第八章 黄昏(タソガレ) 2 優梨
瑛は結局一ヶ月半の入院で退院することが出来た。
まだ少し歩くと痛いと言うが、特に後遺症もなさそうだった。
優梨はもうすっかり学校生活に戻っている。
二学期が始まってしばらく、
それも徐々にほとぼりが冷めてきて、瑛も無事に退院すると今までと変わらない生活に戻った。
ただ一つ、優梨に門限が出来たことだけを除いては。
さすがに、優梨の父も母も、放任主義を反省したようだ。今回の誘拐事件は白昼に起きた出来事であったので、門限があろうがなかろうが関係なかったと思うのだが、それでもさすがに門限がないままにしておくのはいけないと思ったのだろう。不本意だが、実際に迷惑をかけた身として、なくなく従った。門限は午後八時。高校生の門限としては妥当な時刻だろうか。しろとり学園の門限よりは早いのは残念だったが、瑛は自分の生活のためのアルバイトで遅くなっているので、アルバイトをしていなくてせいぜい予備校か部活動で多少遅くなるくらいの優梨には、文句を言う資格はなかった。一方、陽花と一緒に襲われた事件は、午後七時過ぎの出来事だったと記憶している。むしろ、自分が親の立場なら午後七時に設定していることだろう、と優梨は思った。
風岡と陽花は、やはり付き合うことになったようだ。
どちらから交際を申し込んだのか定かではないが、あの二人は性格的にも見た目にもよくお似合いのカップルだと思っていた。
あれだけ休み中に会って宿題を教えたり、買い物したり、さらには優梨を探し出すためにあれこれ考えたりしあった、短期間とはいっても濃密な時間を過ごした仲だ。付き合いそうな予兆もさんざん見せていたし、これで付き合わない方が不思議だと思う。影浦がもっと自由に動けるようになったら四人で遊びに行くのも面白いかもしれない。
瑛が退院して、最初の日曜日。
瑛と優梨は、緑の遺骨が納められている納骨堂へと向かった。
瑛は、お墓参りというものをしたことがないと言う。それも無理もない話だった。瑛本人が唯一知っている血縁関係者は、母の緑だけであった。母方の祖父母も知らない。そして、母の緑が亡くなっていることですら、先日の黒木の話で知ったばかりだというのだから。
実は優梨も納骨堂に行くのは初めてであった。普通の墓地や霊園のお参りと違って、室内の納骨堂では生花での供花や供物が出来ないと聞いていたが、造花なら受け付けてくれるかもしれないと聞いて、小さめのそれを用意していた。
納骨堂は仏壇式で思ったよりも立派なものであった。ロッカーが並んでいるイメージだったので、優梨は意外に思った。ひょっとしたら、結構供養料が高くついているかもしれない。
受付で『藤井緑』の名を告げると、仏壇に案内された。
仏壇には緑の
予習してきたのか、瑛はぎこちないなりに一礼して霊前に歩を進めた。線香を三本に折って火をつけて立てて、鐘を一回鳴らし最後に再び遺影に合掌、一礼してまた下がった。
作法通りにやってくれたのだが、せっかく持ってきた造花をお供えしていなかった。すでに何本か造花が挿してあったが、これはおそらく黒木が供えてくれたものであろう。ちょっと狭いが追加するように隙間から挿した。心なしか色合いが豊かになったようだ。
優梨も同じように合掌した。
合掌を解いて一礼すると、優梨は遺影を見て言った。
「お母さま、とてもお綺麗な方だったんだね。黒木さんの言う通り、瑛くんによく似ている」
「そうだね。久しぶりに見るけど、こうやって写真を見ると、何だか懐かしい。こんな顔していたんだな。母さん」
「お母さま、とっても苦労されていたと思うけど、写真を見るととても楽しそうな表情ね」
遺影の中の緑は、屈託のない笑みを浮かべていた。その笑みは、自然と優梨たちに安らぎを与えていた。
瑛は遺影の母に向かって言った。
「母さん、お久しぶりですね。あなたの息子の瑛です。母さんが、僕が何か起きた時のために、全国を
瑛の口調はハキハキしておりよどみなかった。その後、遺影の緑に向かって再び一礼した。
「瑛くんのお母さま、私は大城優梨といいます。瑛くんとは最近知り合って、ある事件に巻き込まれて命を落としかけたところを、瑛くんの決死の行動で命を救われました。瑛くんはとても勇敢な青年です。瑛くんはお母さん亡き後も必死に頑張ってここまで生きて来られました。これからは私たち二人で、ともに前進していきたいと思います。こんな未熟な私ですが、よろしくお願い致します」
優梨もまたよどみなく言って、同じように頭を下げた。
遺影の緑は、変わらず、目前の二人に笑顔を向けていた。まるで、全てを受け入れ、すべてを
しばらくすると慌てたように住職が出てきた。
「あなたが、藤井様のご子息でいらっしゃいますね」
「そうです」
「藤井様は当時小さなお子様を
住職は小さな身体をさらに丸めて涙を流していた。
「ありがとうございます。ずっと母のことを思って下さって。これからもよろしくお願い致します」
そう伝えた瑛の目にも涙が浮かんでした。
気付くと優梨ももらい泣きしていた。
瑛と優梨は住職に礼を言って納骨堂を辞去した。
外はいい天気だ。時刻は午後五時であった。入院生活が長くもう十月に入っていて、若干の肌寒さも感じていた。瑛と優梨は川の堤防沿いを歩いていた。外はアキアカネが飛び交っていた。
「無事にお母さまに会えて良かったね」
「うん、黒木さんの話を聞いて、一刻も早く挨拶に行きたかったからね。それがリハビリの励みになったよ」
「そっか……」優梨はそう言って、ひとつ息をついた。そして意を決したように再び優梨は言った。
「実はね、瑛くん!」
「ん? どうしたの?」
「あのね、私もあなたに謝らないといけないの。最初、あなたのことに興味を持ったのは、あなたの見た目とか性格とかではなくて、解離性同一性障害を疑ったからなの。私は医学部志望だし、精神医学にも興味を持っていたから、あなたに近付いたの。あなたの病気に関心があったのがきっかけだったの。だから、だから……あなたの苦しんでいること、悩んでいるはずのことを、そんな風に感じてしまって……本当に、本当に今更ながらごめんなさい!」
瑛は、表情を少し曇らせて、間を置いてから言った。
「……今はもう、夕夜はいないよ。優梨はもう僕のことは関心がないわけ?」
「いやいや、そんなことない! 確かに最初はあなたの病気を知りたくて近付いたけど、少しずつ瑛くんと夕夜くんも含めて、その人柄が好きになったのよ。だんだん、瑛くんと夕夜くんが好きになったから、病気のことを理解しようと思うようになってきたのよ。だから、だから、そこは誤解しないで! お願い! 夕夜くんがいない今でも、瑛くん一人だけでも、好きな気持ちは変わらないわ!」
優梨は涙を流しながら頭を下げた。
「それが聞けて良かった」瑛は優しく言葉を返した。そして続けた。
「僕には、風岡くんのように瑛という人格と夕夜という人格を分け隔てなく付き合ってくれる人が必要だったんだ。なかなかそれを理解してくれる人がいなくて、友達もあまり出来なかった。夕夜という人格が結構激しいから、それを見ちゃうと遠ざかっちゃうし、でも瑛の方は引っ込み思案だったから。でも風岡くんの存在が僕を少しずつ変えていってくれた。風岡くんは瑛にも夕夜にも同等に居場所を与えてくれたんだ」
そして瑛は微笑みながら優梨の方を見た。
「そういう意味では、優梨も同じだよ。今は瑛ひとりになっちゃったけど、夕夜のことも均等に愛してくれた。そして今でも変わらず好きでいてくれている。これだけで僕は充分だよ。きっかけはたぶん何だって良いんだ」
「ありがとう……瑛くん」
「僕も優梨のことが好きだよ」
瑛はそっと
「私も……」
もう、お互い何も迷いも
太陽が今にも沈もうとしていた。
そっと二人はくちづけを交わした。互いの想いを再確認した瞬間だった。
清らかで美しい夕陽が、優梨たちを温かく見守っているように感じられた。
(了)
深緋の恵投(ふかきあけのけいとう) 銀鏡 怜尚 @Deep-scarlet
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