鉄砲だ。万が一俺がいなかったら……戦争で繰り広げられたのは、北部による一方的な虐殺だぞ」


 糾弾するような言葉、は湯気が満たす空間に静かに響いた。

 押し黙るサリーは、冷静に問いかけた。


「確かに。私たちは魔導機という物を知らない。そこは愚鈍だった。認めよう……だからこそ、ヘイミッシュ殿がこうして来てくれて、感謝している。本当に、ありがたい」


 毅然とそう言い、サリーは静かに頭を下げた。

 一糸纏わぬ姿での、誠実で真っ直ぐな謝辞。

 よせ、という冷ややかな言葉で頭を持ち上げ、サリーは再び問いかける。


「今回、戦略魔導機というものを初めて見たのだが、実際の戦争はどうなんだ? 敵は、先ほどのノームのような奴らか?」

「いや。大体多くても二、三体さ……雲にも届くほどの、とてつもない奴らがな」


 その言葉に、サリーは微かに息を飲む。


「誤解を防ぐために言っておくと、ノームは特別中の特別だ。通常の倍以上に綿密な構築式を用意していた。本来、稼働のための魔法陣一つ描くのにも、想像を超える膨大な時間を要する」

「だから、強大な一体に、全身全霊を注ぐというわけか」

「おかげで最近じゃ、戦争は『神々の戦い』なんて揶揄されている」


 戦争は変わった。神々の戦いという表現が、この言葉を如実に体現している。

 仮に魔導機技師達が統率と倫理観を失い暴走を始めたのであれば、世界は次の日の出を見ることなく崩壊してしまうだろう。

 魔導機技師が教会への加盟を強く要求され、許可のない製造が制限されるのも、大きすぎる力を抑え、世界の秩序を守る使命に起因する。

 一つ一つの戦争にしてもそうだ。混戦と度を超えた被害を防ぐために、技師を派遣する魔導教会は、技師の派遣に最新の注意を払っている。


「おまけにあいつ等はみんな、頑固者の芸術思考だからな。国と国との戦いを舞台として、魔導機技師共は、自分の作品の完成度を競い合うのさ」


 求められる適切な戦力など関係ない。ただただ強く。絢爛に。それが魔導機技師の耐え無き指標。

 そうしてできた決戦魔導機は、歴史が進む度に常識を塗り替えていく。舞台となる戦闘の情景も、その度に苛烈に、手に負えなくなる。

 互いの魔導機技師が威信を懸けた魔導機が、各々の誇りをかけてぶつかり合う。


 ……凄まじい衝撃と、災害に匹敵する被害を被りながら。


「戦略魔導機のルネサンスさ。いかに強いか。いかに独創的で、いかに優雅で神々しいか。奴らはそんなことしか見ちゃいない」

「……そして君は、彼らに勝てるのか?」

「愚問だな。俺をあんな馬鹿共と一緒にするな」


 失笑し、フォードは怪しく唇を吊り上げる。

 濁った碧色の瞳に、サリーの誇り高き潜在意識は、瞬間的に彼を『敵』だと認識してしまった。

 視線を刃に変え、鋭く瞳を貫く。


「君のそれは、誇りを携える男の目ではないな」

「おや、誇りで飯が食えるのか?」


 喉奥に張り付くようなフォードの嘲笑は、静かに耳を立てていたクリムの体を、ぐっと強ばらせた。

 サリーの澄んだ瞳を、濁った碧が静かに覗き込む。


 互いににらみ合い、真意を問う。

 しばらくの静寂の後、サリーが静かに瞳を伏せた。


「そうだな。どう思われようと、互いにやるべきことをやるだけだ」

「ああ。所詮その程度の関係さ。そちらも、余計なちょっかいはナシで頼む」


 一触即発の空気が和らいで、クリムは背中を向けたまま、ほっと溜めていた息を吐き出した。


「もの凄い空気になってるけど……裸なんだよなぁ、全員」


 口に出すと、思わず笑ってしまいそうになる。

 そんなクリムを端に見ながら、フォードは長話で冷えた体を湯船に浸した。

 装備も衣服も全てを取り払ったこの環境では、身に纏うのは自らの理念以外にはない。開放的な空間も相まって、必然的に言葉には『我』が強くでる。

 細々した詳細は於いておいて、意外と、交渉に向いた環境なのかもしれない。


「さて。それじゃ、金額やら期間やらの具体的な話に移るとするか」

「ああ……」

「どうした? 切り替えるのは苦手か?」

「いや、なんでもない」


 緊迫した調子で返事をし、サリーもまた、湯船に肩まで沈める。

 粟だった肌に背筋の震えを、温かい湯で解していく。


「クリム、もういいぞ。全員肩まで浸かってるからな」

「はぁ、それなら……って! 何ラクシュミーさんの胸に手を回してるんですか!?」

「双方の合意の上だ!」

「モラールって言葉知ってます!? ああもう、腕を回さないで! こねるな! ラクシュミーさんも、ちょっとは制してくださいよ!」


 慌ただしいクリムの陰に隠れるようにして、湯船の中で腕を抱く。

 サリーの体は今、こめかみに銃口を突きつけられた時のような過度の緊張に、恐れをなしていた。

 フォードを視線を交えたあの一瞬。ただサリーのみが、獣と相対したような恐ろしい感覚に体を硬直させた。


(……さっきのは、何だ? 殺気か? この私が、竦み上がるほどの?)


 自分の感覚が信じられないままに、硬直した筋肉は温かい源泉に解されていく。

 すでに消えつつあった謎の恐怖を、サリーは頭を振ることで完全に断ち切った。こんな状況だ。命を落とすような事態なんて、起こりえない。捨て置いていい感情だ。

 そうそうに持ち直し、サリーは先ほどと同じ誠実な目を、鼻の下を伸ばしまくりのフォードに向けた。


「実際の話、完成にはどのくらいかかりそうなんだ?」

「ん? そうだな……限界まで早く見積もって、半年といった所かな。ひとまず、設計図を制作しないと話にならない」

「製図から……当然ではあるんですけど、時間は大丈夫なんですか?」

「俺を舐めるなよ、クリム。舐めるのはサリーの乳だけに」

「忘れてくれませんか!? っていうか聞いてたんですね! バッチリと!」


 まあともかく、と、フォードはラクシュミーに更に体を寄せて、手に持つ大きな果実の先端を摘みながら言った。


「まずは、何ができるかを確認しなければならない」

「やんっ」

「アメリアのようなデカい後ろ盾がない以上、資源も資金も工房も、全て自国にあるもので賄うしかない。そうなると、自意識過剰な教会の魔導機技師みたく、闇雲に無茶な設計図を描くわけにもいかないんだ」

「んっ……くぅっ」

「勝利を念頭に置くにしても、ともかく足下を見た設計を行わなきゃ、完成さえできない。俺たちはそこで北部より出遅れている。配られたカードだけで、最善の手を打たなければいけないのさ」

「はぁ……んんっ!?」

「気が散るーーーーーーー!!」


 とうとう我慢の限界に達したクリムが、叫びと一緒に勢いよく立ち上がった。


「オイ、クリム……、……たつなよ」

「そういう意味深な間は止めてください! 戦争が目前まで控えているんですよ!? なのに何で僕らは全裸なんですか!?」

「まあ、そりゃ風呂だからな」

「はぁ、はふぅ……ふふ、危ないところでしたよ、フォード様」

「まだ続けてもいいんだぞ? 俺たちの戦いは、涸れるまで続く消耗戦だからな」

「いやですわ。貴方が私を懐柔して、手放してくれないというのに……」

「~~~~ッああああもうっ。何なんだよ……!」


 ラクシュミーの火照って荒くなった吐息と緩む表情に、図らずもどきりと胸が高鳴ってしまう。それが無性に気恥ずかしくて、クリムは思い切り温泉に頭から潜り込む。

 その様子を、我が子を見るような微笑ましい顔で眺めてから、サリーは努めてまじめな顔のフォードに向き直る。


「急かすつもりはないが、あまり時間に余裕は無いと思うぞ……既に、北に潜り込ませてた密偵から情報が入っている」


 温度を下げたサリーの言葉に、フォードが僅かに眉を持ち上げた。


「っていうと……」

「そのものズバリ、だ。北ベナントが、教会より魔導機技師を雇用した。二週間前の情報だ」

「チッ。そういう大事なことは、もっと早く言ってくれ」


 告げられた情報の鮮度に、フォードは眉を押さえた。


「二週間……正直、かなり出遅れてるな。おおまかな設計は既に完了して……いや、ひょっとすると既に着工している可能性だってある」


 先ほどまでのデレデレに緩みきった姿はなりを潜め、顎に手を添え冷静に敵の情勢を探るフォードの表情は、魔導機技師と呼ぶに相応しい厳格を感じさせる。


「他に何か情報はないのか? 完成図とか、相手の工房の状況とか」

「あいにく、全て内々に事が運んでいて中々手が出せない。戦略魔導機の製造は、存在が分かり切っているとはいえ極秘作戦だからな……だが、技師の正体だけは捉えた」

「誰だ?」

「不幸なことに、超一流の魔導機技師さ……何の因果か、ベナントとちょっとした縁のある人物だ」


 その言葉に、クリムが顔を持ち上げてサリーを見る。

 クリムも思い当たる。ベナントという国の歴史において、魔導機技師という存在が現れたのはただの一度きり。

 大枚をはたいて購入した、ベナントが保有する魔導機、その製作者。

 クリムは彼女の作品を利用することで、1500キロの道のりを走り抜けてフォードを見つけだしたのだ。


「類稀なる強力な魔力を有し、また鉄の精製技術において、他に比肩する者のいない優れた技術を誇る。うら若き乙女でありながら、悉く他を、あるいは常識を超越する才女」


 サリーが流麗に紡ぐ言葉に、フォードの顔から表情が消える。

 まさか、というような驚きを讃えた顔は、その名前を聞いたときに確信に変わった。


「ヘレナ・アルフィム・ロールスロイス。その凄まじい破壊力から『鉄の太陽』とも称される、教会でも指折りの戦略魔導機技師さ」


 ざぱんっ、と湯をかき分けて立ち上がる。

 水をかき分ける音が、周囲を静寂に変えた。フォードの精悍な体が、吊り下げられた明かりに照らされて光る。

 クリムが見上げたフォードの顔は……どう表現していいか分からない。


「……なるほどねぇ」

「あらあら。なんの因果なんでしょうか」


 側で控えるラクシュミーだけが、その意向を汲み取り、薄く笑って頬に手を添える。

 フォードが浮かべていたのは、あるいは怒りのような、あるいは喜びのような、そんな感情が入り交じった……鬼気迫る表情。

 白い歯を見せて、魔導機技師は嗤う。

 踵を返し、フォードは湯船から出た。火照って朱に染まった体を夜風に晒し、クリムを睥睨する。


「クリム、行くぞ」

「行くって……どこへ?」

「北だ」


 他に何があると言わんばかりに、フォードは断絶した国境の向こうを指さした。


「北……え? 北ベナント!? い、今からですか!?」

「ああ。ちょっと、懐かしい顔に会いたくてな」


 あるいはその因果を、心から楽しんでいるようでもあった。


「俺は受けた恩も、被った屈辱も絶対に忘れない……引導を渡しに行くぞ。準備しろ」


 タオルを肩から被ると、フォードは薄ら寒い笑みを浮かべて、満天の夜空を仰ぎ見た。

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ヘイミッシュ・フォードの魔導機戦略 brava @brava

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