019・エピローグ


転声てんせい能力?」


「はい、とりあえずそう呼称することにしました」


 首を傾げて尋ねる七海と、それに真剣な顔で答える空羽。


 二人は都内某所の歩道を並んで歩いている。『ベリーベリーベリー』の最終回、そのアフレコがおこなわれるレコーディングスタジオへと向かう途中なのだ。


 七海の服装は、演じるキャラクターの蒼井瞳が女子中学生なため、私立明声学園高等部の制服である。左側頭部にはデカラビアの器である五芒星の髪飾り、そして、全身の至る所に包帯、絆創膏といった、衛生材料の姿が見て取れた。


 一方の空羽は学生服姿であり。その左肩には黒いカラス、アモンがとまっている。


 死闘から一夜明け、ついに迎えたアフレコ当日。安静にしたほうがいいと心配する空羽とデカラビアの言葉に従い、学校こそ休んだ七海であったが、アフレコだけは休む訳にはいかないと、静止を振り切って家を出た。そんな七海を心配し、付き添いを買って出た空羽。それにアモン、デカラビアが同行して、今に至る。


 約束の期日である今日。アモンが正式な形で七海の生存に賛成し、その意思を朝一で反対派の二柱に申告。多数決は賛成三、反対二で決着し、七海の生存が確定した。


 イナゴとの戦闘中に頭を強打し、気絶した芽春と、約束をすっぽかしてしまった悠里については、アバドンが路地裏に残した破壊の爪痕を利用し、なんとか誤魔化している。


『東京の路地裏で爆発物!』といった具合に、歪められた形でテレビにも取り上げられ、巷で話題の爆発事件。この事件に不幸にも巻き込まれ、七海は大怪我、芽春は気絶。といった具合である。


 かなり無理のある話だったが、七海はこれを持ち前の演技力でカバー。どうにかこうにか押し通すことに成功、ことなきを得た。


 稲葉樹梨については、空羽が話そうとしないので七海は詳しく知らない。おおやけには飛び降り自殺という形で落ち着きそうなことは、今朝のニュースで確認している。


 こうして、七海は激動の三日間を見事生き抜き、仕事と友人、そして、声優としての誇りと使命を守ることに成功したのであった。


 生きている。明日がやってくる。そんな当たり前の幸せを噛みしめながら、七海はレコーディングスタジオへ続く道を、空羽と共に歩いていた。


「まるで生まれ変わったかのように、声優として担当したキャラクターに変身する能力。だから転声。転ずる声と書いて、転声です。どうでしょう?」


「転声能力……うん、いいじゃないですか。気に入りました。私もそう呼ぶことにしますね」


「私も……いいと思う……天性の声優でもある七海に……ぴったり……」


 七海の左側頭部、五芒星の髪飾りから、普通の人間には聞こえない声が聞こえた。デカラビアである。


「あ、デカラビアさん。調子はどうですか?」


「ん……完治にはもうちょっとかかる……かな……」


 いつも以上に小さく、弱々しい声だった。イナゴの毒が未だに抜けきっていないのである。


「無理はしないでくださいね?」


「わかってる……安静にして……早く毒を全部出す……そうしないと……七海との繋がりを作れないし……」


「う……私、やっぱりデカラビアさんとも、肉体の一部を交換し合わないとダメですか?」


「当然だ。七海の転声能力は確かに強力だが、燃費が悪すぎる。それを私だけで賄うのは、正直辛い」


 真剣な声で言うアモン。想力の供給源であり、いまだに生殺与奪の権利を握られている相手にこう言われては、七海としては「はい」と同意するしかない。


 またあれを飲むのか——と、七海は意気消沈した。


「まあ、想力師として成長していけば、少しは消費量を減らせるはずです。具現化するイメージに対して放射する想力。その必要最低値が、自然とわかるようになりますから。精進あるのみですよ、七海さん」


「うぅ……先は長そうだな~」


「まあ、時間は沢山あるんです。ゆっくりいきましょう」


「そうですね。空羽さんたちとは長いつき合いになりそうですし」


 ここで七海は思い出す。今朝、アモンが七海に対して突きつけた、生かしておくことに賛成するための条件を。


 アモン曰く——


「ソロモン七十二柱探し、お前も手伝え」


 とのことだ。


 共に過ごした三日間で薄々勘づいていたことではあったが、空羽たちは何かしらの理由があって、ソロモン七十二柱を探し、集めているらしい。生かしといてやるからそれを手伝えと、アモンは七海に要求してきたのだ。


 使える人間は利用する。これが悪魔の鉄則だ。アモンに使えると認められた七海は、今後骨の髄まで利用されるに違いない。


 正直、不安はある。


 空羽や悪魔たちとの共同生活はいまだに慣れないし、空羽との半同棲が世間にばれでもしたら、ファンサイト炎上どころでは済まないだろう。手伝うことになったソロモン七十二柱探しとやらも一筋縄でいかないことは目に見えている。ソルトの戦闘力を目にしてから態度を一変させたアモンを見るに、今後の活動には何らかの戦闘行為が付随するのは明らかだ。そして、昨日のような突発的想力事件も、一生七海について回るに違いない。


 見事なまでに不安要素だらけだ。そんな未来が、御柱七海を待っている。


 でも、大丈夫。


 なぜなら七海は一人じゃない。


 七海の中にはソルトという仲間がいる。大切な友人がいる。


 いまだ目を覚まさない他の仲間たちも、ソルトと同じように、いつか必ず目を覚ます。


 だから、御柱七海は挫けない。不安だらけの明日だけれど、希望があれば歩いていける。


 それに、空羽やアモン、デカラビアのことが嫌いかと聞かれれば、そうでもない。ソルトと再会できたのは彼らのおかげだ。迷惑も感じているが、同じくらい恩義を感じてもいる。思考を切り替えて楽しもう。これからも続く、現実と空想が入り混じる生活を。


「よろしくご指導ご鞭撻のほどをお願いいたします」


「ええ、いろいろ教えてあげますよ。想力のこと、想力体のこと、戦いのことに、世界の裏側。生き残る術に、想力師としての心構え。なんでも聞いてください」


 笑顔でこう言ってくれる空羽、七海もそれに笑顔で応じ、次いで口を開く。


「それじゃあ、早速一つお聞ききしますね」


「なんでしょう?」


「空羽さんのご家族のことです。いい加減教えてくださいよ。契約の履行を求めます」


 七海は「等価交換の件、忘れた訳じゃありませんよ~」と、視線で訴えながら言う。すると、笑顔を困った顔に変えた空羽が、次のように言葉を返してきた。


「あ~、はい、それはもちろんお話しします。ですが、もう少し後にしましょう。今夜は七海さんの歓迎会ですからね。料理が不味くなりそうな重苦しい話は抜きということで」


「むぅ~」


「心配しないでください! 後日! 後日必ずお話ししますから! 七海さんは、もう大切な仲間ですからね。だから、知っておいてほしい。僕の家族のことを。僕の戦う理由を」


 申し訳なさそうに、そして、どこか寂しそうな顔で紡がれた、空羽の言葉。この言葉に嘘はないと七海は感じた。間違いなく、彼の本心からの言葉である。


 その空羽の寂しそうな顔を見た瞬間、七海の心臓が大きく高鳴り、頬には赤みが差した。そして、顔が急速に熱を帯びていくのを七海は自覚する。


 この感情は知っている。声優として、幾度となく声に込めてきた感情だ。だが、ありのままの七海としては、初めての感情でもある。


 自己暗示で、アニメキャラにこの感情を抱いたことはある。


 映画の吹き替えで、外国の男優にこの感情を抱いたこともある。


 だが、違う。全然違う。


 殺意と同じである。今まで七海が声に込めてきたは、取るに足らない擬い物。


 これが——これが、本物の——


「ふふ」


「七海さん? どうかしましたか? 急に笑って?」


「いえ。どうやら私は、声優としてまた一歩成長できたようです。それが嬉しくて」


 命を張った甲斐があったというものだ。


「?」


「あ、付き添いはここまででいいですよ。もう見えてきましたから」


 七海は「どういう意味です?」と、首を傾げる空羽から視線を外し、見えてきたレコーディングスタジオを指差した。七海はそこで歩みを止め、空羽もまた立ち止まる。


「わかりました。では、僕はここで帰ります。頑張ってくださいね、七海さん。御馳走を用意して帰りを待っていますから」


「ふん。まあ、無事に終わることを祈っててやる。精々頑張るといい」


「心配ない……七海には……私がついてる……だから大丈夫……」


 空羽、アモン、デカラビアの順に、七海に向かって思い思いの声援を口にした。その声援に背中を押され、七海は再び歩き出す。


「はい、いってきます!」


 空羽、アモンと別れ、七海はデカラビアと共に、一路レコーディングスタジオを目指す。


 もう振り返らない。アフレコに集中だ!


「さてと、僕たちは買い物してから帰るよ。今日はお祝いだ」


「そうだな。皆と共に祝うとしよう。世界最強の声優と、七十三番目の悪魔の誕生を」


「あ、いいねそれ。名前が七海だし、ぴったりだ」


 背後から聞こえてくる突っ込みどころ満載の会話に、先程の決意を忘れて振り返りそうになる七海だったが、歩みは止めず前に進む。


「コードネーム・七十三番目の悪魔……うん……いける……」


 左側頭部から聞こえてくるデカラビアの独白に、いけるってどこに!? と、胸中で叫びながらも、七海は更に歩みを進めた。


 ほどなくして——


「着いた」


 七海は、ついにレコーディングスタジオの前に辿り着く。


 今日ここで、アニメ『ベリーベリーベリー』最終回のアフレコがおこなわれる。


 そう、最終回だ。


 失った友人を取り戻すという七海の願いは、すでに叶った。だが、それでも最終回というのは、七海にとって特別な意味を持つ。


 これは儀式なのだ。


 七海の中で圧縮保存された自己暗示が、確固たる人格として新生するための、大切な儀式。


 それが、最終回アフレコだ。


 ここに辿り着くために、何度死線を潜り抜けたのだろう? と、七海は目頭を熱くした。そして、思う。


 これから、一つの物語が完成し、終わるのだ——と。


 どんな物語もいつかは終わる。それは仕方のないことだ。それが大好きな物語で、どんな終わり方であろうとも、その終わりを止めることは、七海にはできない。


 七海に、声優にできるのは、その終わりに花を添えること。それだけだ。


 ならばせめて、アニメという新時代の英雄譚の終わりに、飛び切りの花を添えるとしよう。


 さあ、物語の幕引きだ。


「声優・御柱七海。がんばります」


 七海はそう呟いた後、前に向かって足を踏み出した。






 御柱七海の声優譚・完

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御柱七海の声優譚 世界最強の声優はこうして生まれた 平平 祐 @heimennsekai3

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