石丸有紀(3)
「いや、君が先にお風呂に入ってきなさい。君の方が濡れてるんだから」
僕の言葉に石丸さんは微笑みながら頭を下げる。
「じゃあお言葉に甘えて……お先に頂きます」
僕は彼女に浴室を案内してリビングに戻った。
そして、冷蔵庫からコーヒーを出して飲むと、途端に激しい後悔が押し寄せてきた。
やってしまった……
教え子を部屋に連れ込んで、お風呂に入れる。
もし、これが学校に知られたら間違いなく懲戒ものだ。
いや、それでは済まないだろう。
僕が同性なら良かったが、よりによって男性教員が女子生徒を。
もはや言い逃れできない。
だが、それと同じくらい別の感情も沸きあがっていた。
それは……優越感だった。
雨の日に現れた教え子。
全身ずぶ濡れにしてまで自分の自宅の前に現れ、助けを求める美少女。
そんな子に頼られて、明らかにただ事でない話を聞こうとしている教師の自分。
それは明らかに「非日常の光景」だった。
そう、今の僕はまさに特別な出来事の渦中にいる。
毎日、代わり映えのしない日々。
代わりなんていくらでも要る立場の自分。
教師としても……人としても。
ドラマや漫画のような特別に憧れながらも実際は日記数行程度も埋められない毎日。
でも、今の自分は物語のワンシーンだ。
しかも、密かに憧れていた少女との関わりで。
そんな事実は僕の胸を高鳴らせていたのだ。
でも、そんな自分に嫌悪もしている。
浴室からはシャワーの音が聞こえる。
その音を意識してしまっている自分にも嫌悪感を感じる。
僕は……教師だ。
彼女を導く正しい教師……
そう思いながらも、フッと隠した写真集を引っ張り出して、彼女そっくりなタレントの姿を見る。
大丈夫。
まだ……シャワーの音はしている。
着替え終わるまで時間は充分。
そして、やましい想いを押し込めようと写真集を見ていると、急に近くで小さく微かに足音が聞こえたような気がした。
なんで!?
まだシャワーの……音。
急いで写真集を押し込み、驚いて顔を向けると少しして濡れた制服を着た石丸さんがリビングの外から顔をのぞかせてた。
「すいません……大丈夫でした?」
「い……あ……大丈……夫。なんで、まだシャワーの音……」
「あ、ごめんなさい。急にスマホ、気になっちゃって……雨に濡れて壊れてないかな、って。それで慌てて出てきちゃって」
「そう……か。あ、どうぞ」
まずい……見られた?
まずい……
激しく鳴る心臓の音を感じていると、石丸さんの声が聞こえた。
「どうしました、先生。さっきから……変」
「いや、なんでも……えっと、何か……見た?」
スマホをずっと触って何か打ち込んでいた石丸さんは、顔を上げるとキョトンとした表情で僕を見る。
「え? いいえ、私が顔を出したときは先生、普通に私の方見てましたけど。それだけです。……何かありました?」
「ああ、いや、大丈夫」
良かった……ばれてない。
全身から冷や汗が噴出すのを感じながら、浴室に行ってシャワーを止めてタオルを持っていく。
「まだ濡れてるよ。良かったら拭いて」
「すいません」
「ドライヤーも使って」
「……あ、それはちょっと」
そう言ってまたスマホを触っている彼女をじっと見る。
その表情に妙な違和感を感じた。
それは愛用の物の故障を気にするだけでない、焦りのような物を感じたからだ。
「スマホ……良かったね。壊れたら……やっぱりマズイ?」
「あ、はい。ちょっと……」
そう言って眉を潜めたので、僕は気になった。
「何か、あるの?」
「何でもないです。……大丈夫です」
「ここまできたんだ。僕を信用して欲しい。僕は君の味方だ。教師ではあるけど、一人の人間としても君を助けたい。良かったら……」
「……言っても……いいですか?」
僕は彼女を見てニッコリと笑って頷いた。
「先生に頼ってよかった。実は……今もライン来てたけど、ママからなんです」
「お母さん?」
「はい。私のママ、凄く厳しくて……でも、今の再婚相手の人に凄く気を使ってて。だから、イライラが私に来てるんです。それが辛くて」
「お母さんが……」
「はい。実は今日も、勉強の事で叩かれちゃって、それで家を出てきたんです。衝動的に……ゴメンなさい。だからママからどんなラインが来てるか……怖くて」
そう言ってスマホを見た石丸さんは、表情を曇らせる。
そして、小声で「やっぱり……」とつぶやくのが聞こえた。
「大変なんだね……色々。お母さんと」
そう言うと、石丸さんはこっちに視線を向けた。
「先生……良かったら、後で……ママに会ってもらえませんか? ママ、凄く怒ってる……怖い」
え!? いや……それは……まずい。
躊躇する僕に石丸さんは無表情で言った。
「先生、言いましたよね。『一人の人間として助けたい』って。凄く嬉しかった。先生だったら味方になってくれますよね?」
「そ、そうだけど……でも、僕に出来る事は……」
冗談じゃない。
彼女を家に上げてるだけでも大変なことなのに、その後に母親に?
それで今回の事がばれたら……
「先生のおうちに来てる事は言いません。先生はただ、口裏を合わせて欲しいんです。先生のお仕事を頼まれて手伝ってた。その帰りに雨に降られちゃった、って言っちゃって……だから」
マジか。
こんな時間まで手伝ってたなんて、不自然もいい所だ。
それこそ不信感もたれたら……
「ごめん……それは……僕が居なくても大丈夫だと……」
「あの子、好きなんですか? 水着、可愛かったですね」
その言葉に全身から冷や汗が噴き出し、思わず石丸さんの顔を見た。
彼女は薄く微笑みながら僕を見る。
「写真集の子、私そっくりですね。先生、そんなに私を気に入ってくれてたんだ……って、嬉しかった」
僕は頭がくらくらするのを感じながらつぶやく。
「あれは……あの……」
「大丈夫です。誰にも絶対に言いません。だって、私を守ってくれるんですよね? そんな人が居なくなったら辛いもん。今からだってママから守ってくれる。そんな人……裏切ったりしません。……ですよね?」
僕は小さく頷いた。
「有難うございます。……じゃあ、先生もお風呂、入ってきてください。風邪、引いちゃいますよ」
わたしの大嫌いなセンセイ 京野 薫 @kkyono
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