クロノトロピー※7

 世界の命運に見合う見返り。


 その対象としてセイトが望むモノといったら、ほぼ間違いなく女性だろう。

 彼はハーレムの構築を野望としているのだから、そこに囲う女のことを考えていないわけがない。


(そして、彼は私に興味を持ってくれている)

 アスカは、自分自身に魅力を感じたことなど一度もない。が、でももしセイト本気でそう思ってくれているのであれば……。

(これを逃す手なんてない)


 だから、アスカはここでもう一歩踏み込んでいく。


「……もし、もし私の望みをもう一つ聞いて頂けるのでしたら、私は力を借りるその見返りとしてこの身を捧げたいと思っています」


 本来であれば、見返りを決めるのはセイトであるべきだ。

 だが、それではアスカに履行できない案件を要求されかねない。


 もし彼が金や物を望むというのであれば、一生を費やしてでもそれに尽力する覚悟がある。しかし、もし彼が一国の王女や豪商の娘を望んだとしたら、その望みはアスカには叶えられない。

 相手が望めば、まあそれはいい。けれども、拒絶する女性を力尽くでどうこうするというのだけは絶対にない。


 それが、アスカが抱く絶対のルール。


 だからこそ、彼女はこうしていまここにいる。

 王立騎士団の暴走を押さえるため、彼らの意思を伝える役を請け負った。そして、もしこの話を拒否された場合、セイト達を逃がそうと画策していた。ま、一人監視役がついたことでずいぶんと脅迫めいた演技をしなければならなったけれども。


 だが、セイトはそんな事情など全く知らない。そして、アスカの決意に対して彼はこう答えるのだ。


「そいつは駄目だ」


 セイトはアスカの頭をこねくり回すのを一旦止め、更に言葉を続ける。

「俺は、自ら望んで俺の元に来るヤツしかハーレムに迎えるつもりはねえ」


「……え?」


(この人は、いったいなにをいってるんだろう)


 そんなこと、本当に起こり得るのだろうか。

 ハーレムなんてモノは、男の欲望の捌け口だ。囲われる女は自由を奪われ、一生を側室として過ごす。女としての夢は潰え、例え子を成したとしてもそこに家族としての幸せなど生まれない。


 少なくとも、アスカの知るハーレムとはそういうモノだ。

 間違っても、女のための楽園などではない。だからこそ、予測できなかった。


 そして、もう一つ。

 

 考えが纏まらないアスカに対し、セイトは意外な一言を告げる。

「だからお前のその案は受け入れられねえが、それでもなにか見返りをくれるっていうなら……そうだな、俺と一日デートしてくれるってのはどうだ?」


「……デート、ですか?」


「ああ。まあ、嫌っていうんなら他になんか考えてみるが……」

「いえ、そういう意味で聞き返したのではありません。貴方は世界を救うその見返りが、そのようなモノでいいというのですか?」

「おいおい、『そのような』ってのはあんまりないい草だぜ? 俺はお前にそれだけの魅力を感じてるんだがな」


(……私の、魅力?)


「本気でいってるのですか?」

「ああ。だから、俺は全力でお前を惚れさせる。そのための一日が手に入るんだっていうのなら、これ以上に望むモノはねえ」

 セイトは再びアスカの頭をくしゃくしゃと弄りだし、彼女の神だけでなくその思考をも掻き乱す。


(まさか、私がそんな言葉を聞くことになるなんて思いもしませんでした……)


「ん? なんかいったか?」

「いえ、気にしないで下さい。それと、デートの件、喜んで受けさせて頂きます」


 アスカはそこで一息吐き、今度はエニスへとその顔を向ける。


「では、エニス。この件の見返りに、貴方はなにを望みますか?」


 正直なところ、アスカにはエニスの答えが想像できないでいる。

 それはエニスが機械人形だからということと、六百年活動してきた者が抱く境地に触れたことがないというところから。


 ある意味、不安ではある。

 しかしそんなことを思うアスカに対し、エニスはさらりと要望を口にしていく。


「……そうですね。では、私は東の国で重宝されている茶葉『伝統本玉露』を所望します」


 それは、東の国の限られた地のみで採れる天然の茶葉。

 千年桜を擁する霊峰で育つこの『伝統本玉露』は、世界を股にかける大商人でさえも滅多に目にすることのない幻の一品だ。

 その味は、いうまでもなく極上。

「舌で溶ける」とまで表現されるこの『伝統本玉露』は、故郷を同じくする『ぷよまん』との相性も抜群で、大名だいみょうと呼ばれる東の国主達に特に愛されている。


(なるほど。これもまた、彼のためなのでしょうね……)


「わかりました。あらゆる手段を駆使し、必ずや最高の一品を用意しましょう」

(それに、『伝統本玉露』はふるさとの誇り。絶対に妥協はしません)


 これで話は纏まった。

 無事に話がついたことにアスカは安堵の一呼吸を入れ、再び意識を引き締めて本題へと移る。


「それでは、お二人には早速転移の準備に移って頂きたいのですが……」


「――お、ようやく俺の出番か」

「そうですね。なのでさっさと出てきて下さい。まさか、異空間そんなところに引き籠もったまま彼らを送るわけではないのでしょう?」


 アスカは話に割り込んできた輩――先程までエニスにボコられていたその不審者を焚き付ける。


 すると、

「いやあ、できれば本当はそうしたいんだけどな……」

 と、その一見してなにもない空間から一人の男がその姿を現していった。


 その様子は、水中に潜っていた者が浮かび上がってくる様子に近い。


 澄んだ鳶色の瞳に、漆黒の頭髪。

 徐々に明らかになっていくその姿は、アスカと同じ東の国の血を引くことを表している。しかし、その姿を完全に現したその男からは、特徴として感じられるモノが備わっていなかった。

 声も、体格も、印象に残るところが全くない。

 しかも、彼はまるで個性を意図的に削ぎ落としたような笑みをその顔に浮かべており、正直、この存在を人と認識していいのかすら疑問に思えた。特に、エニスには。


(隠蔽魔術? いえ、そういうわけでもないようですが……)

 エニスはその男の異質さを注意深く観察し、意識の底で警戒する。そして、どんな事態にも対応できるよう気を引き締めながら彼に問い掛けた。


「なるほど。いまのお二人の言葉から考えますと、貴方は二重魔術ダブルスペルが使えないということになるのですね」


「お、流石は六百年前の機械人形だ。ここで二重魔術なんていう発想に至るヤツなんて、この世界に何人いることやら。ま、俺はやったことがないから、使えるかどうかについては『わかんねえ』ってことになるけどな」


「左様ですか」

「ああ、左様だ」


「では、その二重魔術。ここでお試し頂きたく思います」

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