第八章 黄昏(タソガレ)
第八章 黄昏(タソガレ) 1 優梨
テレビでも新聞でもインターネットニュースでも、愛血会と生命探求の会の一連の事件が報道されていた。
生命探求の会の会長でヴァンパイアと呼ばれていた
簡潔に言えば、愛血会で募った若者から輸血用と偽り献血させた血液、および通り魔的に襲撃した若い女性からの血液を、生命探求の会の会員にアンチエイジング目的に輸血。それに先立って会員から血液を採取し、それは本来の医療目的の輸血用血液とするのである。つまり、会員の血液を若い血液に交換するというものであった。これはまさしく国際ジャーナルに掲載された年老いたマウスに若いマウスの血液を循環させる、というメソッドに
他の構成員の名前も明らかとなった。オーガは
カーミラは自分のことを元看護学生と言っていたが、驚いたのはオーガこと大賀容疑者、ヴァラヴォルフこと榊原容疑者は、ともに二十四歳と若かったことだけではなく、現役の医学部の六年生だったのだ。幸い、優梨の志望するN大学の学生ではなかったが。
どうやら、二人は友人同士であり、興味本位で手を出したギャンブルから借金を作ってしまい、それで生命探求の会からお金を受け取る代わりに、組織犯罪に加担していたようであった。
優梨は驚くと同時に納得もいった。吸入麻酔薬とはいえ、深く麻酔薬を
リザードマンこと戸苅容疑者は、そのまんまで本職はカメラマンということであった。
また、根津と呼ばれる男は現役の警察官であった。これだけの組織犯罪が、それまであまり表在化して来なかったのも、この男が事件を担当することで、何もなかったことにしていたからもしれない。あとで知ったことだが、この男は優梨が拉致された際に、それを助けようとした風岡と陽花を尾行して、
これら事件がマスコミに取り上げられ、優梨、瑛、風岡、陽花だけでなく関係者たちに取材が殺到したため、病院や学校、児童養護施設、優梨と陽花が通う予備校などでは対応に追われた。
今回の事件は、組織犯罪の裏に
これに対し、Bombay型の血液の提供者である黒木から提案があった。この騒動で、病院や学校やしろとり学園などに迷惑をかけてしまってはいけない、また瑛や優梨の療養の妨げとなってはならないと言って、取材を黒木が一手に引き受けることにしたのだ。この話自体は美談であること、Bombay型という非常に稀な血液型を世間に知ってもらうこと、それによって瑛のように家族関係が破綻しまうことが今後ないように認知してもらうこと、さらには献血の啓蒙も含めて、この話をぜひ広めたいと思ったようである。また、他に襲われて眠らされた心当たりのある人は、各種ウイルス検査を受けて頂くようにしないと、さらなる蔓延を招く可能性も懸念されたためでもあった。
マスコミ関係者は一斉に宮崎県に集まった。影響で、二月のプロ野球キャンプの時期でないにも関わらず、宮崎行きの便や宮崎市内のホテルが取りにくくなったという噂も出たほどだ。その後、ドキュメンタリー番組でも多数取り上げられることになる。
一連の騒動で、義郎も一時期なかなか思うように仕事ができない状況であったが、それでも、今回のようなレアケースは学会での症例報告に値すると考えたようだ。『特発性再生不良性貧血と解離性同一性障害を合併するBombay型患者に生じた大腿部銃創に対し輸血で救命し得た一例』という長いタイトルの演題で、センター長直々に学会発表を行ったそうだ。テレビでニュースにもなっていたためかオーディエンスが多く集まり、シンポジウムでも特別講演でもない単なる一例報告なのに、発表後に盛大な拍手が起こったと言っていた。学会発表は病院の業績を残すことにもなるが、マスコミの影響もあって、今回の事件で、かなり『大城医療総合センター』の知名度も上がったようだ。少なからず、義郎にも恩恵はあったようだ。
一方、大城優梨総合センターで新たに発覚したB型肝炎ウイルス感染患者は、幸いにして四人とも、
そのうちの一人、五十歳のおばさんの患者も退院後、警察の事情聴取を受けることとなった。輸血を受けることなしにB型肝炎ウイルスに
当の優梨には、幸いにも今のところB型肝炎ウイルス陽性の反応は出ていない。まだ事件から一ヶ月ちょっとしか経過していないので、まだ予断は許さないが、HBs抗原だけでなく、PCR検査も行って陰性であったのでまず大丈夫か。ちょっとだけ安心している。正式に陰性だと分かるのは献血されてから三ヶ月以上経ってからということである。正確には影浦もヴァンパイアによって銃で撃たれた後に優梨に接触しているので、影浦も感染している可能性はゼロではないのだが、優梨が陰性ならまず影浦も陰性だろう。あと、左手に残存していた正中神経麻痺による痺れや痛みや運動障害も、ビタミンB系薬剤のおかげだろうか、徐々にではあるが気にならなくなってきた。少なくとも生活に支障はないレベルだ。
瑛の方は、着々とリハビリが進められ、一ヶ月も経過すると歩行器や杖なしでも問題なく自力で歩けるほどにまで回復した。懸念された術後感染も起こらなかった。明らかな後遺症もなく、一ヶ月半ほどで退院のめどがついた。優梨はもうとっくの昔に退院していたが、その後、学校が始まってもほぼ毎日のように、お見舞いに行った。時にはリハビリテーションのお供をしたり、病院の敷地内を散歩したりした。しばらくのあいだ、この二人が一緒に歩く姿は、院内の風物詩にもなっていた。
風岡や陽花も、一緒になって足しげく病室にお見舞いに来てくれた。もちろん四人集まることもあった。初めて電車の中で、四人で会ったあの日から二ヶ月ほどしか経っていなかったが、なかなか経験し得ないような出来事を経て、四人の絆はいっそう深まったように優梨は思えた。
「本当に良かったよ。大城も退院したし、影浦のリハビリも順調で、退院のめどもついたって聞いたし!」風岡が喜びの声を上げた。
風岡は、以前は瑛の場合と夕夜の場合があったので、名前ではなく『影浦』と苗字で呼んでいた。今は夕夜がいなくなって瑛だけなので下の名前で呼んで良いのだが、習慣というものはなかなか簡単に消えるものではないようで、未だに『影浦』と呼んでいた。
「いや、本当にみんなのおかげだよ。優梨のお父さんにも、黒木さんにも、それから風岡くんや陽花さんにも感謝しているよ」瑛は笑顔でお礼を言った。
「本当に、瑛くんっていい人ね。アタシは夕夜くんの印象が強かった分、未だにビックリしてるわ」陽花はまだ信じられない様子だ。
「でも、影浦。いちばん感謝しなきゃいけないのは……?」
「そうそう、僕の母さんだよね」瑛は付け加えた。
「その通り」
「早く、天国の瑛くんのお母さんにも元気な姿を見せに行かなきゃね!」優梨が微笑みながら言った。
「あ、それから、影浦。お前、大城にも感謝しなきゃいけないんだぞ」と風岡が付け足す。
「ちょっと!?」優梨は慌てて言った。「私だって助けてもらったのよ。私こそみんなに感謝しなきゃいけないのに!」
「ま、それはそうなんだけど。実はBombay型というキーワードをいち早く見つけ出したのは、他ならぬ大城だったんだから。さらには
「え、そうなの?」瑛は目を見開いた。
「そうなんだ。でも、それを思い立って、名古屋駅のタワーズの赤十字の献血センターにBombay型の血液製剤のストックを確認しに行こうとした直後に、大城は連中に拉致されてしまった」風岡はとても残念そうな顔をしていた。
「そうだったんだ! 僕のために、本当にありがとう」瑛はそう言った後、再び優梨に尋ねた。「ところで、Bombay型だってよく分かったね。知っていたの?」
「生物の授業で、ABO式の血液型の遺伝が法則に従わない場合があるって、先生がたまたま言ってたのよ。そこで確か、一瞬だけBombay型ってキーワードが出てきたのよね」
「それだけで! すごい!」瑛は目を丸くしていた。
「でもな。黒猫を見ただけで、思い付くなんてな」風岡は改めて感心したように言った。
「黒猫?」意味の分からないという顔の瑛の反応に対して、風岡が説明をする。
「大城は猫にかなり詳しいらしい。あのとき黒猫が道端にたまたまいてな。それを見て急に大城は閃いたように思い立ったんだ。しかし、タイミング悪く直後に連れ去られてしまった。それで大城が連れ去られちまったあと、陽花と一緒に、優梨が一体何を思い付いたのか、二人で相談したんだ。よく分からないなりに、黒猫の品種を調べていたら出てきたんだよ」
「そうそう。『ボンベイ』っていう、黒色のみの純血種がいるんだってね。優梨はそれで分かったのよね!」
「ま、まあね」優梨は少し照れながら答えた。
「『ボンベイ』って品種は、アタシは知らなかったけど、写真で見たら何とも可愛らしい黒猫だったわ」陽花も上機嫌そうな表情だ。
「性格も甘えん坊で可愛い猫なのよ」と、優梨も補足した。
「でも、陽花。何であのとき三色団子を見て、『紅玉』と『赤い玉』からアレを連想したとか、どうのこうの言ってたんだ? それも関係あるのか?」
風岡は陽花が閃いた瞬間における疑問を投げかけた。
「あ、あれはねっ」陽花はちょっと笑って、ひと呼吸おいてから言った。
「実はあの食べかけの三色団子が、この前黒木さんがホワイトボードに書いてくれた図に見えたのよ。下から糖鎖、H抗原、AもしくはB抗原みたいじゃない? ほら、三色団子のいちばん根もとのグリーンの団子が糖鎖、真ん中のピンクがH抗原、先っぽの白がA抗原かB抗原といった感じでさ! 一個食べるとO型で、二個食べるとBombay型っぽくない? 実はアタシも優梨と一緒に同じ生物の授業を聞いていて、そこで先生が同じような図を黒板に書いたのを見てたから連想できたのよ。あと、『赤い玉』とか『紅玉』っていうのは別に深い意味はなくて、単純に『赤血球』ということよ。赤血球に抗原がついてるからね!」
「お前ら、どこまで勘が鋭いんだよ」風岡は呆れた様子を見せる。
「もっと、褒めてくれても良いわよ」陽花は得意気に胸を張った。
一同は笑った。
「でも、あの連想が生きてくれたおかげで、救命救急センターで早めにBombay型の輸血を手配することが出来たって言うからね。もしもあれが一歩遅かったら、助からなかったか、助かっても後遺症が残ってたかもしれないってな」
風岡はしみじみとそう言った。
「本当に、僕はみんなに助けられたんだね。ありがとうございます」瑛はまた丁寧にお礼を言う。
「だから、本当に人が良すぎるわね! あなただって優梨を助けてあげたんだから、もっと男らしく大きな態度をとっても良いんじゃない?」陽花は再び指摘した。
「もう、そこが瑛くんの良いところなのに!」
優梨がそう反論すると、また一同は笑った。
しかし、急に気が
「でも実はアタシ、瑛くんに謝らないといけないことがあるの」
「え? 何かあったかな?」瑛はまったく意に介さない表情だ。
「瑛くんの家庭に、そんな複雑な事情があると知らずに、ずけずけと血液型のことをいろいろ話題にしちゃったと思って……ごめんなさい……」
陽花は深々と頭を下げた。
「あ、そんなこともあったっけ? 大丈夫だよ。気にしないでね。今はこうやってみんな元気でいるし。そうそう! 陽花さんにはせっかくだからA、B、O、AB型以外にBombay型の血液型の性格診断もついでにやって欲しいな。これからテレビとかで血液型占い見ても、僕困っちゃうから」
「は? Bombay型って日本にどれだけいると思ってるのよ。100万人に一人なんでしょ? サンプル数が足りないわよ!」陽花の先ほどまでのしょげたような口調から一転して、また元の強気な口調に戻った。
「取りあえず、僕と黒木さんがいるからこれでまず二人いるよ」
「二人でも足りないでしょー!?」
再度、病室内は笑い声で溢れた。
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