クロノトロピー※9


 ヒリュウはその思惑を露わにし、酷薄な笑みを浮かべてセイトを見やる。


 だが、そんな彼の視線や思惑は、相手の意識は届いていない。……いや、そもそもいまのセイトには、あの黒い霧しか目に入っていないのだ。


(――絶対に赦さねえ)

 止めどなく沸き上がる、殺意と怒り。

 セイトは歯噛みしながらそれらの感情を闘志へと昇華させ、腰に佩いた長剣を引き抜くのと共にあの黒い霧へと突き付ける。


 はたして、奴に感覚器官が備わっているかはわからない。だが、ヤツはそんなセイトに反応したかのように振り向き、直後、彼を目掛けて一直線に突進してきた。

 その様は、人が駆ける姿というよりも、竜のそれに近い。背を丸めて重心を極限まで下げ、大地を蹴る力を前進することに特化させている。


 そうしてセイトとの間にあった五十メートルほどの距離を三秒足らずで詰め寄った黒い霧は、その突進力に任せ、右の腕を鞭のように扱ってセイトの胴をぎにかかる。

 ――が、奴の攻撃が決まるかと思われたその刹那、セイトは長剣を振り上げ、襲い来る霧の腕をその根元から断ち切った。

 すると、切り離された腕はセイトを捉えられることなく大地を跳ね転がり、その後溶けるようにして消滅。一方、片腕を失った霧の本体はというと、猛スピードのままバランスを崩し、受け身を取ることも適わないままセイトの後方で倒れ伏した。


 それは、正に一瞬の攻防だった。そして、この戦いはセイトの勝利で決着したといっても過言ではないだろう。

 だが、彼にはこれでよしとする気など更々ない。


「……おい、化け物。まさかこれで終わりだなんて思っていねえだろうなあ」

 セイトは振り向きざまにそういい放ち、奴に恐怖を植え付けるように十分な時間をかけて彼我の距離を詰めていく。


 そんな状況に焦りを感じたのか、霧は残った左腕を支えに立ち上がろうとする。

 しかし、セイトはそれすらも赦しはしない。

 彼は長剣を振り下ろし、真空の斬撃を放って奴の左腕を切り落とした。


「グオオオオオオオッ!」

 支えを失った黒い霧は大地に倒れ伏し、そうして大地に頭部をすりつけたまま、まるで獣のような雄叫びを上げた。


 それは、なにを訴えようとしてのモノなのか。


 威嚇か、鼓舞の意識か、それとも、そのどちらでもないのか。

 残念ながら、それを知るものはこの場にはいない。しかし、たとえ奴がどういう感情を持っていたとしても、セイトが抱く意思は変わらない。


 地に伏し藻掻もがく黒い霧のその目の前まで歩み寄ったセイトは、慈悲なんてかけらも持ち合わせていないような眼差しで奴を睨み据え、逆手に持ち替えた長剣の刃をその中心へと突き立てる。


 そして、奴はようやく溶けるようにして消滅していった。


 こうして見ると、セイトの戦いぶりは圧倒という一言に尽きる。

 しかし、これがヒリュウの求めていた答えかといえば、決してそういうわけではない。


「ま、こんな奴らでフォーリックを見極めようってのがまずかったんだろう

が……」

 セイトに屠られた霧の最後を感慨深げに眺めていたヒリュウは、そこで用は済んだとばかりに転移魔術を展開し、未だ沸き続けている他の化け物を放置してその姿を消した。


 そして、それとほぼ時を同じくして。

「セイト様、彼女の処置は済みました。いつでも転移させられます!」

 エニスの知らせがセイトの耳に届いた。

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