018・ビターエンド派ですから

「うわ、すごい。ほんとに勝っちゃったよ」


 自身の体の上にソルトの体を具現化した七海が、巨大イナゴを真っ二つにする光景を、少し離れた場所で眺めていた空羽が、複雑そうな声で呟く。


「想力師としての基本知識、基礎トレーニング、その他もろもろすっ飛ばしてあの戦闘能力とは、正直呆れます。もう反則、チートの域ですね。想定外にもほどがある。あなたもそう思いませんか? 稲葉樹梨さん」


「くそ! 放せ! 放してよ!」


 空羽のすぐ横には、拘束され大の字となっている樹梨の姿があった。


 必死の形相で体を動かし、四肢に力を込める樹梨。しかし、空羽によって具現化された円形、半透明の拘束具は、空中で固定されており、樹梨がどれほど力を込めてもびくともしない。


 現在、空羽と樹梨は、とある高層マンションの屋上にいる。


 巨大イナゴをソルトに任せ、戦場から逃走した樹梨の後を追った空羽であったが、一人になった樹梨に空羽が苦戦するはずもなく、特筆するような戦闘、ドラマもないまま、あっさりと無力化。拘束に成功していた。


 即座に樹梨の意識を絶ち、戦いを終わらせてもよかったのだが、アニメキャラを自身の体の上に具現化、上書きするという、前例のない離れ業をやってのけた七海と、具現化されたソルトの力を確認するべく、巨大イナゴとの戦いをこの場で観戦していたのだ。


「放せ! 放せぇぇえぇ!」


 諦め悪く、喚き散らしながら体を動かし続ける樹梨。そんな彼女に対し、空羽は呆れるように溜息を吐いた。


 そのとき、高層マンションの上空を大きな影が通過する。


「ん?」


 空羽と樹梨は、示し合せたかのように顔を動かし、同時に影の正体を確かめる。直後、樹梨が表情を輝かせた。


「アバドン!」


 そう、空羽と樹梨の視線の先には、蝗の王アバドンの姿があった。高層マンションの上空で停止したアバドンは、空羽と樹梨のことを無感情な瞳で見下ろしている。


「アバドン! 早く私を助けて! 今すぐこのガキを殺すのよ!」


 声を張り上げて助けを求める樹梨。しかし、アバドンは動かない。無言のまま空中にとどまり、空羽と樹梨のことを見下ろすだけだ。


「アバドン?」


 一向に動こうとしないアバドン。そんなアバドンの名を、樹梨は訝しげに呼ぶ。


 すると——


「ふ、口惜しい」


 アバドンがようやく声を発した。そして、こう続ける。


「降って湧いた勝機に目を奪われ、攻勢に出た結果がこれとはな。当初の予定通り、守りに徹していれば、たとえ勝てなくとも……」


 言葉の途中、アバドンを構成する体節の節々から、突如として漆黒の炎が漏れ出す。


 漏れ出した漆黒の炎は、その勢いを徐々に増していき、ほどなくしてアバドンの全身を包み込んだ。そして、アバドンは漆黒の炎に身を焼かれながらも最後の力を振り絞り、自身の敗因を紡ぎ切る。


「負けることは……なかった……ものを……」


「ああ、初志を違えたお前の負けだ。蝗の王」


 アバドンの独白に答える形で、特徴のない声が響いた。そして、アバドンの体を内側から焼き破り、アモンがその姿を現す。


 アモンの全身は、太陽と見紛うほどに燃え盛っていた。全身から噴き出す黒き炎で光すら焼き尽くし、周囲を黒く染め上げている。


 地獄の太陽とでも言うべきその炎に全身を焼かれたアバドンは、細胞の一片までも焼失し、灰すら残さず完全消滅した。


「モード反転太陽神アモン・ラー


 切り札の名称を短く呟き、戦いの集結を宣言するアモン。大悪魔アモンが、堕天使アバドンを打倒した瞬間であった。


「そん……な……」


「お疲れ、アモン。苦戦したみたいだね」


 呆然自失といった様子の樹梨を尻目に、アモンに声をかける空羽。すると、アモンはつまらなそうに鼻を鳴らし、反転太陽神アモン・ラーを解除。鎧姿に戻ってから高層マンションの屋上に降り立ち、次のように声を発する。


「言い訳はしない。ああ、確かに苦戦した。蝗の王が私の変調を見抜き、攻勢に出てこなければ、勝てはしなかっただろう。皮肉な話だ。七海のおかげで勝つことができた」


 言葉の途中で空羽から視線をそらし、ソルトの姿をした七海へと視線を向けるアモン。そんなアモンのことを楽しげに見つめつつ、空羽が口を動かす。


「七海さんのおかげ、か。それはさて置き、さすがだねアモン。アバドンは、その源流を辿ればギリシャ神話の太陽神アポロンに行き着く。それを焼き殺しちゃうなんてさ」


「ふん。太陽を飲むことには慣れている」


「うおっと、想定外のとんでも発言が飛び出した。さすがはエジプトの太陽神を取り込んだ悪魔。言うことが違う」


 感心するように何度か頷く空羽。次いで、すぐ横の樹梨へと視線を向ける。


「さて、これであなたは想力の供給源を失いました。今のあなたは、普通の人間となんら変わりない」


 次の瞬間、空羽の右手に変化が起きた。黒い革製の手袋が瞬時に現れ、空羽の手を覆い尽くしたのである。そう、空羽が想力を行使したのだ。


 空羽は、手袋をした右手でポケットをまさぐり、そこから一枚の紙きれを取り出す。そして、その紙きれが樹梨に見えるように、彼女の眼前へと無遠慮に突きつけた。


 樹梨の視線に飛び込んできたのは、紙切れに印刷された、たった三文字の言葉。


 疲れた。


 この言葉が何を意味するのか悟ったのだろう。顔面を蒼白にし、目を見開いて空羽の顔を見つめる樹梨。そんな樹梨に対し、空羽は無表情で告げる。


「あなたみたいな人は、叩けば叩くだけ埃が出るものです」


「や……やだ……」


「なら、自殺の理由は、警察が適当にでっち上げてくれますよね?」


「いやだぁぁあぁぁあぁ!」


 口が裂けたかのような大口で樹梨が絶叫する最中、空羽はロングスカートのポケットに紙切れを押し込んだ。次いで拘束具を操作し、樹梨の体を屋上の外へと運ぶ。


 遥か下に、アスファルトで舗装された駐車場が見える。そんな場所に我が身を運ばれた樹梨は、両目から止めどなく涙を流し、空羽に懇願した。


「お願い! 許して! 許してください! なんでもしますからぁ!」


 せいぜい派手に死んでやる。確かにそう言っていた樹梨であったが、いざそのときになると、死への恐怖が間欠泉のごとく噴き出してきたようだ。人としての尊厳、そのすべてを放り出して、空羽に許しを請う。


 そんな樹梨に対し、空羽は何も答えない。


「そうだわ! 仲間! 私、あなたの仲間になってあげる! ネットカフェで聞いたわよ! あなた、何かしらの目的があって動いてるんでしょう!? それを手伝ってあげるから!」


 やはり、空羽は何も答えない。無言のまま樹梨へと右手を突き出す。その右手は、既に手袋に包まれてはいなかった。


「想力体は時間が経てば復活する! アバドンも、イナゴも、きっとあなたの力になるわ! ねぇ! それでいいでしょう!? よくあるじゃない!? 敵が仲間になってハッピーエンド!? それじゃ駄目なの!?」


「ハッピーエンド?」


 樹梨の『ハッピーエンド』という言葉に空羽が反応した。小首を傾げ、樹梨の様子を窺うような仕草を見せる。


 ようやく反応した空羽に、ほんのわずかだが表情を緩ませる樹梨。そして、空羽が反応を示した『ハッピーエンド』という言葉を、何度も何度も口にした。


「そう、ハッピーエンドよ! 皆大好きハッピーエンド! それでいいじゃない!? ねぇ、そうしましょう! ハッピーエンドで皆幸せ! ハッピーエンドで大団円! ハッピーエンドで——」


「ごめんなさい」


「え?」


「僕……」


 空羽はここで言葉を区切り、樹梨に向かって困ったような笑顔を浮かべた。そして、その笑顔を保持したまま、こう告げる。


「ビターエンド派ですから」


 言葉の終わりと共に、乾いた音が高層マンションの屋上に響いた。瞬間、樹梨の手足を空中に固定していた拘束具が、一斉に消失する。


 そして——


「い……いやぁぁあぁぁあぁあぁ!!」


 樹梨の体が重力に従って落下し、為す術なく地面へと落ちていく。一方の空羽は、もうこの場所に用はないとでも言いたげに踵を返し、口を開いた。


「デカラビア、想界を解除。アモン、七海さんと合流するよ」


「承知した」


 アモンを引き連れて、高層マンションの屋上を後にする空羽。直後、東京上空を占拠していた巨大魔法陣が音もなく掻き消え、想界が消失する。


 本物の東京と、そこで生活する住人たちが、何事もなかったかのように姿を現した。


 そして、その本物の東京に存在する、とある駐車場で——


「さようなら。稲葉樹梨さん」


 何かが潰れる、音がした。




     ◆




「ふむ……ふむふむ……」


 人気の少ない団地裏で、目の前にいるソルトを——正確に言えば、想力と多重人格を駆使し、身も心も魔法洋菓子職人ソルトへと化した七海を、値踏みでもするかのような視線で観察するアモン。


 一方のソルトはというと、アモンの視線に居心地悪そうにはしていたが、無言で値踏みに耐えていた。


「ほう……なるほど……」


 興味が尽きないのか、ソルトの観察を長々と続けるアモン。その時間は永遠に続きそうであったが、次の一言で唐突に終わりを迎えることになる。


「うん。使えるな」


 ソルトの口から「え?」という疑問の声が漏れると同時に、アモンは踵を返した。そして、楽しげに笑いつつ歩き出す。


「アモン、器に戻る前にデカラビアを回収してあげて。まだ毒で動けないはずだからさ」


 ソルトとアモンのやり取りを傍らで見守っていた空羽が、歩みを進めるアモンの背中に声をかけた。するとアモンは「承知した」と短く答えた後で、地面を強く蹴り、跳躍。彼方の空へと消えていった。


「あの、今のは?」


 アモンが消えていった方角を指差しながら尋ねるソルト。すると、空羽は少し弾んだ声でこう答える。


「認められたんですよ。あなたの、延いては七海さんの力が、アモンに」


「なら、七海は……」


「はい、アモンは七海さんを生かしておくことに賛成してくれるでしょう。これで賛成三、反対二ですので、もう大丈夫です。七海さんは助かります」


「よかった」


 ソルトは右手を胸に当て、心底ほっとした様子で深い息を吐く。


「これで、安心して七海の中に戻ることができます」


「もう消えちゃうんですか?」


 空羽が名残惜しげにこう言うと、ソルトは困ったように笑う。


「この体は七海のもの。そして私は、七海の別人格にすぎません。やはり、長く表に出るべきじゃない。想力については私も色々と気になりますが、空羽さんは七海と交流を持ち続けるのでしょう? なら、いずれ話す機会もあります。それに、正直疲れました。何せ、七海に呼ばれて目が覚めた途端、即戦闘でしたからね」


「そうですか。なら、次の機会を楽しみにしておきます」


「はい。では、私はこれにて。空羽さん、あまり私の友達を、七海を虐めないであげてくださいね?」


 この言葉と共に、ソルトの体が空気に溶けるように消え始めた。その下から、徐々に七海の体が現れる。そして、ソルトの体が完全に消失し、七海の姿が明確になった瞬間、力なく崩れ落ちた。


「七海さん!?」


 空羽は慌てて七海に駆け寄り、その体を抱き止める。


「七海さん!? 大丈夫ですか!? 七海さん!?」


「空羽……さん?」


「はい、僕です。よかった、意識はあるみたいですね」


「空羽さん……う、うう~」


 空羽の背中に両腕を回し、いきなり泣き始める七海。自身の腕の中で、大粒の涙を次々と零すその姿に、空羽は慌てふためいた。


「想定外の事態! でもなぜか嬉しくない!? ど、どどどうしました!? 体痛いですか!? 今すぐ病院に——」


「……えて……なかった……」


「え?」


「消えて……なかった……」


「あ……」


「ソルト、消えてなかった……私の中に……ずっといてくれたんだ……よかった……よかったよぉ……」


 空羽の胸に顔を埋め、安堵の言葉を紡ぎ続ける七海。消えたと思っていた友人。その無事を知り、喜びの涙を止めどなく流し続ける。


 空羽は、そんな七海の背中を優しく撫でた。


 何度も何度も、七海が泣き止むまで、撫で続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る