【三章】『月追い人』

 幼馴染が銀幕ぎんまくデビューを飾った。


 ネット記事の写真には、俺と同じく三十路みそじを迎えたアイツの顔が、他の出演者と並んでいる。中には、CMで見たことのある若い女優の顔もあり、勝手にほこらしくなるには十分な代物だった。


 奴とは高校卒業以来疎遠そえんになってしまい、今では正月に顔を合わせるかどうかの間柄あいだがらだ。


 今更あつかましいかとも思ったが、お祝いの一言くらいは迷惑にならないだろうと思い、数年ぶりにメッセージを送ってみた。返信は意外とすぐに返って来た。


 喜怒哀楽きどあいらく欠落けつらくした当たりさわりのない文面から察するに、奴自信は複雑な心境らしい。今度の連休に戻って来ると言うので、飲みに誘ってみた。特に酒好きでもないアイツが二つ返事に乗って来たので、どうやらただ事ではないらしいと暗に察した。


 当日、姉に送ってもらい二人で居酒屋に入った。


 田舎だからとは言いたくはないが、洒落しゃれた店が無いのは確かだ。手頃な価格で飲める大手チェーン店の中は酔っ払い共でさわがしかったが、その喧騒けんそうが逆に落ち着くと、奴は気に入ったらしい。席について、とりあえずビールで乾杯した。


「それで? その浮かない顔はどうした?」


 会ってしまえば気をつかう仲でもない。酔いが回る前からストレートにいてみた。


 映画の原作は俺も読んだことがあるほどのヒット作だ。奴が演じるキャラクターも、脇役ながら見せ場がある。楽しみにしているファンも多いだろう。


 芸能界にはうといが、実力を買われての抜擢ばってきではなかったとか、納得のいかない事情があるのだろうか?


 ジョッキのビールを一気に干し、お代わりを頼むと、奴は大きくため息を吐いて、「すごいんだよ、主演がさ」と答えた。


 それはまぁ、すごくなければ映画の主演はつとまらないだろう。助演じょえんだろうとそれは同じだ。


 枝豆をやりながらそんな風なことを伝えると、奴はますます肩を落とした。


「天地の差だ。才能が違う」

「そんなものか?」

「俺があの子の年齢だった頃、俺はエキストラがせきの山だった。三十路みそじでようやく単館上映作の脇役。あの子は高校生で主役だ。スタートラインが違う」

「別に比べても仕方ないだろう。男女の差もある」

「そういう話じゃない」


 二杯目のビールと、注文したおでんの盛り合わせが届く。やや季節外れだが、これがまた美味いのだ。


 奴はまたジョッキを仰いで半分ほど流し込み、今度は机にして頭を抱えた。


「そういう話じゃないし、話にならない。月と大根だ」

「スッポンですら無いのか」


 相当そうとうまいっているようだ。俺がどうはげますべきか悩んでいる内に、奴は、「これが引退作になるかもしれない」とまで言い出した。


 デビュー作が引退作になっては、両親が泣くだろう。どうしたものか困りはしたが、不思議と心配はしていなかった。


 奴はまたため息を吐き、ビールを一口つついて言葉を続けた。


「いるんだよな、ああいう役者が、なんて言うかこう、光ってる。満月みたいな輝きだ。俺が目指して目指して、それでも手に入らなかった才能だよ」

「いいじゃないか。月なら太陽より近い」

茶化ちゃかすな、真面目に聞け」

「酔っ払いの戯言たわごとを真面目に聞いてどうする。ちゃんと聞き流してやる」


 それから奴は、腹のアルコールが着火したかのように喋り出した。


 これまでの努力と苦悩、挫折ざせつと敗北、むくわれなかった様々な現実。役者の世界は厳しいだろう、一般人の俺には、その程度の想像しかできない。


 ひとりきり愚痴ぐちを吐き出した後、彼はまたテーブルにし、ぼそりと言った。


「天才だよあの子は。俺なんかとは、住む世界が違うんだ」


 テーブルには空のジョッキが並び、おでんの土鍋もダシを残すのみとなっていた。他に頼んだつまみの皿も綺麗きれいに片付いて、時間も頃合ころあい。俺は姉に連絡して迎えを頼み、会計を済ませた。


 奴は酔い潰れ、ろれつの回らない舌で、「こんなに飲んだのは久々だ」と、かろうじて言った。「だろうな」と、長いレシートを見ながらうなずく。元々、奴を祝うための席だ。勘定は全て俺が持った。


「もうダメだ。役者は辞める。俺、こっちに戻って就職するよ」

「未経験の三十路みそじは難しいぞ? こっちにはこっちの厳しさがある」

「役者よりマシだ」


 互いに酔いも回っている。奴も、今自分が何を言っているのか分からないのだろう。にぶった思考の中ではげましの言葉を考えるが、思いつかないので事実をそのまま口にしてみた。


「まあ、芸能界の事情は分からんが、お前にこっちの仕事は無理だ。安心して諦めろ。大根なのかスッポンなのか知らんが、お前に役者以外の道は無いよ。友人を代表して保証してやる」

めてんのか、けなしてんのか、昔から嫌味いやみだよお前は」


 二十分ほどで姉の車が到着し、俺たちは店から出た。


 奴は翌日にまた東京へ戻り、俺も無機質な書類仕事に戻った。後日、遠出をして奴の映画を観に行ったが、やはり素人目には演技の差が分からない。


 夢も目標もなく、ただ何となく大学に進学し、入れる会社に入っただけの俺には、主演女優も助演男優も、等しく眩い光を放つ、別世界の存在に思えた。


 映画館を出て、感想でも送ってやろうかとスマホを開くと、先に奴からの連絡が入っていた。どうやら、次の出演が決まったらしい。まだ詳細は話せないが、また脇役だと末尾まつびえられていた。


 夕方に始まった映画のエンドロールが終わった後、空には月が輝いていた。眩しくも美しいと感じるのは、俺が眺めるだけの存在だからだろう。


 奴の目には、どう映るのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三日月夜話(短編集) 坂本和良 @sakamoto-w

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画