痛快な傑作ミステリ

うさぎ強盗とそれを追う闇社会の人間たちが織りなす群像劇形式のミステリである。大作にして傑作。恐るべき読書量と練り上げられた構成に脱帽するほかない。魅力に溢れたキャラクター、怪しげな組織、スピード感のある表現、意外な展開、鮮やかなトリック、クールな表現、情熱的な恋愛、和めるギャグなど、この手のフィクションに求められるものは全て嘆息する水準に達している。夢中になって読むあまり、気がついたら朝になったというのは学生以来の体験であった。

ただ、この手の創作ではよくあることだが、要所要所に出てくる薀蓄にリアルさが乏しいと感じた。例えば上半身を完全に動かさずに強い蹴り上げを打つことは人間の構造上不可能である。屋内での威嚇射撃は跳弾が複雑になるため足を直接撃つべきである。現在流通しているスペツナズナイフは東欧製の模造品が大半で精度の調整が難しく、プロが実用で使うイメージがもちにくい。ファイアウォールはヘッダを見てパケットを破棄/許可するだけの装置であり、それ自体の突破には暗号化技術と重なり合う部分はない。マルウェアを作成したコードの作法がわかるのでは偽装のレベルが低すぎる。権限昇格と降格に関する技術知識、コードと実行形式ファイルに関する技術知識などが間違っている。車やヘリなどの制御系がインターネットに接続している製品は現在のところ市場にはなく、その説明が作中にない(ノートに記載があるが、これは特注であると作中で示してほしかった)。そのほか、フィクションの世界であればお約束の範囲ではあるものの、プロや知識のある人が見ると粗さが目立つであろう点が少なくなかった。重箱の隅をつつくようで恐縮だが、幅広い読者を想定するのであれば、もう少し見破られないためのごまかしはいるかと思われる。もしくはSFのようにオリジナル設定を作り、その中でルールを定義する方法もある。薀蓄で疑問が浮かんでしまい、本筋を読むスピードが鈍ることが多々あった。

全体を通しての感触として、作者はフィクションの読書量は十分だが、体験や取材にはあまり時間をかけていないように思えた。作者にお勧めしたいのは専門知識を一つ身につけ、作品に反映することである。犯罪学でも心理学でも手品でも医療でも格闘技でも金融でもなんでもいい。プロの世界はwikipediaからは知りえない様々な魅力ある知識と技術に溢れている。失礼を承知で言うが、本作はまだフィクションから作られたフィクションである。ここにノンフィクションを加味することで、さらなる飛躍を期待したい。例えが古くて申し訳ないが、パトリシア・コーンウェルのスカーペッタ・シリーズを超える作品でも、作者の力量であれば執筆可能かと思う。

いずれにせよ、次の作品も、その次の作品も期待するところ大である。この作者の作品であれば、発売した日に購入したい。

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