クロノトロピー※8

 不躾な態度で頷くその男に対し、エニスも同様にして彼を試そうとした。


 彼女がいう二重魔術ダブルスペルとは、遙か昔に開発された魔道技術である。その名の示す通り、二つの魔術を同時展開するという技なのだが、現代においてこれを知る者はごく少数。


 便利で強力。だが、この技術はひどく危険なのだ。


 術式を構成する手順が複雑で、僅かな失敗を犯すだけでも魔力が暴走――全身の細胞を破壊し尽す。

 恒久的な平和が信じられてきた表の世界では、こんな技術に手を出す者などいやしない。そうして徐々に人々の記憶から忘れられていったこの知識を引き継いできた者といったら、歴史家か、自身家か、なんらかの理由で力を欲した輩くらいなもの。


 で、エニスが見据えているこの男は、その中でも最も厄介な部類の人間だ。

 なぜならば、彼は王立騎士団に属しているからだ。


(それに、この男が二重魔術を使えないわけがないのです)


 彼はエニスと対峙した先程、数発の有効打を浴びていた。

 右の頬に顎――そして体の中心部への計三発、いずれも常人相手なら命を刈り取ってしまえるような打撃を、あの異空間の中で受けている。


 であるのに、こうして表に出てきた男にはその痕跡が残っていない。


 つまり、彼はそれらを治療したのだ。勿論、魔術によって。

 転移魔術テレポートで発生する異空間を維持しながらの治癒魔術ヒーリング。たとえどう取り繕うとも、彼がこの二重魔術を使用していたのは間違いない。


 では、男はなぜこれを隠蔽しようとしているのか。

 真実は不明だが、エニスにはその点で危惧しなければならないことがある。

 

 それは、自分がセイトと引き離されてしまうこと。

 

 基本的に、転移魔術というものは対象を指定して発動する魔術である。空間を転移させる魔術ではないため、一回の発動につき一人しか転移させられないのだ。


(でも、それを許してしまったら、セイト様が人質に取られてしまう可能性がある)


 アスカの話から推測すると、王立騎士団が求めているのはエニスの記憶だけなのだ。そして、エニスの所有者であるという意外に、セイトがこの件に関わる要素はない。いくら彼が実力者であろうとも、絶対唯一というわけではないのだから。


 ならば、王立騎士団はセイトに別の価値を見出すこともある。例えば、エニスを操るための駒として使う――等。

 だから、エニスは男を見定め、転移魔術について釘を刺そうとその口を開く。


 と、そこへ。

 ――ズンッ!

 地中から何かが突き上げたかのような衝撃が辺りを蹂躙した。


 突然の揺れに対し、セイトはアスカの頭をクシャっていたその右手で咄嗟に彼女を抱き寄せる。そして、もう片方の手でエニスの肩を支えながら、目の前にいるもう一人をガン無視して辺りを見回した。


(……地震? いや、こいつは少し違うな)


 言葉に出来ない違和感。嫌な予感というのが最もしっくりくる感覚を覚えたセイトは、直後、その腕に抱いたアスカの声を聞く。


「……始まった」


 その、直後。

「きゃああああああああああああっ!」

 女性の声――いや、先程セイトを祝福した、あのミカ=ラズゥエルの悲鳴が控え室にまで響いてきた。


「エニス、ぶっ放せ」

「畏まりました」


 意識を闘技場へと続くその扉に向け直したセイトはすぐさまエニスに命令し、エニスはそれに呼応して即座に魔術の詠唱に取り掛かる。


彷徨かなたより此方、此方より彷徨へ。天上のより賜りしルドカリウスの刃を以て、我が前にその力を証明せよ。――ファリアブル・ウィンド」


 詠唱を経て、その真名を唱えることにより真の力を顕現させたその魔術は軽々と扉を吹き飛ばし、道を切り開いたエニスはセイトと共にその先に広がる光景をみる。


 すると、そこには跋扈ばっこしていた。

 その数、およそ三十。いや、大地の揺れによって刻まれた亀裂から這い出して来るそれらの総数は、いまもなおその数を増やしていっている。


 そんな中、セイトはミカの姿を探し出す。そして、彼女の姿を目に止めたその瞬間、黒い霧はその腕をしならせ、彼女の体を容赦なく薙ぎ払った。


 恐怖に慄き、悲鳴すらも上げられなくなっていたミカは、地べたにへたり込んだ姿勢のままその直撃を受けてしまう。黒い霧の腕が振り抜かれたその刹那、彼女左腕やわき腹からは枯れ木をへし折るような音が鳴り、その体は大砲に打ち出されたかのような勢いで吹き飛んだ。

 そうして尋常ならざる勢いで地面に叩きつけられながら転がってきたその体は、セイト達ので力なく横たわる。


「――エニスっ!」

「はいっ!」


 セイトの鬼気迫るその声に押され、エニスはミカの元へと駆け寄った。そして横たわる彼女のその体に触れると、心から安堵し言葉を紡ぐ。

「大丈夫です、まだ息はあります」

 危険な状態ではあるが、ミカはまだその命を手放してはいない。それを耳にした各々は、それぞれの思惑を胸に行動し始めていた。


「……セイト。私はエニスと共に彼女を治療します。ですので、少なくとも彼女を動かせるようになるまでは、私達を守り抜いて下さい」


 セイトの胸元から飛び出していたアスカは、治癒魔術を展開しながら背中越しにそう語る。本来ならアスカも戦いに加わるべきだろうが、ミカの容体は傍目から見ても一刻の猶予も許されない状況だ。


 セイトはそんなアスカの姿に、表情を硬くして頷く。


「当然だ。惚れた女を守り抜けないようじゃ、男の矜持が立たねえからな」


 眼前には、得体のしれない敵。大地の揺れは衰えず、地割れの隙間からは黒い霧が次々と這い出してきている。

 当然、闘技場は既に大パニックだ。

 黒い霧によって吹き飛ばされたミカの姿を目の当たりにした観客達は、悲鳴を上げて避難路に殺到している。その中には、押し倒され、踏みつけられ、人災によって負傷している者もいた。


 まさしく、狂瀾怒濤きょうらんどとう。突如として変貌したこの場の有様に、かの男は不気味な笑いを上げながら愉悦に浸る。


「――ハハハッ。流石はガディウスがその命を賭して施した魔術、なかなかのエグさ具合じゃないか。……面白い。実に面白いが、流石にこれは頂けねえよなあ」


 アスカの目付役。これまで道化を演じて来たその男――ヒリュウ=クサナギは、そこで転移魔術を展開、観客席に這い上がろうとしている黒い霧の前へと回り込んだ。


 正し、その後の彼の行動について、その全てを理解した者はいない。ただ一つ確かなことは、彼がその右手を突き出したその直後、黒い霧は吹き飛び、散り散りになって消滅したということ。


 そうしてヒリュウは転移魔術と謎の攻撃を繰り返し、次々と黒い霧を消滅させていった。唯一、ミカを襲ったその個体を例外として。

 

 それは、観客席を襲う個体を優先していったからというわけではない。

 

 彼は、セイトとソレを戦わせたかったのだ。

 こうすることにより、ヒリュウはセイトの実力をより確実なところで推し量ることができる。


「……さて、怒りや憎しみを向けた敵に対して、お前はどんな戦いを見せてくれるんだ?」

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